第2話 :「穏やかな修学旅行、そして迫りくる脅威」
俺はいつの間にか外れていた片方のイヤホンをまた耳に戻して、何事もなかったかのように装ったまま、画面に視線を戻した。
「その……ラスボス目前だったから、少し意識が飛んでた。」
「こんな時でもゲームかぁ……」
森本さんが苦笑しながら首を振った。校外学習の最中でも変わらない俺のスタイルには、さすがに呆れた様子だった。
「まさか、修学旅行の目的地がどこの大学なのかも知らないんじゃないでしょうね?」
「知ってるよ、目的地ってXX大学(ちなみにこの名前、昨日星野さんに三回くらい聞かされてようやく覚えた)。」
「うーん、ちょっと名前違うけど……本当に大丈夫なの?」
森本さんはため息をつきながらも、目元に微かな笑みを浮かべた。
「今回の見学、うちの学校が特別に手配してるんだよ? あのXX大学って、国立でも結構有名なんだから。大学のサークル体験もあるかもだし、ちょっとは期待しないの?」
「イラストとかアニメ制作系のサークルがあるなら、ちょっと見てみようかなって思ってるよ、森本さん。」
俺はようやくゲーム機をバッグにしまい、イヤホンも片付けて、窓の外を見やった。
車内もようやく落ち着きを取り戻し、バスはいつもの穏やかな速度で進み始めた。
「お? あの藤原君がゲームをしまうとは、珍しいね。いつもは目的地着くまでずっとやってるのに。」鷹山さんがチラッとこちらを見て、にやりと笑う。
「もしかして、進路について真面目に考え始めたとか? 大学の雰囲気、見ておきたいって思ってるんだ?」
「未来、ね……」
俺はぼそっと呟いた。
「俺の手にペンとスケッチブックがある限り、道に迷うことも、未来に怯えることもない。」
……って、自分でも今の台詞はちょっと中二だったな、って思ったけど――
「ぷっ……」
一番に笑ったのは星野さんだった。少し顔を横に向けて、口元を手で隠しながら小さく笑っている。そのあとを追うように森本さんもくすっと笑い、そして鷹山さんも、ついには口元が緩んでしまった。
「「ふふっ……」」
三人とも、同時に小さく笑い出した。
でもその笑い声は、誰かをバカにするようなものじゃなくて――なんというか、あったかい空気がそこにあった。
「な、なんだよ……?」
俺は思わず眉をひそめて、困惑気味に彼女たちの顔を見た。
「ふふ、なんでもないよ。」星野さんは目を細めて笑った。「ただ、藤原さんがたまには物語の主人公みたいに真剣なこと言うんだなぁって、ちょっと意外だっただけ。」
「まるで俺が主人公じゃないみたいな言い方だな……」
俺が小声でぼそっと呟くと――
「実際、違うだろ。」
横から不意に新田が突っ込んできた。どこか小馬鹿にしたような口調で、
「お前みたいに二次元にハマって、目標もなくてやる気もないやつが、現実で主人公になれるわけないじゃん。」
「はぁ?クソリアリスト系のラスボス、まさかの登場かよ……」
俺も負けじと眉を吊り上げて返す。こいつ、いつもこうやって俺に突っかかってくるんだよな。
「ちょ、ちょっと、喧嘩しないでよ!」森本さんがすぐに割って入り、俺たちの間に立った。「バスの中での喧嘩は禁止!口喧嘩もアウト!」
「先に仕掛けてきたのはあいつだし。」
俺は不満げに口を尖らせた。まあ、森本さんにはあんまり逆らいたくない。時々、宿題写させてもらってるし……。
「言い方が紛らわしかっただけで、別に喧嘩するつもりはなかったよ。だからそんなに怒らないでよ、森本。」
新田は急に優しい口調になってそう言った。彼の他人に対する態度は、ひどいダブルスタンダードだよ。なんなんだよ、そういうギャップが女子にウケてるってことか?
「はーい、そこまで。」鷹山さんがバンッと座席の背もたれを叩いて、俺たちに向き直った。「ふたりとも、もうちょっとまともに会話できないの?そんなに言い合って何が楽しいのさ。」
「そうだよ、せっかくだし、さっきの話の続きをしようよ。」星野さんが場の空気を変えようと、優しく微笑みながら俺に顔を向ける。「藤原さんって、将来どんな仕事をしたいの?やっぱりイラストレーターとか漫画家を目指してるの?」
……適当に誤魔化そうかと思ったけど、三人とも真剣な表情で俺を見つめていて、なんだか――言いたくなった。
「俺さ……一つの世界を描きたいんだ。
人と人が、ちゃんと分かり合えるような、そんな物語。
誰もが自分の居場所を見つけられて、簡単には諦めたりしない――
そんな感動を、伝えられる世界を。」
車内が静まり返る。聞こえるのは、アスファルトを転がるバスのタイヤの音だけだった。
「藤原さん……やっぱりかっこいい」
星野さんがぽつりと呟く。潤んだ目で、どこか感慨深そうな――そんな表情だった。
「やっぱり君って、そういうとこがクールなんだよな、藤原君。」
鷹山さんも感心したように、小さく呟く。
「藤原君、たまには真面目に話すのも悪くないじゃん。」
森本さんは柔らかく微笑んだ。
「チッ……」新田は顔をそらして、小さく舌打ちしたが、それ以上何も言わなかった。
――だがその時だった。
バスの車体が、ガタンと揺れた。まるで何か緩んだ石を踏んだような感覚だった。
「……今の、ちょっと揺れなかった?」
星野さんが前を見つめながら、不安げに眉をひそめた。
「皆さん、座っていてください。バス……ちょっとブレーキの調子が悪いみたいなので、減速します。」
運転手の声が車内に響く。しかし、さっきとは違って、その声には焦りが滲んでいた。
「おいおい、冗談だろ……」新田が立ち上がって運転席の方へ向かい、「ブレーキが故障って、マジかよ?」
「座りなさい!」森本さんが慌てて声を張る。「新田、立たないで!危ないから!」
「……静かにして。」その瞬間、鷹山さんが低い声で言った。
その目は鋭く、まるで何かを察知したようだった。
「前……車がいる。」