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04 二種類の人間


「さてさて、もう、わたしが、何を言いたいか、察しているね? 

 わたしの内面世界には、その『幻惑の森』のような光景が必要なんだ。

 きみが、そのために動いてくれるのなら、わたしは、きみの望みを(かな)えよう。

 きみにとって、喫緊(きっきん)の問題は、辻くんの件だろう? わかっている。

 わたしは、辻くんの内面世界に出現した、小さな神殿を、綺麗さっぱり消滅させるつもりだ。そうすれば、もう、きみの頭にこびり付いている、キャリアの危機に対する不安なんて、古いかさぶたみたいに()がれ落ちるはずだ。

 それと、だな……。

 聞きたいんだが、きみとしても、大学時代、部活の先輩だった、深田くんを、いつまでも、あんなところに閉じ込めたままにしておく、というのは、胸の痛い話だろう? そうだよな――?

 うむ。わたしが、主犯であることは、もう、自白してしまったからね。当然の義務として、深田くんの心の状態を、回復させようと思う。

 深田くんの内面世界から、小さな神殿や、そのスイッチである像は、もちろん、極彩色(ごくさいしき)の花々も、色とりどりのキノコの群生も、すべて消滅させるつもりだ。

 そうしたなら、時間はかかるかもしれないが、いずれ、深田くんは、元の人格に近い人間に戻ることだろう――。

 その深田くんの処遇については、おいおい、きみとの話し合いの場を設けようじゃないか」

 

 考えようによっては、自分の決断いかんに、辻在誓少年と深田の、二人の人生が、かかっていると捉えられるかもしれない。いや、自分自身の人生も含めた、三人というべきか。

 いずれにせよ、深田に対しては、なんらかの形で、罪滅ぼしをしたい、という気持ちを持っているので、比留間の提案は、まさに、渡りに船でもあるのだ。

 しかし――、なぜか、今一つ、乗り気になれない自分がいる。

 

 だいいち、比留間が、深田の身を、あのような場所に幽閉したのは、口封(くちふう)じのためではなかったのか。かりに、その深田が、元の健全な人格の持ち主に戻ったとしたら、どうするつもりなのだろう。

 ひょっとすると、比留間は、もはや、後先を考える余裕もないくらい、極度のマゾヒストとして、別世界みたいな人生を得ることを、渇望(かつぼう)しているのかもしれない。

 

 もしも、以前の深田が、今、この場に座っていたら、そんな比留間に、どういった言葉をかけるだろう、と類照は考える。

 

「比留間院長、あなただって、霊体外科医だ。それも、枢聖院グループの霊体外科医全員の、トップに立つ存在だ。そして、この中央センターには、優秀な霊体外科医が、たくさんいる。

 心を病んでいるのなら、人格改造などではなく、正当な治療法による回復を目指す、という選択肢は、ないのですか?」

 

 すると、比留間は、慢性的な睡眠不足のように、目をぱちぱちとしばたたいた。


「ある日のことだ――。

 宅配便で、三つの薄い箱が届いた。それらには、一枚ずつ、服が入っていた。一枚の大きな上着と、二枚の小さな上着を、手に持って、最初に違和感を抱いたのは、その生地(きじ)のことだった。まるで、餃子(ぎょうざ)の皮で作られているような触感なんだ。

 わたしは、三枚の服を持ったまま、どのくらい、ぼんやりと突っ立っていたんだっけかな――。その時の心理状態は、(いま)だに思い出せない。

 気づいたら、そう、気づいたら、手に持っているのは、骨や肉を含め、あらゆる器官を抜き取られた、妻と二人の娘の上半身なのだと認識していた」

 

 一瞬、自分の中の正義感めいた感情が、いかに空虚なものだったかを、類照は、悟らされるような境地に至った。

 

「むろん、わたしは、自分を責めた。

 わたしが、裏社会の組織を、表立って糾弾(きゅうだん)するような真似(まね)さえしなければ、妻たちが、こんな形で帰ってくることはなかった、わたしが殺したも同然だ――。

 そう思いながら、大きな上着っぽいものを見るとね、妻の顔の面影が見て取れるんだ。妻は……、怒っているように見えた。その表情を見てね、わたしは、確信したんだ。妻は、この世の誰よりも、わたしを恨みながら、死んでいったのだ、と。

 娘たちのほうの顔を確認する勇気は、わたしにはなかった。きっと、二人とも、般若(はんにゃ)のお面みたいな表情をしているに違いない、と思ったんだ――。

 これは、実際に起こった、現実の出来事なんだ。現実は、変えられやしない。それでも生きていくなら、自分が、別の何者かに変わるしかない。

 幸い、一生分の金は、とっくに稼ぎ終えている。あとは、偽りの楽園の中で、余生を過ごしたい。その願いを叶えることが、それほど罪なことなんだろうか――?」

 

 比留間は、物乞(ものご)いをする者のような眼差しで、こちらを見てくる。

 類照は、不覚にも、いくばくか憐憫(れんびん)の情を催した。

 だが、その直後、比留間の表情が、一転して険しくなった。


「思い上がるんじゃないぞ。

 患者さんの内面世界に入ることで、心の病に対して、直接的アプローチをすることができる、霊体外科医というスーパーマン――。そんな言葉に踊らされ、きみは、社会の救世主にでもなった気分ではないのか。

 きみにとって、救われるべき人々とは、なんだ? 明日の食事にさえ困っているような、スラム街の住人たちは? 都市部にはもちろん、農村部にも住むことのできない、流浪者の集団は?」

 

 比留間は、落ちこぼれの中高生に、説教するかのように問いかけてくる。

 

「いいかい? 人間なんてのはね、いつの世も、二種類に分かれていればいいんだ。圧倒的大多数、そうだな、九割だ。九割のマゾヒストと、一割のサディストで、社会が構成されたなら、世の中は、美しく回り始めるんだ。

 恵まれない者には、幸福を。恵まれている者には、さらなる幸福を。

 霊体外科医ならば、こうした、真の意味での抜本的解決法を、伝家の宝刀として用いる、その心構えがあってしかるべきだろう」

 

 果たして、比留間と自分の、どちらが、より、正常に近い人間なのかと、おぼろげながらも考えさせられる。

 

「もっとも――、その人格改造にしても、やり過ぎは、よくないがね。

 わたしの自白としては、最後の最後になったが、実は、わたしにとっての失敗例が、きみの恋人、室野さんだったんだ」

 

「わたしの彼女が、失敗例……? では、わたしの彼女を、いばらの檻に幽閉する仕掛けを創ったのも、あなただったんですか?」


「そういうことだよ」

 

 比留間は、(まゆ)一つ動かさずに認めた。

 

 類照は、思わず宙を見上げた。

 怒りを通り超して、笑ってしまいそうな心境だった。いや、実際、口もとは、にやけた形に歪んでいるのを自覚する。

 今この瞬間、比留間に、襲いかかろうとしない、自分自身が不思議でならなかった。

 いったい、いつから、自分は、こんな腑抜(ふぬ)けになったのだろう――?

 そのように自問するが、しかし、つい直前まで、比留間の話に呑まれていたせいか、四肢に、力が入りそうもない感覚を味わっていた。

 

「ただ――、あれは、わたしとしても、苦渋(くじゅう)の選択だったんだ。

 わたしと室野さんが共有している秘密を知った、深田くんの口を閉ざさせたことで、心配事は消えた。それに、室野さんの、人格改造技術も、申し分のないレベルに達していた。

 だから、ついに、互いの人格改造を行う時が来たんだ。わたしは、室野さんの人生に、快感という名の(うるお)いを与える。また、室野さんは、わたしのこの人生を、地獄から、偽りの楽園へと導く――。そう約束したんだ。

 そして、わたしが、初めに、室野さんの人格改造を終えた。だが、それが、大きな誤りだった。

 室野さんは、なんと、わたしの人格改造を行うことに、条件を付けてきたんだ。その条件とは、彼女自身が、霊体として、深田くんの内面世界に入ることだった。それを許可しないのなら、わたしの人生を救うことは、しないと言い始めたんだ。

 なんというか……、彼女は、深田くんに、すっかり魅了されていた」

 

 魅了――?


「わたしにとって、室野さんの願いを聞き入れるのは、リスクが大きすぎた。だから、わたしは、室野さんを、根気強く説得しようとした。しかし、それは無駄だった。

 深田くんの内面世界に入りたいという、室野さんの欲求は、見たところ、日増しに強まっていくように思われた。

 そのため、わたしは、苦渋(くじゅう)の選択を強いられるようになった。

 あれも、裏社会の連中の技術なんだ。もし、何者かが、深田くんの内面世界における、小さな神殿で、妙な行動を取ったなら、ハトを捕らえるトラップのように、その者の身を檻に幽閉する。そういう仕掛けを創り上げたんだ。

 その結果は、きみのよく知るところだ」

 

 これで、ようやく、すべての謎が解けた。事の真相は、実に悲しいものだったが。

 

 自分は、ずっと誤解していたわけだ。

 深田泰亜への憧れか、あるいは、限りなく愛に近いもの――。

 恋人の依織は、そんな思いを抱えていたがゆえに、いち霊体外科医として、自らの手で、深田泰亜を救いたいと願ったのではないか――。

 自分の胸の内では、いつまでも、その疑念がくすぶり続けていた。

 

 しかし、それは違った。

 依織の目に、深田の姿は、まったく別の意味で、たまらなく魅力的に映ったのだ。

 だから、無謀にも、勝手に、深田の内面世界に飛び込んだのは、小さな神殿、つまり、疾患の象徴に接し、その疾患に、『感染』することを目的とした行動だったのだ。まさに、気の狂うような『苦痛』を求めて……。

 なにしろ、比留間の言う、抜本的解決法(・・・・・・)により、依織は、病的なマゾヒストに変えられていたのだ。

 

 類照は、無意識のうちに、心の中で、ぽつりとこぼしていた。

 そんなの、もう、イオちゃんじゃない……。

 

「そうして、使い物にならなくなった、わたしの彼女と、それから、まだまだ技術の足りない関根の代わりに、このわたしに、白羽(しらは)の矢を立てた、ということですか」


 類照は、ふうーっと、長い息を吐き出した。


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