第62話 :「星野美月:今度こそ、己が信念のままに。目を覚ました決断」— 1
──ぐぅ……。
ゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは、懐かしすぎて胸が締めつけられるような「授業中」の風景だった。歴史の先生が教壇に立って、みんなに授業をしている……。
そういえば私、歴史の授業ではよく眠くなっちゃうんです。だって先生、授業を全然面白くしてくれないから……。教科書をそのまま読んだほうが、まだ効率がいいかもしれません。
窓から差し込む陽の光が机に当たって、私はその窓際の席に座っている。そして手元には開いたままの教科書……きっと私はここに顔をうずめて、眠ってしまったんですね。
先生は問題を読み上げていて、隣の凛はやる気なさそうに授業を聞いていて、梓は欠伸をしながらも、必死にノートに要点をメモしていて……。
全部が、まるで「普通の日常」みたいで……。
「……今回はここ、なんだね……」
自分でも聞き取れないくらい小さな声で、私はそうつぶやいた。
目覚めた場所が学校っていうのは、ちょっと予想外だったけど……でも、そんなことはもうどうでもよくて。私は、これまでに起きた出来事を思い出していた。
うん、覚えてる。ちゃんと覚えてるよ。前回の夢で、瑛太さんが言ってくれたこと……。
「もっと自分の判断を信じていい」「心の声を信じて」「ここは現実じゃない」「この世界を正面から見つめれば、夢の幻境なんかに縛られない」──そう、彼は言ってくれたんです。
私は深く息を吸い込んで、でも少しだけ手が震えてしまった。……どうやって向き合えばいいのか、正直なところ、自信なんてなかったんです。
それでも、私はゆっくりと立ち上がって、カバンを抱きしめるようにして持ち上げました。
こんな突拍子もない行動をしたのに、誰一人として気づかないし、驚く様子もないんです。まるでみんなが決められた動きだけを繰り返すNPCみたいに、ただ「そこにいる」だけ。
だから私は、何の挨拶もせず、先生に断ることもなく、そのまま教室を出ました。
廊下はしん……としていて、私の足音だけが響いていました。
誰も追いかけてこない。先生も、クラスメイトも。まるで、私がここにいなかったみたいに。
三階から一段ずつ階段を降りながら、私は空を見上げました。眩しいくらいの青空で、今日みたいな日はお洗濯日和ですね。
いつの間にか、私は校門をくぐっていました。守衛さんは新聞を読みながら、一度も私に目を向けませんでした。
「……本当に、誰も止めないんだ。この夢の中の人たちって、こんなに無機質だったっけ……?」
ぽつりとつぶやいても、足は止まりません。
私は疑問だらけの胸の内を抱えながらも、それでも「直感」を信じて、前へ進むことにしたんです──瑛太さんが、そう励ましてくれたから。
制服姿のまま、大通りを歩く私。すれ違う人々は私に一瞬だけ視線を向けるけれど、すぐに興味を失ったように目を逸らします。
誰の目にも、生命の光がないようで……しかもみんな静かすぎる。誰も、おしゃべりしてないんです。なんだか……変。
信号の前で立ち止まった私の隣を、自転車に乗ったお巡りさんが通り過ぎていきました。彼の視線も、私に一度も向きませんでした。
私は、ふっと笑いたくなったのに、笑えませんでした。
「やっぱり……ここって、現実じゃないんだね……ふふっ」
胸の奥にずっと溜め込んでいた何かが、ようやく解放された気がしました。
私は、ずっと「ルール」を破ることが怖かった。先生に怒られるのが怖くて、親に心配をかけたくなくて、同級生たちに「子どもっぽい」って言われるのが嫌で……。
だから、授業は絶対にサボらなかったし、自分の意志で行動することなんて、滅多になかったんです。
たとえ風邪気味でも無理して登校したりして……結局、そんな私の様子に気づいた凛さんが、無理やり保健室まで連れて行ってくれたこともありました。今思えば……あの頃の私って、本当に子どもでしたね。
でも──今の私は、初めてルールを破る選択をしたんです。
誰かの期待に応えるためでもなく、スキルに導かれたわけでもなく、ただ、自分の意志で。今回の「授業をサボる」という行動も、私にとっては大きな意味がありました。
──私は、本当に覚悟できたのか。自分の選択を信じる勇気があるのか。それを、確かめたかったんです。
今の私は、もう誰かに引っ張ってもらうのを待つだけの、受け身な存在じゃありません。自分の足で、前へ進むことを選んだ、「開拓者」です!
壁の時計を見ると、針は午前九時を指していました。
この時間、本来ならまだ授業中のはず。でも、私はすでに家の近くの公園まで来ていたんです。
ベンチに座って、制服の裾とスカートのすそが風に揺れるのを感じながら……誰にも邪魔されず、悪意もないこの空間で、私はしばらく目を閉じました。
手のひらは、まだ少し震えている。でも──心は、驚くほど澄んでいました。
この数週間ずっと胸に残っていたもやもやが、すーっと晴れていくようで……これが、「自由」ってやつなんですね。
誰かの言葉に縛られない。
世間の評価に惑わされない。
他人に自分の価値を決めさせない──本当の、自由。
ずっと……あの悪魔に押し潰されてきた私の心が、ようやく解放された気がしました。
「瑛太さん……ありがとう」
私は空を見上げた。まるで彼がすぐ近くのどこかで、私に微笑んでいるような気がして——見渡す限りの青空は、まるで自由そのものみたいに広がっていた。
この前まで、私はずっと下を向いていた。孤立して、いろんなことに疲れて、ただ足元ばかり見てた。
でも、今の私は顔を上げて、空に手を伸ばしている。ふわふわと浮かぶ、かわいらしいお花の形をした雲をつかまえるみたいに。
(もう……あんな悪意なんかに負けたりしないんだから)
よし、休憩も終わったし、また出発しよっかな。目的地が分からなくても、気ままに歩けばいい。瑛太さんがここにまた来るには時間がかかるって言ってたし、それまでにこの夢の世界をもう少し探索して、真実を見つけたいなって思う。
私は記憶の中にある道を歩いていく。放課後に友達とよく寄り道した交差点を通り過ぎて……
(あっ、商店街に行ってみようかな)
そんな思いつきがふと頭に浮かんだ。新しくできたクレープ屋さんがあって、前から気になってたんだ。もしおいしかったら、瑛太さんたちを誘って一緒に行こうと思ってたのに……その時のことを思い出して、足取りが少し軽くなった。
だけど、しばらく歩いてると——なんだか、様子がおかしい。
10分くらい歩いたはずなのに、目の前に広がっていたのは商店街の看板じゃなくて……
「……学校……?」
私は立ち止まり、真っ白な校門を呆然と見つめた。
「う、うそ……?!」
確かに反対方向に歩いてたのに、どうして戻ってきてるの……?
眉をひそめ、胸の奥にじわっと広がる不安を振り払うように、私はくるっと向きを変え、今度は駅の方向へと足を進めた。この夢の中で、私はもう十分学校に閉じ込められてた。今の私は、この世界のことをもっと知らなきゃいけないんだ!
道沿いの建物は、記憶と一致していた。コンビニ、図書館、古びたお店……全部、私が知ってる風景。違和感は感じない、そう思っていた——
駅のマークが見えた瞬間、私はほっと息をついた。
「……よかった。ここはちゃんとしてる」
階段を降りて、改札前に立ち、学生用の定期券を取り出して読み取り機にかざした。
——でも、
「ピンポン……!」
機械的な拒絶音と共に、赤いランプが点灯した。
ゲートは、開かない。
もう一度試す。でも結果は同じ。
「え、私の定期……壊れちゃったのかな……?」
私は不安になって窓口の方を見たけど、そこには誰もいなかった。ガラスの向こうには、人影すらない。
……違う。違うよ……今さら気づいたけど、今回の夢、前回の夢とは根本的に違ってる!
私は思わず数歩後ずさり、公園に行こうとして、今度はバスに乗って街を出ようとした。
けれど——どのバスも、私の目の前を素通りしていく。
運転手は私の存在に気づいてすらいない。バスはただ走っているだけ。誰も降りないし、誰も乗ってこない。
私は思わず走り出した。バスがスピードを出す前に、ドアを叩いた。
「待って──!」
けど、何の反応もなかった。まるで、私はこの世界に存在してないみたいに。
バスは加速して去っていく。私はひとり、静かな街の真ん中で、肩で息をしながら立ち尽くしていた。やっぱり、この世界……おかしい。
バスの中をよく見た時、私は気づいてしまったんだ。どのバスも——中にいる人たちが、全部、同じだった。
赤いコートを着たおじさん、遊んでいる子ども、窓際で外を眺めるおばあさん——全部、同じ顔、同じ服。
(まるで……ゲームの中の使い回しの3Dモデルみたい……)
現実味がない。それに、前回の夢とは違いすぎる。前は時間が経てば、異世界のことなんて自然と忘れていったのに、今回は……
私はまだ全部、覚えてる。
瑛太さんがどうやって私を助けてくれたのか、この世界にどうやって来たのか……その全部を。
私は走った。この世界の正体を知りたくて、ただがむしゃらに道を駆けた。走って、走って、たどり着いたのは……見覚えのある、小さな商店。
そして、その角を曲がると——
「……うそ、また……ここ……」
私の家に、戻ってきてしまった。
逃げようとしたはずなのに。どこか遠くへ行こうとしたはずなのに。どうして……?
私は、どんなに歩いても、学校と家の間しか移動できないみたいだった。
(まるで、夢の中の私は……「学校に通って、家に帰る」子供っていう役割に、閉じ込められてるみたい……)
私は公園のベンチにへたり込んだ。さっきまで晴れてた空は、いつの間にか灰色に染まりはじめていた。
膝を抱えて、空を見上げる。
「……これって、目が覚めてるって言えるのかな……? 私って……ただ、この偽りの世界に閉じ込められた操り人形なの……?」
あんなに勇気を出して、授業をサボって、夢の台本を無視しようとしたのに……
私は顔を上げた。けれど、そこに何も見えなかった。
風だけが、耳元を静かに吹き抜けていった。
私は自分の身体をぎゅっと抱きしめた。胸の奥が、ちくりと痛んだ気がした——