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07 挑戦状


 たしかに、眼下の大穴の中で生じている事象や、この内面世界全体の荒廃ぶりは、現在の比留間が、もはや、正気と狂気の狭間(はざま)ともいうべきところで、苦悶し続けていることを、雄弁に物語っていた。

 将来的には、自分が、そんな彼を、偽りの楽園に導くという、使命を背負っていることを思うと、いったい、どれだけ、『埋め込み』技術の研鑽(けんさん)を積まねばいけないのか、途方に暮れる気持ちになる。

 

 しかし、なんにせよ、その第一歩を踏み出さねばならないと思い直し、類照は、『埋め込み』に取りかかることにした。

 

 比留間は、言っていた。

 自分の内面世界には、あの、『幻惑の森』のような光景が必要なのだと。

 

 だから、類照は、埋め込むものとして、まず、真っ赤な馬鹿でかいキノコを、頭の中に思い浮かべた。さらに、その像が、右の手のひらに映し出されている様をイメージする。

 なるほど。たしかに、その手のひらに、エネルギーが集中してくる感覚がある。

 そうして、右手の人差し指と中指で、地面の上の空間に、キノコの像の輪郭を縁取(ふちど)っていく。

 

 だが、なかなか巧くいかない。二本の指を動かしているうちに、右の手のひらのエネルギーが、どんどん弱まっていく感じがする。なので、縁取(ふちど)りが完成したところで、その後は、何も起こらないのだ。

 

 それでも、何度もトライしているうちに、徐々(じょじょ)に、手のひらのエネルギーを保つための、コツがわかってきた。

 七、八回目で、ついに、縁取りを終えた空間と、右の手のひらとの間に、引力が発生する感覚を覚えた。

 手のひらの像を、その空間へと、拡大しながら押しやるようにする。

 

 しかし、その作業も難航した。

 縁取りが完成した空間への融合の前に、像が、みるみる薄れ、やがては霧消してしまうのだ。すると、最初っからやり直しとなる。

 

 それから、十数分が経過しただろうか。

 ようやく、縁取りが完成した空間に、像を融合させることに成功し、地面に、真っ赤な馬鹿でかいキノコを植え付けることができた。

 

 類照は、その一本のキノコを、まじまじと眺めた。

 これが、『埋め込み』という技術か――。

 成功したのはいいが、たぶん、今回、限られた時間内で、やみくもに、色鮮やかなキノコを植え続けても、比留間の人格に、さしたる影響は与えられないだろう。

 だが、それでも、比留間に、こちらの『熱意』だけは伝えなくてはならない。そのためには、それなりの工夫が必要だと判断する。

 

 やはり、効果的なやり方としては、あの関根予壱が、辻在誓少年の内面世界に創り出した光景を、参考にすればいいはずだ。

 つまり、心の闇の象徴と、気分を高揚させるような創造物の融合(フュージョン)である。それにより、苦痛は、相殺されるばかりか、快楽へと変換されることが証明されている。

 そのため、類照は、とにもかくにも、比留間の計り知れない喪失感と、それに、本能的恐怖の象徴である、チンパンジーたちの棲息する大穴の(ふち)沿()って、色鮮やかなキノコを植え込んでいくことに決めた。

 

 案外、その作業は、順調に進んだ。

 たしかに、比留間の言ったとおり、要領を覚えれば、『埋め込み』そのものは、それほど難しい作業には感じなくなってきた。

 初めて、キノコの『埋め込み』に成功してから、体感として、三、四十分が経過した頃になると、すでに、大穴の縁が、色とりどりのキノコで囲まれ、イルミネーションみたいな光景に仕上がっていた。

 

 それから、今度は、その風光(ふうこう)明媚(めいび)な景観を、大穴から、周囲へと波及させる作業に移行することにした。

 類照は、自分の身にかかる重力を制御し、勢いよくジャンプする。木々の樹冠(じゅかん)の高さで、ぴたっと静止した。

 

 緑の葉のない、木の枝に、『埋め込み』の技術で、下品なくらいに大きな花を咲かせる。それも、赤、青、紫、黄、白、と思い浮かんだ色を、片っ端から使う形だ。

 さらに、次の木の枝に飛び移り、同じことを繰り返す。

 そのようにして、五本の木の樹冠部を、極彩色(ごくさいしき)の花々で飾り立てたのだった。

 

 類照は、木の枝の上に乗ったまま、周囲の景色を眺めた。自分の手による『埋め込み』の出来()えを、改めて確認したのだ。

 すると、殺風景極まりなかった森が、幾分、妖しげな魅力を醸し出し始めているような印象を抱く。

 

 正直、我ながら、何事も器用にこなせるものだと感心してしまう。この分ならば、ここ比留間の内面世界を、あの『幻惑の森』のような光景に塗り替える日は、そう遠くない未来に訪れることだろう。

 自分は、あの、無能な関根予壱などとは違うのだ――。

 

 そんなことを思いながら、次の木の枝に、飛び移ろうかという時だった。

 どういうわけか、類照は、ふと、言い様のない虚無感に襲われた。

 

 いったい、おれは、何をやっているんだろう――?

 自分の行動に疑問を抱き、いったん、枝から飛び降りた。ふわっと着地する。

 この内面世界の持ち主である、比留間(ひるま)蓮未(はすみ)という男は、おれの人生に、大いなる災いをもたらしたというのに――。

 

 自分でも不思議なくらい、復讐の欲求を()き立てられない。

 もっとも、復讐と一言で表現しても、その具体的な方法となると、また悩みどころとなるのだけれど。合法的に制裁を加えるべく動いたところで、比留間の社会的影響力を考えると、自分は、逆立ちしても、傷一つ負わせられないに違いない。

 

 しかし、だとしても、だ。

 憎んで当然の、その仇敵(きゅうてき)を、逆に救うべく、せっせと不正行為に励み続けるというのは、腰抜けもいいところではないか。

 まったくもって笑えない。

 いったい、おれは、何者なのだろう――?

 

 それに、比留間の横暴のために、人生を狂わされかけた、あるいは、実際に狂わされた被害者は、なにも自分だけではないのだ。

 深田泰亜――。辻在誓少年――。そして、自分の恋人――。

 にもかかわらず、比留間が、先ほど、(おお)真面目(まじめ)な顔で、自己正当化の論理をこねくり回していたことを思う。まさに、究極的な利己主義者だ。

 

 考えれば考えるほど、そんな男に必要なのは、救いではなく、制裁だという気がしてならなくなってくる。

 

 また、同時に、比留間の人格改造を行うことには、漠然と懸念(けねん)を抱いていることも事実だった。

 どうしても、地下の小部屋に幽閉された、深田のことを思い起こしてしまう。あのような、極度のマゾヒストに()した比留間に、果たして、霊体外科医としての施術的な行為が、可能なのかどうか、(はなは)だ怪しい。

 

 比留間には、依織の霊体を解放してもらわなくてはならない。さらに、その依織の人格を元に戻す作業も、きっちりとやり遂げてもらわなくては困る。

 かりに、比留間の言うとおり、依織は、感情に欠陥のある人間だとしても――、だ。それが、本当の依織なのであり、自分の愛した恋人なのだから。

 

 しかし、もし、比留間が、霊体外科医として使い物にならなくなったとしたら、依織の霊体の救出、それ自体、叶わなくなるのではないか――?

 

 やはり――、比留間を、偽りの楽園に導くという選択肢は捨てて、別のやり方を模索するべきなのではないだろうか――。

 

 そうだ。

 絶対に、そうすべきなのだ。

 

 類照は、木の幹に背中を預け、思案を巡らせた。

 何より肝要なのは、今現在、比留間が握っている主導権を、こちらが奪い取ることである。つまり、自分より、比留間を、弱い立場に追い込めばいい。

 そのためには、どうしたらいいものか――。

 

 だったら、と思う。

 比留間が、深田と辻在誓少年にやったように、同じ人格改造にしても、真逆の効果を与えてやればいいのではないか――?

 この森において、自分は、比留間の弱みである要素を、すでに発見しているのだから。

 

 にわかに胸の鼓動が速くなっていく。

 類照は、(たか)ぶる気持ちを抑えながら、今、思い付いた案について、真剣に吟味(ぎんみ)し始める。

 すると、思案を重ねるうちに、むしろ、自信が湧き上がってくるのを感じるのだった。

 

 いける。いける。

 このおれなら、やれる――。

 関根予壱の不正行為を暴いた時と同様、またまた、危険な賭けになることは、充分、承知の上だ。だが、逆の見方をすれば、これ以外の選択肢はない、という状況である気がした。


 たしかに、比留間と自分とでは、社会的影響力にしても、霊体外科医としての知見の蓄積量にしても、雲泥(うんでい)の差だといえる。

 しかし、もはや、そういったことは関係ない。

 おれは、比留間蓮未という男に、挑戦状を叩き付けてやる。

 類照は、ぶるりと震え上がった。武者(むしゃ)(ぶる)いが起きたのである。

 

 闘争本能に火がつくと、それに伴い、男として、当然あるべき復讐心が、激しく()き立てられ始めた。

 おれの人生から、何もかもを奪い取りかねなかった、このサイコパスのような男、きっと――、いや絶対に、一泡(ひとあわ)吹かせてやる――。


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