第25話 :「第一層迷宮のボス戦、と急襲する危機」
十分な休息を取った後、俺たちはいよいよボスルームへと足を踏み入れた。
そこは不規則にねじれた石壁に囲まれた洞窟のような空間で、土色の壁面がまるで山の中腹に開いた天然の穴のようだった。ただ、その中央に立つ一つの異様な存在が、この空間に不釣り合いな緊張感を与えていた。
――迷宮第一層のボス、《腐朽泥沼の主》。
それは濁った泥水と腐った植物で構成された巨大なスライムのような存在で、体の中にはところどころに錆びた武器の破片や腐食した骨のようなものが見え隠れしている。顔らしきものは無いが、ただ泥の表面に浮かぶ緑色の発光する「目」だけが、異様にこちらを見据えていた。
「(森羅万象)、解析開始!」
スキルを起動すると、俺の視界に情報の流れが展開される。
《腐朽泥沼の主》
【種族】:Dランク・泥沼スライム種
【スキルリスト】:
◆Dランク:(腐食接触)── 触れた対象に継続的な腐食ダメージを与える。 (再生)── 負傷後、短時間で自動回復する。
◆Eランク:(鈍化のオーラ)── 半径10メートル以内の敵の移動速度を低下させる。
「弱点は火と氷。特に急激な温度変化に弱い! 物理攻撃はあまり効かない!」
すぐさま脳内連絡で星野に伝える。星野は首を傾げながら琥珀色の瞳を瞬かせ、彼女の視界にも情報が投影されているようだった。弱点情報は文字でなく、炎と氷のアイコンで敵の体に直接表示されているらしく、星野はすぐに要点を掴んだようだ。
「うにゃっ!まっかせてにゃっ!」
小さな猫の身体で跳ねるように飛び上がった星野は、背中に小さな氷の羽を出現させ、高速で泥沼の主の周囲を飛び始めた。そして口を開くと――可愛らしい猫の鳴き声ではなく、冷気が凝縮された氷霧が発せられた。どうやらこれは彼女の種族特有のブレスらしい。
泥沼の主は明らかな敵意を向け、低い唸り声を上げながら腐食泥を一気に吐き出した。星野は華麗にそれを避けるが、地面に落ちた泥が「ジュッ……」という音を立てて腐食を起こす。
だが、今の星野は以前とは違う。俺の提案で魔石を取り込むようになってから、戦闘能力が目に見えて向上した。最初に出会ったときと比べて、彼女の魔力は約三割以上も強くなっている。
「星野! チャージ足りてないぞ、来る!」
俺の警告と同時に、星野は鋭く旋回しながら氷の息を泥の主へと放った。命中と同時に泥の表面が一瞬凍結するが、すぐに別の泥が覆いかぶさり、凍った部分はかき消された。
「……くっ、チャージが足りなかった……!」
星野自身もすぐに理解したようで、次の魔法を詠唱する。
「(ファイア・エンチャント)!」
彼女の新しいスキルにより、俺の短剣が赤く発光し始めた。今の俺の武器には火属性ダメージが付与されている。
星野が泥沼の主の注意を引いている間に、俺は背後へと回り込み、すかさず一撃を叩き込んだ。火の効果で若干のダメージは通ったが、焼き尽くすほどの威力には至らなかった。
その瞬間、泥沼の主が激しく震え、体の腐食泥を四方にばら撒いた。
「うわっ!」
「にゃあっ!」
俺も星野も、(鈍化のオーラ)によって逃げ遅れ、腐食ダメージを受けてしまった。
「(ヒール)!」
急いで聖魔法陣を二枚、空中に描き発動。神聖な光が俺たちの体を包み、進行していた腐食を止めた。……ほんと、ボス戦ってやつは洒落にならねぇな。
泥沼の主は遠距離にも近接にも攻撃手段を持ち、さらに再生能力持ちという厄介な構成だ。物理も効かねぇ、防御も再生もある。……まったく、難敵ってやつだ。
俺と星野は、氷と火で交互に攻め、少しずつ体力を削っていくしかなかった。俺の斬撃は決定打にならず、星野はブレスとエンチャントを両立する必要があるため、火力に集中できない。
「遅い! 再生してる!」
星野が焦った声を上げた。見ると、焼けただれた泥の表面が徐々に再生していた。やはり、(再生)は本物だった。
その時――泥沼の主が不気味な咆哮をあげた。
巨大な体がぶるぶると震え、緑の目が激しく明滅し始める。そして、泥の中心部がまるで出産するかのように裂けていき……
――腐朽泥沼の主が、二体に分裂した。
「……はっ!? 二体……だと……?」
俺は思わず息を呑んだ。ここからが本番かもしれない――。
「分裂……した!?!??」 思わず声を荒げる俺。おいおいおい(#`O′)! (森羅万象)さんよ、本当に鑑定してんのか!?
《これは泥沼スライムの種族能力です。当該情報は記録され、次回以降、同種系のスライム型魔物と遭遇した際に通知されます》
やっぱり便利そうで不便な能力だな……。初見の敵には全然対応できないじゃないか。ていうかさっきの星野の氷晶の翼やら吐息の能力とか、何も教えてくれなかったよな!?(森羅万象)さんよ!
《Eランク魔物の情報収集完了。スノー・スピリチュアル・キャットの種族能力を記録しました》
ちくしょう、つまり俺がFランクのスケルトンだから、種族能力なんてねえだろってことか!?もしかして、ただ種族固有スキルが鑑定できないだけか! ふざけんな、どこまで無能なんだこのスキル!!
「にゃあああっ!?」 星野が慌てたような声を上げる。腐朽泥沼の主は本当に分裂した。同じく腐りきった泥の塊が二つ。小さくなったとはいえ、その威圧感は健在。しかも、俺と星野、それぞれを狙って同時に襲いかかってきた。
「やばい、両方同時に攻撃してくる……!」 星野の焦りが(感情共鳴)を通じて俺にも伝わってきた。 一体は腐食した泥を巻き上げて俺の脚を絡め取ろうとし、もう一体は空中にいる星野に向かって毒液を吐き出す。
「くそっ、元々苦戦してたのに、これで二体同時とか無理ゲーかよ!」
俺ができる魔法は限られていて、しかもさっきまでの戦闘で魔力も回復に使ってしまった。これ以上、消耗戦を続けるのは不利すぎる!
泥の触手が腐った体をねじりながら俺に向かって横なぎに襲いかかる。斬撃が通らない上に、こんなのまで回避しなきゃならないとか……!
星野も余裕がない。支援のファイアー系魔法で俺を援護しようとしてたが、自分の相手だけで手一杯で、なんとか(ファイアースピア)を放って応戦している。
俺も連続回避してたら、ついに腐食泥をまともに喰らってしまった。すぐに(ヒール)を使うが……精神的な疲労感からして、あと二回しか使えそうにない。
「どうすれば……っ」
どうしたらこの窮地を打開できる?