04 神官
類照は、螺旋階段を降り始めた。
地面に降り立った瞬間、塔に背中をもたせかけている比留間と、目が合った。彼は、すぐに口を開いた。
「強迫観念を消し去るのに、つまり、小さな神殿を消滅させるのに、もっとも手っ取り早い方法は、ほかでもない、神を抹殺することなんだ。そうすれば、存在意義を失った、小さな神殿も、スイッチの役目を担っている、先ほどの人魚像も、見る間に雲散霧消する。
だから、この霧の中を、もう少し、きみと一緒に進もうと思うんだが、何か、異論はあるかい?」
類照としては、今一つ、ピンと来ない話だった。
「その――、神の抹殺というのは、どうやって?」
「ああ、簡単な話だ――。小さな神殿の中で、神は、実体として現れている。
だから、あとは、普段、患者さんの内面世界で、有害な鳥獣を、魔術の力を用いて処分するのと、まったく同じことなんだ」
比留間は、事もなげに言った。
だとしても、と類照は思う。
それほどまでに、あっさりと終わる作業なのだろうか――?
だが、比留間が、辻在誓少年の内面世界を、元の状態に戻すのに、三十分とかからなかった点からすると、そんなものなのかもしれない。
「なるほど。行きましょう」
「よし、付いてきてくれ」
比留間は、さっと身を反転させ、足早に歩き始めた。
類照は、その後に続く。
いよいよ、二メートルばかり先を行く、比留間の背中も見えにくいほど、濃霧に視界を遮られる状況になってきた。
しかし、前方には、色彩の坩堝ともいうべき、光源の密集が確認できる。
そこに近づけば近づくほど、あたかも、永久に消えることのない、虹色の花火の中に、自分が飛び込んでいるかのような感覚が、加速度的に鮮烈になっていく。
これ以上、光を直視していると、自分は、人格に異常を来してしまいそうだ、と不安に駆られ始めた時、比留間が足を止めた。
類照は、彼の隣に立つ。
眩しさに両目を細めたまま、視界に入っているものを観察した。
目の前にあるのは、ドーム状の屋根をした、高さ、四、五メートルほどの、鉄筋コンクリート造の建造物だった。
むろん、これが、恐るべき強迫観念の象徴であり根源である、小さな神殿だということは、類照もわかっている。
そして、その屋根といわず壁といわず、張り巡らされた鉄線によって、巨大な星型の電灯が、所狭しと括り付けられていた。
すなわち、この光景こそが、強迫観念による苦痛を、快楽へと変換させるために、比留間が手がけた融合なのだ。
深田の心の状態を回復させるという目的を達するには、この場を、いわば更地にすることが必要不可欠である。
その手段が、目の前の建造物内に、実体として現れているという、神の抹殺――。
類照は、ちょうど正面に、観音開きの扉があるのを見て、一歩、二歩と、そこに向かって歩を進めた。
すると、その時だった。
右方向から、足音が聞こえてきたのである。なんとなく、人間のもののような、規則正しい足音だ。
当然ながら、類照は、強烈な既視感を覚えた。
辻在誓少年の内面世界で体験したことと同じ――。
となると、そろそろ、姿を現すのは。
それを考えたとたん、頭の中が、恐慌状態におちいった。
足音とは反対方向、つまり、左方向に、類照は、じりじりと後退した。
「だいじょうぶ。落ち着きなさい。近づいてきているのは、ここの神に仕える神官だ。いきなり襲ってくるような性質は、持ち合わせていない。むしろ、訪問者を、あまねく招き入れるための存在なんだ」
比留間が、穏やかな声で告げた。
類照は、後退するのを止めた。
だが、比留間の言葉には、疑問を抱く。
辻在誓少年の内面世界で出くわした人物は、たしか、どう見ても、体格的に小さな子供にしか思えなかった。
あの人物が、神官――?
案の定、濃霧を透かして見えてきたのは、せいぜい、五、六歳だろうと推測される体躯の人間だった。暗い色のロングコートみたいな衣類を羽織り、フードを目深にかぶっている。
その謎の人物は、しずしずとした足取りで歩いてきて、観音開きの扉の前で止まった。
類照は、無意識のうちに、その者のフードから覗く、顔の下半分を、まじまじと凝視していた。驚くことに、鼻から口もとにかけての部分は、老人のお面でも着けているかのように、しわしわだったのである。
まもなく、その謎の人物の両手が、フードに掛けられた。
フードが、はらりと下がり、露わになった顔貌を目にし、類照は、反射的に、両手を顔の高さまで上げ、左脚をやや引いた体勢で構えた。頭で判断したというより、体を構成するあらゆる細胞が、一挙に拒絶反応を起こし、肉体が、勝手に動いたような感じだった。
いたいけなほど小作りな体躯の、その肩の上に、歩けるのが不思議に思えるくらい、老齢の男の頭部が、まさしく取って付けたように載っている。
また、さらに異様なのは、顔中、梅干しみたいに、深いしわが、縦横無尽に刻まれているのに、目だけは、愛嬌たっぷりに、くりくりとしている点である。
その目のせいか、見ようによっては、それこそ、小さな子供っぽい印象を受けなくもない。
類照は、まるで、物の怪と対峙している境地だった。
が、その老人は、類照に向かって、つるりとした頭を、礼儀正しく、ぺこりと下げた。それから、伸び上がるようにして、観音開きの扉の取っ手をつかんだ。老人が押し込むと、扉は、ぎいっと軋む音を立てて、内部へと開かれる。そのまま、開け放しにされ、老人は、中に入っていった。




