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06 眠っている恋人

 

 類照は、椅子を反転させ、机の上のモニターに向かった。

 キーボードを叩き、患者の電子カルテに、今回の施術に関する事柄を記入していく。

 このセンターの正式名称は、枢聖院(すうせいいん)大学附属東部医療センターである。

 枢聖院グループの全医療機関において、患者の電子カルテは共有されていた。

 だから、霊体外科医や麻酔科医は、もちろん、看護師や薬剤師など、枢聖院グループの医療スタッフならば、誰もが、その医療機関のパソコンから、患者の電子カルテにアクセスすることが可能なのだった。

 

 その記入作業を終えると、類照は、今日、これからの予定のことを考え始めた。

 通常、平日は一日に、午前二人と午後二人、四人の患者の施術を行うことになっている。今、患者側の椅子で休んでいるのは、この日、最後となる四人目の患者だった。

 ただ、もうすぐ、くだらない会議が待っているのだが、そんなことは、どうでもいい。

 大事なのは、その後のことだった。

 

 今日は、同じく枢聖院大学附属の、霊体医療研究センターに向かう。

 その三○四号室のベッドで、類照の恋人は、眠っている。そう、眠っている――。

 類照と、恋人の室野(むろの)依織(いおり)は、枢聖院大学の魔術太極拳部で知り合い、そして、大学四年生の時から交際を始め、また、二人とも、霊体外科医としてのキャリアを歩んだ。

 

 あと、枢聖院大学の魔術太極拳部に所属していた、霊体外科医という点で、類照や依織と共通している人物がいる。

 深田(ふかだ)泰亜(たいあ)という男だ。

 大学時代、二学年上の深田泰亜は、部活動において、卓越したリーダーシップを発揮し、なおかつ、後輩部員の面倒見のいい、紛うことなき人格者に思われた。

 しかし、何かのきっかけで、人の道を踏み外した結果、人格崩壊を起こし、今や、まさに人間のクズと成り果てていた。

 まともな日常生活を送るだけの、最低限の能力すら失っているがゆえに、現在は、霊体医療研究センターの地下に、病人として幽閉されているという有様だ。

 

 もっとも、そこまでの話なら、まだ、よかったといえる。

 しかし、類照にとっては、信じがたい悲劇が起きた。

 

 実のところ、霊体医療研究センターの職員の間でも、あまり知られていないことなのだが、その地下には、一室だけ、霊体医療用の施術室がある。

 その施術室において、霊体外科医である、恋人の室野依織が、使命感に燃えてか、後先を考えず、深田泰亜の内面世界に、霊体として飛び込んだのだ。そして、不可解な事故、というより事件と呼ぶにふさわしい事態に巻き込まれた。

 それにより、依織の霊体は、あろうことか、深田泰亜の内面世界に閉じ込められたまま、現在に至る。

 

 だから、大事な予定というのは、霊体医療研究センターの、それも、深田泰亜のいる地下の、その施術室に向かうことである。

 要するに、だ。

 今日、類照は、深田泰亜の内面世界において、霊体同士という形で、その恋人と顔を合わせるつもりなのだった。

 

 イオちゃん――。

 いったい、どうして、あんな男の中に、飛び込んだんだよ――?

 

 類照が、そんなふうに、最愛の恋人に思いを()せていると、チノパンのポケットに収めている、携帯端末が振動した。楕円(だえん)形の携帯端末を取り出すと、メッセージが届いていた。

 皆川(みながわ)理瀬那(りせな)からだ。


『会議が終わったら、ラウンジで会えない? またコーヒーでも奢るからさ。ニャハ☆』

 

 類照は、その文面を無感情で眺める。

 

 やがて、麻酔科医の白井縁斗が、患者の状態は良好だと判断したらしく、それまで、取り付けていた機器を、取り外し始めたのが、背後の気配からわかった。

 類照は、携帯端末をチノパンのポケットにしまい、椅子を反転させた。

 患者が寝ている椅子の、背もたれの角度が、ゆっくりと戻された。

 心なしか、施術前より、患者の表情がよくなっているような――。

 そう思いながら、類照は、説明を始めた。


「今回の施術も、まあ、前回までと、ほぼ同様です。

 須原(すはら)さんが、今現在、一番、お困りの症状である、不潔恐怖症の、患部と見られる部分を、大幅に除去する処置を行いました。

 あとは、抑うつ感や、悲観的に物事を考えてしまうなど、そういった気分障害の症状が強まるのを、防ぐための処置も取りました。

 なので、また、時間が経過すれば、病状が快方に向かっていることを、実感していただけるでしょう」

 

 なにぶん、画像や図を使えないので、施術についての説明は、極めて難しい。が、施術の担当医としての義務なので仕方がない。


「はあ、そうですか……」

 

 当然ながら、患者にとっては、雲をつかむような話のはずだ。


「ただし、あちこち処置をした後ですので、気分が不安定になりがちな状態が、少しばかり続くかもしれません。なので、念のために、いつもの安定剤を、一週間分、二錠、追加で出しておきますので、それを服用してください」


「はい、わかりました。あ、あのっ……。あと、どのくらい、というか、何回くらい、治療すれば、完治しそうなんでしょうか?」


「うーん。完治というか、健常な人のようになる、という意味ですと、はっきりとしたことは言えないんですよね――。けれど、あと、二、三回、施術を受けていただければ、だいぶ、精神的に楽に、日常生活が送れるようになると、わたしは思います」


「それなら、なんだか、希望が持てますね」

 

 患者は、安堵の表情を見せた。


「お疲れ様でした。あちらで着替えていただいて、そのあと、待合室でお待ちください」


 類照は、カーテンの向こうを左手で示す。

 患者が、そちらに移動した。

 この日の業務は終了のため、白井縁斗と坂上蘭音が、片付けに入る。

 類照は、椅子を反転させ、ふたたび、机の上のモニターに向かった。処方(しょほう)(せん)の情報を記入する。それを終えると、パソコンの電源を落とした。


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