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02 作り話

 

 ついに、応接室のドアの前に立った。

 類照は、二度、深呼吸をして、ドアノブを握り、ゆっくりと押した。

 八畳ほどの広さの部屋だ。その中央に、向かい合う形でソファーが置かれている。

 右側のソファーに、看護師長の佐久間(さくま)芹栖(せりす)、麻酔科医の沢村(さわむら)(ひびき)が座っており、その二人が、こちらに目を向けてきた。

 気のせいか、その二人の視線には、いつになく(とげ)が含まれているように思われた。

 

 反対側に腰掛けている、肝心の比留間(ひるま)蓮未(はすみ)は、ソファーの背もたれに上体を預け、両手で目を覆っていた。真ん中に設置されたテーブルの上に、淡いブルーのレンズの眼鏡が載っている。入室者の存在には、まるで興味がない、とでもいうような風情である。

 

「比留間院長、第四施術室に、辻在誓くんが入りました。処置――、というより、処理のほう、お願い、できますよね?」


 待機していた三人が三人とも、一斉(いっせい)に息を止めたかのような空気を感じた。

 その瞬間、類照は、自分が、賭けに勝ったことを、半ば確信した。

 もはや、比留間の表情を、確かめるまでもない気がする。


「……そうか」


 比留間は、顔から両手を離した。両目を細め、宙を見上げている。

 淡いブルーのレンズの眼鏡をかけていないと、こんな顔なのかと、類照は思った。

 年相応、というか、痛々しいくらい若作りした初老の男にしか見えない。

 

 比留間は、背もたれから上体を起こすと、力ない動作で手を伸ばし、テーブルの上の眼鏡を取り、それをかけた。

 ここは、(くぎ)を刺すべきだと、類照は判断した。


「比留間院長――、あなたの人生を、底無し沼のような地獄から救えるのは、わたしだけなんです。なので、再度、お尋ねしますが、辻在誓くんの内面世界に不必要なものは、きちんと処理してくださいますよね?」


 比留間の口もとに、微笑めいたものが浮かんだ。


「……まったく、きみって男は、本当に大したものだ。

 こんなことなら、初めっから、きみに、仕事を依頼すればよかったと、心から思う。そうしたなら、わたしは、罪のない人を、何人も苦しめることなく、人生の――、そう、幕引きができたはずなのに」


 類照は、何を言っているんだ、という思いで、比留間を見下ろした。


「さて、第四施術室だっけ? わたしは、きみとの約束を守るために、ここに来たんだ。辻くんのことは、何も心配いらないよ」


 比留間は、諦めたように腰を上げた。

 佐久間芹栖と沢村響も、それを見て立ち上がった。

 

 類照は、三人を引き連れて、第四施術室に向かった。

 応接室を目指して歩いた時とは真逆に、帰りは、足かせが外れたように軽い足取りで、歩を進めることができた。

 

 第四施術室の引き戸を開ける。

 白井縁斗は、比留間の姿を見るなり、目を丸くした。


「あっ、比留間院長――。いったい、どうして、ここに?」


「わたしの過失が招いた結果だからだ――。順を追って話そう。

 たしかに、工藤くんは、関根くんに無断で、今、ここにいる患者さん、辻くんの内面世界に入った。それにより、関根くんが、患者さんたちに、人格改造を行っていたことが、明るみに出たのは、みなも知っているとおりだ。

 そして、この辻くんの治療は、わたしが引き継ぐことになった。しかし、わたしは、辻くんが、非常に根深い問題を抱えていることを、見落としてしまった。その問題とは、流浪者たちが信仰する、邪神に関することだった」

 

「……邪神、ですか?」と、坂上蘭音。


「ああ。わたしが、不注意にも、そのことに気づかなかったのは、辻くんの内面世界で、ほかでもない、関根くんによる、人格改造の形跡にばかり、目がいってしまっていたからだ。

 ただし、その形跡も、責任感の強い工藤くんが、あらかた処理してくれた後であることが見て取れた。いわば、工藤くんにとっては、やりかけの仕事だ。

 なので、その処理に関しては、工藤くんに任せるべきだと判断し、辻くんには、もう一度、ここ東部医療センターで、施術を受けてもらうことにした。

 そのことについて、辻くんと、それに、彼の親御(おやご)さんに、説明する必要があったのだが、まさか、人格改造の形跡、などと口にするわけにはいかない。そういうわけで、その説明の際、人格改造の形跡が残っている場について、わたしは、『特別な領域』という表現を用いたんだ。

 しかし、それが、決定的な(あだ)となった。

 今日、辻くん本人か、あるいは、彼の親御(おやご)さんから、その言葉を聞いた工藤くんは、むしろ、聡明だからこそ、難しく考えてしまったのだと思われる。

 だから、辻くんの内面世界を、注意深く探索し、やがて、極めて深刻な問題の表れであろう象徴を目にした。それこそが、邪神に関する問題の象徴にほかならなかったんだ。

 ところが、わたしが、それを見落としていたせいで、工藤くんからしたら、不可解にも、その象徴には、処置を行った形跡が、どこにも見当たらなかった。さらには、『特別な領域』という意味ありげな言葉。

 以上の二点から、工藤くんは、その象徴を無に()すことこそ、自分の使命と考え、魔術を駆使しての処置を実行した。

 だが、人格改造を施されていたこともあり、精神的に不安定な状態の、辻くんにとって、それは、荒療(あらりょう)()に等しかったんだ。

 結果、辻くんは、強烈な副反応を引き起こすに至った」

 

 白井縁斗も、坂上蘭音も、合点したような様子を見せている。


「先ほど、霊体医療研究センターで、工藤くんから、その件についての話を聞いて、わたしは、腰を抜かすほど仰天(ぎょうてん)したよ。

 そして、自分の不明(ふめい)を恥じた。

 わたしが、邪神に関する問題の象徴を、見落としていなければ、また、辻くんと、彼の親御さんへの説明の際に、『特別な領域』などという表現を用いなければ、こんな悲惨な結果には至らなかった。

 今日は、工藤くんを初めとして、きみたちには、本当に迷惑をかけてしまった。申し訳ない」

 

 比留間は、うなだれるように軽く頭を下げた。

 

「なので、辻くんの副反応を(しず)める作業は、これから、このわたしが、責任を持って行う。

 なに、心配はいらないよ――。ただ、どうしても、成功するか(いな)かが、気がかりならば、応接室のほうで、待っていてもらいたい」

 

「わたしは、今日、施術の担当医を務めた者として、辻くんの精神状態が、ちゃんと落ち着くまで、帰るわけにはいきません」


 類照は、麻酔科医の白井縁斗と、看護師の坂上蘭音に、問うような視線を送った。

 二人とも、目だけでうなずく。

 そうして、類照たちは、第四施術室を出て、応接室へと移動した。


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