第89話 :「《勇者編》最弱と嘲笑された藤原さんは、最も影響力を持つ者だった。そして、そんな彼を愛した少女」
私は唇を噛みしめながら、教室の隅でいつも静かに絵を描いていた少年の姿を思い浮かべておりました。藤原瑛太さん──彼はほとんどクラスの活動に加わらず、寡黙で、人に迎合することも決してございませんでしたのに……どうしてか、目を離すことのできない存在感を持っておられました。
もし彼であれば……きっとあの貴族の宴会の虚飾に惑わされることなどないでしょう。そもそも、他人の目など気にしておられない方でしたから。「皆と足並みを揃えるべき」だとか、「クラスは一つであるべき」だとか、そんな言葉に縛られることも決してなく──。
男子たちが言い争っている最中、彼ならきっと冷ややかに、こう仰るのではないでしょうか。「俺はどうでもいい。……俺は連邦に行く」
そして、反対や怒号をすべて無視して、迷いなく立ち上がり去っていく──そんな姿が、ありありと胸に浮かんでしまいました。
……そういう理不尽なほどまっすぐな態度こそ、心揺れている人々を強く撃ち抜いてしまうのです。思わず、口元に笑みが零れてしまいました。私の中にひとつの想像が芽生えます。もし藤原さんであれば、あの方は必ずこう仰るはずです。
「お前たちは、初めて誰かに認められて浮かれているだけだ」
その一言に、誰も反論できなくなる……そんな光景まで、ありありと脳裏に描かれてしまいました。クラスの男子たちからわざと距離を置かれ、誰よりも孤立していたはずなのに。それでも「誰にも好かれない」現実を受け入れ、堂々としている……。だからこそ、彼の言葉は逆に重く響くのです。
──もし藤原さんに見下されたら、俺たちは何なのだ?きっと新田さんは眉をひそめ、佐々木さんは顔を赤らめ、他の男子たちも複雑に顔を歪めるでしょう。彼らが本当に行きたくないわけではなく、ただ意志が弱いだけ。……それを認めるのが怖いのです。
もし藤原さんがいてくださったら……少なくとも、今のようにバラバラにはならなかったのかもしれません。私はふと自分の掌を見下ろしました。知らぬ間に指先が真っ白になるほど、強く握りしめていたのです。
今までの私たちは……なんて鈍かったのでしょう。冷淡で、ただの「クラスの隅にいる人」だと勝手に思い込んでいた方こそ……本当は、私たちの支柱であったのに。
それは新田さんでも、組織力を誇る佐倉さんでもなく──。いつも黙々と行動し、言葉少なでありながら、己の道を一歩も曲げない藤原瑛太さんこそが。
「……いま、どこにいらっしゃるのでしょうか」
思わず零れた呟きは、自分にすら届かぬほど小さなものでした。ですがその瞬間だけははっきりとわかってしまったのです。この連邦への道のりの中、この重苦しい馬車の中で……私が心から会いたいと願ってしまった最初の人は、彼なのだと。
皮肉なことに……家族でも、日本に残してきた友人でもなく。ただ、時々交わす言葉が妙に面白く、心に残る同級生──それが、藤原瑛太さんだったのです。
車輪が石畳をがたんと弾み、蹄の音が規則正しく響いても、車内の沈黙は拭えません。誰かがすすり泣き、誰かが唇を噛みしめ、誰かはただ窓の外の闇に目を奪われて……。
私は窓に身体を預け、膝を抱きしめて、ぼやける自分の姿をガラスに映しました。どんな慰めの言葉も結局は痛み止めに過ぎず、心の傷口はまだ血を流し続けているのです。
わかっております。……佐倉さんは、本当に必死でクラスの関係を繋ぎとめようとなさったのだと。けれど──彼女は本来、前に立つべきではありませんでした。
私たち女子はずっと「立場」で考えておりました。誰が謝るべきか、誰が調整すべきか、誰が責任を負うべきか、誰が交渉に向くのか……。
でも考えなければならなかったのは、「男子たちが本当に耳を傾ける言葉」は誰のものなのか、ということだったのです。
佐倉さんも真由さんも……確かに美しく、自信に溢れておられます。ですが同時に、彼女たちは「お洒落に無頓着で、隅にいる男子」を軽んじてこられたのも事実でした。彼女たちの視線に、彼らの居場所はなかったのです。
だからこそ、いま誠意を持って謝罪をしても……男子たちには「上から目線で施しをするだけ」にしか映らない。そんな謝罪は、彼らの心の防壁を、かえって厚くしてしまうだけでした。
私はそっと目を閉じます。そして思い浮かべたのは──ここにいない、あの三人の少女たちの姿でした。
もし星野美月さんのことを思い出すなら……。
彼女は、たとえ相手が目立たない普通の男子であっても、声をかけられれば必ず笑顔で返してくださる人でした。誰一人冷たく扱うことはなく、時には自ら進んでアニメやゲームの話題に加わってくださることさえありました。まるで「女の子だからこうすべき」という枠など、最初から存在しないかのように自然で――。
だからこそ、彼女はクラスの中でとても人望がありました。特に男子たちは、彼女の言葉に素直に耳を傾けていました。その一方で、女子の中には不満を抱く人も多かったのです。美しく、体つきも抜群で、そのうえ性格まで良い。そんな彼女はどうしても目立ちすぎてしまって……。
けれど星野さんは、その魅力を利用して男子の周りにわざといるようなことは、決してなさいませんでした。
むしろ彼女がよく一緒にいたのは藤原さんで、どう見ても星野さんは藤原さんを好いていらっしゃるように私には思えました。ですが、藤原さんの態度はどこか煮え切らず……。あんな完璧な星野さんが、教室の隅にいるような男子を好きになるなんて、とても信じられないと感じる女子も多かったのでしょう。だからこそ、彼女を敵視する女子も少なくはありませんでした。
それでも星野さんは、みんなを「平等な友人」として接してくださっていました。告白さえしなければ、クラスで最も親しみやすい存在だったと思います。
告白して断られた男子がしつこく迫れば……新田さんのように後々痛い目を見ることになるのは明らかでしたから、男子たちは自然と諦めるしかありませんでした。彼らにとって美月さんは、憧れの偶像のような存在だったのでしょう。
もし彼女が諭してくれれば、男子たちは必ず耳を傾けていたはずです。たとえ形だけでも「大人らしく」振る舞おうとして……。
皆さま、こんにちは。
このあと夜の21時にも、もう一度更新がございます!今回は瑛太や美月がクラスに与えた影響について描いた章となっております。
今回の更新では瑛太と美月を中心に、そして21時の更新では凛と梓の物語をお届けいたします。
さらに、その流れの中で勇者である澪が「これからの人生は自分の足で歩み、もはや大衆に盲目的に従うことはしない」という決意を固める、《勇者》としての成長の一幕をご覧いただけるかと存じます。
どうぞ今夜21時の更新を楽しみにお待ちくださいませ!