05 魔術による処置
まず、ドブネズミたちが邪魔だった。実世界において、人間からは嫌われがちなドブネズミとはいえ、経験からして、内面世界に存在する、無害な哺乳類に、なんらかの被害を与えてしまうと、患者の人格に、悪影響が出る恐れがあると思われる。
類照は、ネズミたちのほうに向かって、太極拳の基礎的な蹴り、一度、利き足であるほうの右膝を上げてから、右の爪先を、前に突き出す動作を行った。その際、通常の十倍ほどの風圧がかかるようイメージする。
びゅん、と風を切る音が鳴る。
身の危険を感じたのだろう、ネズミたちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
その後、類照は、池のほうに右手をかざした。右の手のひらにエネルギーが集中するよう意識する。そうして、そのエネルギーが熱に変わるのをイメージし、手のひらから下方に熱波を放った。
大量のヒルは、みるみるうちに焼け死んでいき、池の水は蒸発していく。
体感的に、ものの三、四分で、水は干上がった。
その結果、そこは、単なる窪地となった。
すると、大きな木の枝に止まっていた、二匹のフクロウは、興味を失ったとばかりに飛び去っていく。
おそらく、足もとの窪地を、このままにしておくと、次の施術までに、ふたたび、汚い池ができあがってしまうと予想される。
なので、類照は、右足のかかとを地面に押し当て、そこに、ぐっと力を入れた。小さな土砂崩れのように、土が窪地に流入していく。それから、位置を変え、四カ所から、土を流し込んだ。
最後に、そこの土を踏み固める。
これで、この場には、やがて雑草が生え、不自然さも消えるだろう。
しかし、次の場所に移動できるかと思いきや、そうはいかないことに気づく。
ある意味、当然のことなのだが、汚い池の影響で、視界に入る範囲でも、四、五本の木が、朽ちかけているのがわかった。
患者が、抑うつ状態に入り始めていることを、それらの木は物語っていた。
類照は、そのうちの一本に歩み寄る。
本来、あるべきところにある木を、消滅させたりするやり方は、あまり推奨されていない。だが、この木が、自然に再生する見込みは、限りなく低いと見た。なので、思い切った処置が必要だと判断した。
類照は、利き足である右足に、天を衝く巨人の足のイメージを重ねた。その足で、前の木の根元に、爪先を打ち込む。切り倒してしまおうと思ったのだ。ちょうど、歯科医が、重度の虫歯を抜歯するのと同じように。
めりめりと倒れてくる木のほうに、手を差し向け、重力を制御しながら、ゆっくりと落とす。そうして、五本の木を地面に倒した。
それらの倒木は、燃やして消滅させるのが最善だったが、そうするには、相応の時間を費やすことになる。
施術時間は、三十分と限られているのだ。病状は快方に向かっていると、患者に、より強く実感させるには、次なる処置に移ったほうが賢明だと考えた。
なので、倒木は、そのまま放置することにする。時間はかかっても、いずれは土に帰り、患者の人格にも、ほとんど影響を残さないはずだ。
類照は、次なる疾患の象徴を探すべく、移動を開始した。
その後、もう一つ、ヒルが大量に湧いた汚い池を消滅させ、何本かの木を倒したところで、心身の疲労を感じ始めた。疲れた状態で施術を終えると、自分の肉体に戻ってからも、当然、その影響が残ることになる。
今日は、何より大事な予定があるので、なるべく、これ以上のエネルギーの消耗は避けたいところだった。
とはいえ、もう、そろそろ時間だろうと思い、近くの木に背中をもたせ、ブザーがなるのを待った。
霊体外科医が、内面世界に入ってから、三十分が経過すると、患者の装着しているヘルメット型の機器が、ブザー音を鳴らす設定になっているのだ。
それから、体感として、四、五分後、ブーッ、という大きな音が、新緑の森全体に響き渡った。
類照は、自分の身にかかる重力を制御し、勢いよくジャンプした。どこまでも高く舞い上がる。
次の瞬間、類照は、患者の内面世界から飛び出していた。赤いテープを目印にして、向かい側に座っている、自分の体に飛び込む。
まもなく、霊体と肉体が、完全に結合する感覚を覚えた。
まぶたを開け、両手を動かす。ヘルメット型の機器を、頭から外した。
それから、赤いテープを留めてある、右手首の部分のマジックテープを剥がしておく。
看護師の坂上蘭音が、まず、その赤いテープを回収した。
数分後、患者が、倒された椅子の背もたれの上で、もぞもぞと体を動かした。
その様子を見て、麻酔科医の白井縁斗が、患者のところに歩み寄ると、映像視聴用のゴーグルを上部にずらし、
「施術のほうは、終わりました。ご気分は、だいじょうぶですか?」
と問いかける。
患者は、二度、小さくうなずいた。
「では、もうしばらく、安静にしていてください」
全身麻酔の後なので、その効果が抜けるまで、麻酔科医と看護師が、患者の状態を見守る必要があった。