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第59話 :「美食の残香に誘われ、欺瞞の平穏と、破滅を待つ安息」

 ……うん。彼女たちの表情を見れば、一目で分かる。オークの肉なんて、やっぱり無理そうだな。


「ふざけないでよ、瑛太君っ!あんなの、食べられるわけないでしょ!」


 凛が怒気を孕んだ声で叫ぶ。


「そうだよ、瑛太。いくら人間じゃないって言っても、あの《人に似てる何か》を食べるのはちょっと……」


 梓も優しく、けれどはっきりと俺の意見に反対してくる。


「……いやいや、君たちの方こそ、ちょっと偏食すぎないか?美月はゴブリンの肉は生ゴミの匂いがするとか、狼の肉は獣臭すぎるとか、ゾンビの肉は腐ってるから論外とか……俺、もうその中で一番《食材っぽい》やつを選んだんだよ!?美月、お前も正直に言ってみろよ。オークの肉、味だけで言えば、ただの豚肉と変わらないだろ?」


「……う、うん、味はそうなんだけどね……」


 美月が気まずそうに答える。


「でもさ、瑛太君……オークって、やっぱりちょっと……その、倫理的に問題あるっていうか……精神衛生上、よろしくないよね……」


 凛が視線を逸らしながら言う。


 ……やれやれ、俺だってそこは気を使ってるよ。ただ当時は美月しかいなかったから、あえて言わなかっただけだ。


「じゃあ、こう考えてみようか。凛、君たちは第二層に来るまでに魔物と戦ったって言ってたよな?中には狼型のやつもいたんじゃないのか?」


「いたけど……それがどうかしたの?瑛太君?」


 凛の表情が、嫌悪から困惑に変わる。


「それで、君は狼の肉は食べられるって思う?」


「うーん、たぶん食べられると思うよ?オークの肉よりはマシだし……。僕は野性味のある狼の方が、まだ……」


 ふふふ、よし……凛の回答、いただきました!


「でもさ、よくよく見ると、あの狼って、ハスキー犬に似てなかった?そういう訳で、狼を食べる事は実にハスキーを……」


「……や、やめて!!ストップ、瑛太君!それ以上言ったら、もう完全にアウトだからっ!!」


「そうだよ、瑛太!あたしたちが、わんちゃんをたくさん殺して、食べてるなんてこと言う気!?そんな訳ないでしょ!あいつらは魔物!危険な存在!犬とは全然違うんだからっ!」


 梓が震える声で全力否定する。


「うんうん、梓の言う通り。そうだよ。あれは危険な生き物なんだから!人を襲うし、人を食べるかもしれないし!ハスキーは違う、犬だもん!人の友達で、ペットで、パートナーで……!」


 美月が梓に便乗して力強く補足する。


 ……ふふっ、いいぞ。三人とも、しっかり言質とれたな。


「ははは、みんな落ち着いて。つまり、君たちは《狼と犬は違う》って主張するわけだな?」


「そうだよ!比べちゃダメ!」


「なら、オークと人間も違う生物ってことだろ?オークはただの危険な魔物。狼が食べられるなら、オークもいけるだろ?」


「そ、それは……」


 凛が口ごもる。ふっ、論破だな。


「もうやめなよ、凛。この手の話で瑛太さんに勝てる訳ないんだから……」


 美月が肩をすくめながら、諦め気味に言った。


「美月……今まで一人で瑛太の詭弁と戦ってたの?本当にお疲れ様。うん、理屈ではそうでも……やっぱり感情的には、あの見た目の肉は無理だよね……」


 梓が静かに美月に共感を示す。


 ……あの、皆さん?俺、まだここにいるんですけど。聞こえてますけど?


「とにかく、俺が言いたいのはさ、見た目が似てるからって、同じ生き物とは限らないってこと。だから俺らは人肉を食べてるわけじゃないんだから、そんなに心配するなって!ほら、君たちの精神衛生のために、ちゃんと処理しておいたんだよ。見てくれよ、このオーク肉。三枚肉みたいに脂と赤身が層になってて、普通の豚バラ肉とそっくりだろ?」


 俺は美月が寝ている間にコツコツと下処理しておいたオークの肉を取り出す。ゾンビになったからこそできた作業だが、もし俺が普通の人間だったら、絶対にこんなこと無理だっただろうな……。


 見てくれ、この白い脂身、そして薄紅の筋肉層――完璧な三枚肉だ。これをサクッと揚げて、焼き肉のタレをかけてご飯と一緒に食べたら、絶対に美味しいカツ丼になるぞ!


「……見た目は、確かに豚肉っぽいね……」


 凛が渋々と呟く。


「でも、あのヤツの肉って思うと……なんか、吐き気が……」


 梓が顔をしかめて言う。


「はいはい、君たちはそこでおとなしく待っててくれ。文句は後で聞くから、今は偏食せずに、ちょっと我慢して食べてもらうよ。じゃ、準備するから――」


 俺はそう言って、いつもの料理道具を取り出す。……この世界で生き残るためには、どこかで妥協が必要なんだよ、まったく。


「ん?瑛太君、ご飯作るつもりなの?」


「当たり前だろ、凛。手もない猫になった美月がどうやって料理するんだよ?」


「瑛太、料理するのは分かったけど……本当にできるの?学校の時、お弁当なんて持ってきたことなかったでしょ?」


 梓が心配そうに口を挟んでくる。俺は自信たっぷりに答えた。


「俺は料理できるよ。ただ、平日は色々と忙しくて朝に弁当を作る余裕がなかっただけだ。妹も料理が下手だから、弁当は作ってくれなかったし、両親も共働きでさ。だから昼飯はいつも適当に済ませてた。でも、夕飯は基本、俺が担当してたんだぜ?」


 そう言っても、梓はまだ納得いってない顔をしてた。すると、横から美月が静かに近づいてきた。


「まあまあ、梓。ここは瑛太さんを信じましょう。彼の料理は本当に美味しいですよ?少なくとも、魔物の肉とは思えないくらい、ちゃんとした味になりますから。」


 美月の援護射撃が心強い。


 俺は用意していた調味料を取り出す。ちなみにこれらの調味料は、宝箱から手に入れた本を元に、魔法陣や錬金術を使って迷宮や魔物から集めた素材で合成したものだ。


 料理の手順は単純だ。まず、美月に頼んで水魔法で綺麗な水を石製の鍋に注いでもらい、それを沸騰させる。


 次に、さっき捌いておいたオークの肉を鍋に入れる。


 俺は塩苔、迷宮ハーブ、そして胡椒に似た種の粉末を混ぜた調味粉を取り出し、かき混ぜながら鍋に振り入れた。香りがふわりと立ち上がり、肉の脂がスープに溶け込み、黄金色の油膜が浮かぶ。


 肉の厚みを軽く指で押しながら、戦闘ではもう役に立たない骨のナイフで肉を裏返す。ジュッという音が響き、鍋底にはいい感じの焦げ目ができていた。これこそ、俺の記憶にある「家庭の豚角煮丼」の核心部分だった。


 数分後、普通だけど旨味の詰まった煮込みオークポークが完成した。三人分の肉を皿に盛って、それぞれの前に出す。


「瑛太君、ほんとに料理できるんだ……意外だったわ。」


「まさかね、瑛太。てっきり絵しか描けないタイプだと思ってたのに。」


「凛、レシピ通りに作れば、料理なんて誰でも多少はできるだろ? それに梓、俺は絵しか描けないバカじゃねぇからな。」


「うん、ごめんごめん、瑛太君……まあいいや。これ以上考えても無駄だし、干し肉にも飽きたし。いっただきまーす。」


 凛は皿の上の肉をじっと見つめた後、観念したように一口パクッと食べた。すると——


「うわ、なにこれ!?めっちゃ美味しいじゃん!瑛太君!豚肉ってもっとパサついてるイメージあったけど、めっちゃ柔らかいよ!」


「褒めてくれてありがとな。うちの妹、口がめっちゃうるさくてさ。ちゃんとした味にしないと文句言われるから、自然と料理も上達したんだよ。」


 その様子を見ていた梓も、香ばしい匂いに惹かれて、ついに手を伸ばす。そしてナイフで肉を切り、一口。


「な、なんでこんなに柔らかいの……?さっき振りかけてた粉、あれのおかげ?ただの肉の味じゃなくて、臭みもなくなってるし……。まさか、胡椒も使ってる?」


 そう言いながら、梓の目にはうっすら涙が浮かんでいた。


「梓、泣くほどのもんじゃねぇって。普通の料理だよ?」


「ううん、瑛太さん。本当に、美味しいよ。……あの肉がどこから来たものか知らなければ、ね。いつも料理してくれて、ありがとう。」


 美月が、静かに礼を述べた。普段は素材に対して文句を言ってばかりだったけど、料理自体には不満なんて一度もなかった。


 俺も、初めて心から妹に感謝した気がした。もしあいつがいなかったら、ここまで料理の腕を磨こうとも思わなかっただろう。


 もし俺が料理しなかったら、彼女たちはあの味気ない干し肉だけで過ごしてたかもしれない。でも今、三人ともこの料理を味わって、明らかに表情が柔らかくなっている。


 よし、士気が上がるのはいいことだ。気持ちさえ整えば、きっとこのイジワルな迷宮だって乗り越えられる。


 第一層が罠まみれのクソ迷宮だったように、第二層もきっとただの「恐怖の回廊」だけじゃ済まない気がする。


 だから、休めるときにはちゃんと休む。心を和ませる時間は、絶対に無駄じゃない。


 俺は三人が楽しそうに食事をする様子を、そっと見守っていた。彼女たちの笑顔を見ているだけで、さっきまでの重苦しい気分がすっと晴れていく気がした。


 彼女たちが満腹になったあと、俺たちは久しぶりに、まるで日常のような静かな休息を取ることができた。


「……眠いなあ……」


 一番に欠伸を漏らしたのは梓だった。頬杖をついたまま、瞼は今にも閉じそうで、俺の方を見る視線もふわふわと定まっていない。


「ん……梓だけじゃなくて、僕もちょっと……疲れてきたかも」


 凛も肩を軽く揉みながら、小さくあくびを噛み殺していた。


「たぶん、ちゃんと休めたのってすごく久しぶりだから吧。私も急に眠くなってきちゃった。この部屋って、きっと迷宮の中でも数少ない安全地帯だよね。今のうちに寝ておかないと損かも」


 美月は微笑みながら、いつも使っている柔らかいマットに身体を預け、ごろりと横になってふかふか感を確かめていた。どうやらもう、寝る準備万端のようだ。


 俺はもう一度、今いる部屋の様子を見渡した。灰色の石造りの空間には、魔力の流れは一切感じられず、魔物の気配もない。壁にはぼんやりと輝く結晶が埋め込まれ、外よりもほんのり暖かい。まるで……女神(ルナリア)様が特別に用意してくれた避難所のような場所だ。


「……よし、それじゃあ少し休もう。俺は眠らなくても大丈夫だから、見張りは任せてくれ」


 三人は軽く会釈して、それぞれ寝やすい場所を見つけて横になった。美月は丸くなって猫のように静かに眠り、凛は刀を握ったまま警戒心を解かずに、けれど穏やかに呼吸している。そして梓は……完全に気を緩めて、眠る直前にも「晩ご飯おいしかったなあ……」と小さく呟いていた。


 俺は三人のそばに座り、背を壁に預けて膝を抱えるように座り込んだ。彼女たちの呼吸のリズムが徐々に落ち着いていくのを感じながら、胸が微かに上下する様子をじっと見つめる。


 ……けど、俺の頭の中だけは、なかなか静まってはくれなかった。


(……何か、警戒すべきだろうか?)


 そう思いながらも、この部屋には確かに敵意はない。魔力の揺らぎも一切感じない。


 ……まぁ、時間を無駄にするのも嫌だし、せっかくだから持っている魔導書でも読んでおくか。新しい知識が得られるかもしれないしな。


 時間はゆっくりと過ぎていった。俺のスキルは時間の流れをある程度感じ取れるようになっていて、今は外の世界でいうところの午後十時頃。彼女たちが眠ってから……四時間と十七分が経過していた。


 ……なのに。


 誰一人として、目を覚まさない。


 俺はゆっくり立ち上がり、美月の傍に歩み寄った。そしてそっと、声をかける。


「……美月?」


 反応は、ない。眉がほんの少し寄っていて、まるで何か悪い夢でも見ているかのように表情が曇っていた。


「美月……おい、美月」


 もう一度、少し声を大きくして呼んでみるが、それでも彼女の瞳は閉じられたまま。体は微動だにせず、まるで深く……いや、異常に深く眠っているようだった。


(……まさか)


 嫌な予感が、背筋を冷たく撫でていった。


(何か……起こっているのか?)


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