第61話 :「星野美月:奈落の底より目覚め、諦めを知らぬ不屈の意志」
《どれくらいの時間が経ったんだろう……》
放課後の校舎、夜が近づいてきていて、辺りは真っ暗だった。私は教室の一番後ろの隅で、膝を抱えて小さく丸まっていた。
誰もいない教室。窓の外では、風に揺れる木の影がまるで怪物みたいに揺らめいて……耳に響くのは、瑛太さんとの過去の思い出ばかり。
たまたま一緒に登校できた日のドキドキとか、
私のお弁当を「美味しいね」って笑ってくれたあの昼休みとか……
ふたりで素敵な絵を見つけて、共有してはしゃいだ、あの時のワクワク……
どれもこれも、すごく優しい記憶なのに。
なのに――最後には必ず、こんな声が被さってくるの。
「うざいんだけど」
「話しかけないでくれる?」
「別に、お前のことなんか好きじゃない」
――ちがう、ちがうの……!瑛太さんはそんな人じゃ、ないのに……っ
「ちがうよ……そんなこと、言わない……言うわけない……ここ、どこなの……?」
耳を塞いで、頭を振っても、声は止まらない。
私の心の中、全部にひびが入っていく……
でも、もっと、もっと傷ついたのは……
凛まで、私を笑って、嫌って、バカにしてくること。
なんで? どうして?
私たち、親友だったじゃない……!
中学の頃から、ずっとお互いの毎日を話して、嫌なことも、好きなことも共有して……誰よりも心が通じ合ってた――って、思ってたのに。
私は、ほんのりとだけど、思ってたんだ。もしかして、私たちの絆って、ただの「友達」っていう言葉では言い表せないものなのかもって。
でも、今の凛は、あの「藤原瑛太」の隣に立って、私には冷たくて……
最初は「馴れ馴れしい」って言われて……
その後は、知らない人みたいに扱われて……
まるで、瑛太さんのストーカーみたいな目で見られて……
それ以来、私はただ遠くからふたりを見つめるしかなくなってしまったの。本当に、苦しくて、辛くて、痛くて……どうして、こんなことになっちゃったの……?
大好きだった親友に拒まれたから?
大切な人に振られたから?
世界に見放された気がして、もう何も救えないって思ったから?
私の胸には、巨大な石みたいなものがのしかかっていて……もう、自分の重さじゃ支えきれないの……息もできないくらい……こんなに、ひとりぼっちで……こんなに、無視されてる感じ……
――はじめてなの。
昔の私は、友達なんてひとりもいなかった。凛に出会うまでは、ずっとひとりだった。女の子たちには嫌われて、避けられて、友達の輪に入れてもらえなかった。
嫌われてたから、仲間外れにされても「まあ、そんなもんか」って、どこかで諦められたし、たまに寂しくなっても、こんなに……苦しくなんてなかった。
でも、今はちがう。
知ってる人に拒まれるって、好きな人に避けられるって……全然ちがう……心が、壊れちゃいそうなくらい、痛いの……
私の心はね、ざらざらの手で破られた紙みたいに、ビリビリに裂けて……もう、何も支えられなくなって……立ってるのもつらいの……
梓……もしかして、あなたが崩れてしまった理由って、こういう気持ちと向き合ってたからなの……?あなたが何を抱えてたのか、私にはちゃんとはわからない。
でも、きっと瑛太さんは、あなたの寂しさに気づいて、優しくしてくれたんだよね……だから、いつも話しかけてくれてたんだよね……?
私……やっぱり、あなたのこと……嫉妬して、羨ましくて、ずっとずっと――嫌いだったの。
瑛太さんが、私だけを見てくれてたらいいのにって……
私だけを大切にして、私だけのために笑ってくれたらいいのにって……!
私の世界は、私だけの瑛太さんで満たされてほしかったのに……っ!
……でも、でもね。
こんなふうに無力で、無力で、どうしようもなくて……
こんなに圧迫されて、息もできない気持ちになると……
私、私もきっと、あなたと同じようになってた。
やっともらえた愛情を、大事にして、
やっと信じられた優しさを、離したくなくて、
瑛太さんの温かさに、すがりついてしまう。
あのときの私は、心の中であなたを「狐みたい」って思ってた。
あなたが狐に転生したと聞いて、
「あぁ、似合ってる」って……ちょっと思っちゃった。
――ひどい、よね。
最低、だよね。
私、そんな風に思っちゃって、本当にごめんなさい……
瑛太さんが、傷ついたあなたを抱きしめて慰めてたのも……
私、あの時、ただただ嫌だった。
自分が抱きしめられたわけじゃないことに、嫉妬してた。
私の恋心、こんなにも、醜いなんて……
……
……え?
でも、待って。
瑛太さんが梓を抱きしめたのって……いつ……?
どこで……そんなこと、あったの……?
……今、私の中の何かが――壊れた。
この胸の痛み……これは絶対に、ただの夢なんかじゃない。幻でも、勘違いでも、ごまかしでも……済まされることじゃない!
やっぱり……私だけが間違ってたんじゃない……この世界、何かがおかしいの!
どうして、私の記憶はこんなにバラバラなの……!?
どうして、全部ぼやけて、思い出せないの……!?
どうして、私だけがこんなに苦しまなきゃいけないの――!?
お願い……お願いだから……
誰か……私を、助けてよ……
瑛太さん……
私の知ってる、優しい瑛太さん……
女の子にベタベタしない、真っ直ぐな瑛太さん……
ずっと、私の側にいてくれた、あの瑛太さん……
どこにいるの……
どこに、いっちゃったの……!?
いつの間にか、目の前に現れたのは、「藤原瑛太」……でも、その姿は確かに見覚えがあるのに、どうしても……どうしても別人のように感じられた。
彼は教壇に立ち、どこか冷たい目で私を見下ろしていた。
「……お前、ずっと俺について来てただけだろ?どうせ他に誰もいないから、俺を避難所代わりにしただけなんじゃねぇの?お前なんか、俺にとって……全然、大事な存在じゃない。」
「そ、そんなの……違う、違う……!こんなのおかしいよ……!」
認めたくない、受け入れたくない。だってこんなことを認めちゃったら、瑛太はきっと「私が現実から逃げてる」って思っちゃう。それだけは、絶対にイヤなのに……!
「ち、違う……あなたは瑛太じゃないっ!……あたしの知ってる瑛太は、こんなこと絶対言わないっ!」
「何言ってんだよ、俺は藤原瑛太だろ。お前が弱すぎて、自分が凛や梓に劣ってるのを認めたくないだけだ。まあ、あいつらがいれば、お前なんか必要ない。だから、もう……消えろ。」
──パァンッ!
その瞬間、黒板が音を立ててひび割れ、教室全体が崩壊していく。闇が、全てを飲み込もうとしていた。
私は必死で走り出した。でも、崩れた廊下の端で足を滑らせてしまった。バランスを崩して、身体が深い深い闇へと吸い込まれていく……!
(ああ……遅かったんだ、私……。気づくのが遅すぎた……全部、私が悪いから……瑛太、ごめんね……)
──でも。
すべてが終わる……その直前。
廊下の奥から、誰かの足音が聞こえた。走ってくる音。だんだん……近づいてくる音。
……遅いよ、もう遅いの。私、もう抜け出せない。まるで、ブラックホールに吸い込まれていく光みたいに――
教室の扉が、バァンッと勢いよく開かれた。
「美月!! おい、大丈夫か!!」
──ドンッ! その瞬間、闇の中から伸びてきた手が、私の手をギュッと掴んだ。
「……もう大丈夫だ。俺が見つけたからな、絶対に離さねぇよ。」
聞こえてきたその声は、どこか不気味で……機械的な電子音混じりだったのに、なぜだろう。言葉のひとつひとつが、ボロボロの私の心を……温めてくれた。
その手は、ぐいっと私を引き上げてくれて……私は、暗闇から救い出された。
「ありがとう……えっと……あの、助けてくれて……」
少しだけ落ち着いた私は、お礼を言おうとして……気づいてしまった。
「……ゾンビ、だ……ひ、ひゃああああああっ!? か、怪物ぅぅぅぅっ!!」
咄嗟に、その手を振り払った。でもその瞬間……怖いはずなのに、心のどこかが……ちょっとだけ痛かった。
「……あ、美月。俺だよ、どうして……」
怪物がしゃべった……!? でもその声は、電子音が混ざっていて余計に怖くて。
「ち、近づかないでぇっ!! か、怪物っ……!」
身体に力が入らなくて、足が動かない。私は手を使って、必死に後ずさりした。
「はぁ……クソ、やっぱり迷宮の仕業か……。いや、きっと俺の《声》だけをいじられたんだな。まあ見た目は死体だし、怖がられて当然か……」
彼は小さくつぶやいていたけど、私はもう必死で、聞き取れなかった。
「……美月、俺……」
「美月、大丈夫か!? 俺が守る、後ろに下がって!」
そのとき、「藤原瑛太」が駆け寄ってきた。私を庇うように、目の前に立ちはだかる。
……でも、おかしい。どこか、おかしいの。
(どうして……どうして怪物から逃げるっていう《当たり前》の行動なのに、こんなに……胸が痛いの? どうして、瑛太さんに守られてるのに、こんなに……こんなに腹が立つの?)
「落ち着けって、美月。俺は……」
「美月にこれ以上近づくな! この怪物! これ以上来たら、容赦しねぇぞ!」
「うるせぇよ。」
怪物が、その場を圧するような声で、「藤原瑛太」を睨みつけた。
「な、なんだと、この野郎!」
「うるせぇって言ってんだろ、耳ついてんのか? 俺は今、美月と話してんだ。お前に話しかけてねぇんだよ。黙ってろ、どっか行け。」
「行くわけないだろ! だって、俺の後ろには美月が──」
「美月、美月、美月って……うるっせぇな、てめぇはオウムかよ。消えろ((神聖打撃))!」
ドゴォッッ!
その瞬间、怪物の掌に浮かんだ光球が、「藤原瑛太」を吹き飛ばした。
暴力的で、口も悪くて、見た目も怖くて……どう見ても“怪物”。
でも、でも……
(……どうして……安心してるの、私……)
もう、ダメだ。私はきっと壊れてしまった。学校でゾンビを見てる時点で、もうおかしいんだ。「藤原瑛太」が吹き飛ばされたのに、嬉しくなっちゃうなんて……。
私、自分の心が……もう全然、わからないよ……。
教室に漂う無機質な空気に、違和感がさらなる深みを帯びていった。
――でも、ふたりは気づかない。私の深い混乱も、揺れる心も、まるで見えていないように。
「お前さ、情報聞き回ってようやくここに来たんだろ?
それなのに、美月にそんなひどいことしておいて、《美月》だって……
気持ち悪いな。本当に『悪魔』ってやつだよ。(神聖十字の封印)」
――突然、教壇に光が差し込むような──
神聖な十字架が「藤原瑛太」の胸に焼きつくように降り注いだ。
「うっ……痛い……っああああ!! てめぇ、この畜生がっ! 成功直前に邪魔しやがって!」
「ようやく本性さらしてくれたか、悪魔。ま、どうでもいい。
そのまま俺の神聖魔法に押さえつけられてればいい。
次に口答えするなら……今殺せなかったとしても、地獄を見せてやるからな。」
――でも、なぜかわからない。
この「藤原瑛太」は明らかに──いつものやさしい人ではなく、威圧的で攻撃的で――
この人、絶対瑛太さんではない。
「美月……時間がない。だから、手短に言う。ここは――現実じゃない。」
「な、何言ってるの……?」
「ここから逃げ出す方法は、ただ一つ、お前の《決意》だけだ。
お前が離れたくないなら……俺に連れ出すこともできない。
それに、今の――お前にはもう外へ出る力はない。」
「誰、あなたは!? 何がしたいの? ここは私の学校で、大切な《家》……どこへ行けっていうの!?」
心はぐちゃぐちゃに混乱していた。
現実じゃない? でも、物はそこにあるし、音も触覚も痛みもある。
もしこれが夢なのなら、じゃあ夢じゃないものって……なに?
「美月、わかってるよ。今、君は俺の事を信じる事が出来ないだろう?そして、君は自分を信じられないんだろ?」
「し、自分を信じるって……?」
「だけど――美月、落ち着いて聞け。お前はよくやってきた。
この隔離された世界で必死にしゃにむに、歯を食いしばって生きてきた姿……
俺は誇りに思うよ。ほんとに……よくやってる。お前なら、誇っていい。」
その言葉を聞いたとき、小さな胸の奥がほっと温かくなった。そして涙が、ぽろぽろとこぼれてしまった。
「だから、聞けよ。俺はお前が怖いのも、苦しいのも、全部わかってる。
だからって……痛みを避けるな。逃げるな。
向きあえ……自分と、そしてこの世界と。」
「どうして? 苦しいの事を避けるのは、人間の本能じゃない? 幸せに生きたいって思う気持ちは、本能じゃないの……?」
「それだけじゃないんだよ、美月。理由は……簡単だ。
お前には今、他者を《信じる力》がもう、残ってない。」
「そ、そんなこと……私は、信じてる……!」
「お前、もう隠さなくていい。
記憶が混乱してるから、俺や凛を頼りにしたいのだろ?
だけど、俺も凛も、お前に冷たい仕打ちをした。
お前が《俺たち》を信じられなくなるのは、当然だ。」
すべてを見透かされたようで――でも、それが本当に痛かった。
「だから、今の俺の言葉は、ひとつだけ……自分を、信じろ。」
「自分を――?」
「そうだ。俺はずっと前から、気づいてたんだ。
お前が自分の判断を信じていないってことを。
いつも、俺や凛に“どうしたら?”って聞いてばかりで――
それ、自分を信じないってことだろう?」
「なんで、そんなに私のこと、知っているの……? あなた、本当に瑛太さんなの?」
「美月、たとえ俺が“瑛太”とだけ言っても、それで満足できるとは思えない。
でも時間が、もうない。だから伝えておく。
自分が――信じられるのは、自分だけだってことを。
藤原瑛太が信じられないなら、信じるな。
凛が裏切る気がするなら、信じるな。
記憶が曖昧なら、信じなくていい。
ただ、一つだけ……
自分の心だけは、信じろ。
その力があれば、お前はここを、乗り越えられる。
必ずな。」
私の中の痛みがなぜかふっと和らいだ。怖い、混乱してるけど――
この言葉が、なぜか救いのように響いた。私……もう少しだけ、がんばれるかもしれない。
「瑛太さん! 瑛太、一緒にいてくれないの!? お願い……私を、ここから連れ出してっ!」
叫んでも叫んでも、彼の姿は少しずつ遠ざかっていく。
だけど――そのとき。
「美月、俺はまた来る。現実世界では二時間かもしれない。でも夢の中では、何日か、何年かもわからない。だから、美月。お前は……自分を信じろ。そして、俺が必ず戻るってことも、信じててくれ。」
「瑛太……どこに行くの……? 私を、一人にしないでよ……!」
「……くそ、時間か……っ。
あの野郎を押さえつけるのに魔力を使いすぎた……もっと一緒にいられたのに。
美月、お前はひとつ勘違いしてる。
お前は、ずっと一人なんかじゃなかった。俺が、いた。
ずっと……心は繋がってたんだ。
外からの干渉さえなければ、ずっと俺の存在を感じていられたはずだ。
だから、お願いだ……諦めるな。
お前の《本当の気持ち》を捨てないでくれ。
自分の感覚を、自分の判断を信じろ。
そして、信じてくれ。俺は――必ず、また迎えに来る!」
……そうだったんだ。瑛太さんは、ずっと私のそばにいてくれたんだ。そうだよ……ちゃんと、覚えておく。私、忘れない。
「絶対……絶対また来てね! 瑛太さん!!」
「――ああ! 絶対、迎えに来る!!」
その声と共に、「藤原瑛太」は再び立ち上がった。そして、彼の姿は消えた。
そうだ。私、もうわかったよ。あれは……あれは瑛太なんかじゃなかった。あの人の姿を使って、私の心を壊そうとしてた悪魔だったんだ。
《あぁ〜、面倒くさいな〜。まさかあいつ、夢の幻境にまで割り込んでくるとは思わなかったよ〜。
……また一からやり直しか〜。》
「……貴様……やっぱり、瑛太じゃないわね!!」
《うん、正解〜。でもさぁ、君もなかなかやるよ?
普通なら、記憶はとっくに全部消えてるし、
この世界の違和感なんて気づけるわけないのに。
君はずっと、引っかかりを抱えて、自分を保ってた。
本当に……面倒な子だよ。》
「そんなの関係ないわよ……っ! 何もかも、思い通りになんてさせない!」
《はははっ、ムリムリ〜。君の“弱点”はもうバレてるんだよ。次にこの世界を再起動したら、もっと早く君の心を壊してみせる。そしたら、あのバカも助けに来る暇なんてないだろうし?》
「ふ、ふざけないでよっ……! 私があんたなんかに屈するわけない!瑛太が……瑛太が私を信じてくれたの。だったら……私はもう、負けない!!」
悪魔は薄ら笑いを浮かべながら、右手を高く掲げた。
黒い魔力の塊が、空間を引き裂くように広がっていく……!
――そして。
「あっ……あああああ……っ!」
頭の中に、電流が走ったみたいに……何かが、ぶわっと広がった。
……思い出した……!
私、思い出したんだ……!
忘れてた、大切なこと。
異世界に行ったこと……!
瑛太さんと、凛と、梓と……戦って、泣いて、笑って――
私、あんなにも、大切な時間を……忘れてたなんて……!
だけど……今は立ち止まってる時間なんてない。
このままじゃ、また全部……忘れちゃう……!
黒い魔力が、世界を飲み込んでいく。
まぶたが重くて、意識が遠のいていく。
……また、あの悪夢の輪廻に堕ちるの?
でも、違う。
今度は――違うんだよ……!
瑛太さんが、私を目覚めさせてくれた。
あの人の声が、心に残ってる。ちゃんと、届いてる。
だから私、絶対に信じる。
自分の心を……自分の感じたことを……!
そして、必ず――この世界を、突破してみせる!!
皆さま、こんにちは。
美月の夢の続き、楽しんでいただけておりますでしょうか?
彼女の葛藤、そして世界に立ち向かう勇気を、少しでも心に響かせることができたなら嬉しく思います。
次回は、明日の12時と21時に更新予定です。
美月がいよいよ現実の世界へと戻る大切な一話となりますので、ぜひご期待ください!