08 ぎこちない笑み
「待ってくれ! だったら、イオちゃん――、いや、おれの彼女の、人格に関する問題は、どうなる? あんたは、言ったよな? おれの彼女に対する人格改造は、失敗だったって――。
院長、あんたが、もう、その責任を取るつもりはない、と言うのなら、それはそれで構わない。けど、ならば、せめて、彼女の人格を元に戻すための、施術を、おれにやらせてくれ!
でないと――、あの子は、また、新たに、気の狂わんばかりの苦痛を求めて、おかしな行動を起こしてしまいそうで――」
類照は、今や、あるかなきかの思考力を、フル稼働させている状態だった。
「んん?」
比留間は、意外そうな顔で、足を止めている。それから、口を開いた。
「きみは、思い違いをしているようだから、教えてあげよう。
きみの恋人、室野さんが、わたしの創り上げた仕掛けに捕らえられ、いばらの檻に幽閉される身となったのは、なにも、多大なる苦痛を求めて、深田くんと同じ、強迫観念に、『感染』するような行動を取ったからではないぞ」
だとしたら、何が原因だったというのだ――?
いや、もはや、その答えすら、どうでもいいと思えてくる。
現在、何より大事なのは、超自然的な存在――、そう、ベルギモア様に微笑んでいただくことである。
「室野さんは――、深田くんの内面世界である、『幻惑の森』に入り込み、たしかに、小さな神殿に到着した。そして、そこで何をしたのかというと、強迫観念による苦痛を、快楽へと変換させるために、わたしが創り上げた異物、つまり、色とりどりのキノコを、次々と毟り始めたんだ。
それにより、ハトを捕らえるトラップのような仕掛けが、発動したというのが、事の顛末だ。
もしも――、室野さんの手によって、小さな神殿を覆う、優しいキノコの群生が、一切合切、毟り取られていたら、深田くんの心理面では、何が起きたか――、それは、もう、言うまでもなく、わかることだよな?」
わかるわけがないだろう、と類照は、心の中で吐き捨てるように口にする。
「そう――。恐怖のむき出しだよ。そうなった深田くんの姿を、室野さんは、見たいと強く望んだんだ」
ベルギモア様、ベルギモア様――。
わたしは、これまでの人生の、すべてを、懺悔いたします――。
もう、高層マンションの部屋も、高収入の仕事も、値の張った服も、お気に入りのマイカーも、それに、とびっきりの美人だと思う、自分の彼女も――、全部、捨て去ります――。
ですので、ベルギモア様――、どうか、このわたしを、お許しください――。
「きみには、言っただろう? 人間というのは、いつの世も、二種類に分かれていればいいと。要するに、だ。室野さんはね、人格改造を施される際、きみの思っているほうを、選ばなかったんだ――。
それはそうと、きみは、深田くんの内面世界で、その後の室野さんと、何度も面会していたよな? にもかかわらず、自分の恋人の、人格が、わたしにとっては、失敗作としか言えないほど、大きく歪んでしまっていることを、まるっきり見抜けなかったとは――。
霊体外科医としては、優秀な眼力を持っているのかもしれないが、ひとりの男としては、とことん、人を見る目がないもんだな」
室野――、依織――。
そうだ。
自分の、とどまるところを知らない欲望の、その象徴たる存在。
彼女への愛などは、しょせん、絶世の美貌と評される、美しい女を、自分のものにしたいという、その独占欲に根差した感情に過ぎない。
ベルギモア様は、そうした穢れた考え自体を、お許しにならないのだ。
類照は、例えようもない、後ろめたさ、を覚えた。それから、祈りというのは、口に出したほうが、ベルギモア様に、誠意が伝わりやすいのではないかと、当たり前のことに思い至った。
「ベルギモア様――。わたしは、過度に繁栄した都会の地で、あらゆる欲望に翻弄されながら、これまで生きてきました――。その最たるものが、わたしの彼女――、室野依織を、欲する気持ちでした――。
わたしは、彼女の美しさに、目がくらみ、そして、彼女と、ひたすら、盲目的に愛し合ってきた、浅ましい人間であります――。もう、今後、一切、彼女の愛を求めるような考えは持ちませんし、また、彼女のような女性に、近づくこともいたしません――。
ですので、どうか、どうか、罪深きこのわたしを、お許しください――。
ベルギモア様――。ベルギモア様ぁぁぁ――!」
まもなく、ふたたび、左隣の部屋から、深田の喚く声が聞こえてきた。
「おい、うっせーぞ、類照! ベルギモア様ぁ? なに、おまえ、祈りを捧げてるところなのぉ? だったら、おれが、代わりに呼んでやるよっ。
ベルちゃぁぁぁぁぁぁんっ! ヒャァァッハァッハァッハァッ!」
その直後、「ウオォォッ! ウオォォォォッ!」と、深田が、獣の咆哮のような声音を発したのがわかった。
類照は、愕然として目を剥いた。
なんって不敬な男なのか。偉大なるベルギモア様に対して、どうしたら、そんなふざけた呼び方ができるのだろう。
間違いない。あの男には、今から、そう経たないうちに、死の制裁が下されるはずだ。
「おやっ。噂をすれば、室野さんの、おでましだ。実世界で、ようやく再会できた恋人同士、語り合いたいことは、山ほどあるだろう――。邪魔者は、消えるよ。それじゃあ、今度こそ、さようならだ」
比留間は、その場を去っていく。
それと入れ替わりに、ラフな格好の女が、鉄格子の前まで歩いてきた。肩までのミディアムヘアをした、ぞっとするほど美しい女だ。
一瞬、恋人なのではないかとも思ったが、今となっては、相手が誰であれ、自分には関係のないことだった。
女は、小部屋の中の類照に、熱っぽい視線を注いでくる。
類照は、そんな彼女と目を合わせているうちに、つい、心を奪われかけたが、しかし、身のよじれるような罪悪感に襲われる。
「ベルギモア様――。あふれるほど貯まった金は、全額、あなた様のおわします海に流しますし、都会での生活は終わりにして、流浪者として生きていくことを誓います。
もちろん、今、付き合っている彼女とは、縁を切り、それに、それに――、金輪際、美しい女性を、目で追いかけるような愚行は、犯しません。
ですので、ですので、ベルギモア様、命だけは、お助けくださいっ――!」
「ルイくん、あたし、ずっとずっと、きみのことを見てる」
女は、ヒヒッ、と声を漏らす。その顔には、大人が、無理に子供の真似をして、いたずらっぽく歯を見せているような、ひどくぎこちない笑みが浮かんでいた。
(了)




