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07 虚偽説明

 

 辻在誓少年の内面世界から飛び出すと、類照は、向かい側に座っている、自分の体に飛び込む。

 霊体と肉体が、完全に結合した後、まぶたを開け、ヘルメット型の機器を、頭から外した。


 坂上蘭音が、赤いテープを回収しながら訊いてくる。


「工藤先生、辻くんの、精神状態は、落ち着きそうですか?」


「えっと、ああ……。少し、考えさせてくれ」


 辻在誓少年の内面世界の件は、自分にとって、どう足掻(あが)いても解決不可能な問題である。解決できるのは、その原因を作った本人のみのはずだ。

 それについて、今、あれこれと頭を(ひね)ってみても意味はないだろう。

 

 だから、この瞬間ばかりは、自分自身のことを考えるべきだと思った。

 

 霊体外科医の工藤類照が、なんらかの医療事故を起こした――。

 

 誰もが、みな、そのように判断するであろう状況であることは、類照自身、重々承知している。

 すなわち、これは、霊体外科医としてのキャリアの危機にほかならない。

 ぐったりとした全身から、一挙に汗が噴き出てくるのを感じる。

 現在までに築き上げてきた地位から、また、安定した生活から、滑り落ちていく自分のイメージが、つと、頭の片隅をよぎった。そのせいか、足もとの床が、がたがたと崩れていくかのような感覚すら覚えた。

 

 果たして、どうすれば、この窮地を切り抜けられるかと、類照は、思考をフル回転させた。

 

 患者側の席に着いている、在誓(あるちか)は、すでに目を覚ましている。だが、まだ、完全に麻酔が切れていないので、幸いにも、先ほどまでのような病状を示してはいない。

 類照は、坂上蘭音に、在誓を、このまま内科病棟に移し、そこで、睡眠薬を静脈(じょうみゃく)注射することで、しばらく眠らせておくように指示した。それから、白井縁斗にも、在誓の母親と、二人だけで話したいからと、いったん退室してもらう。

 

 ひとりになると、類照は、机の上のマイクを握った。

 

「辻さん、第四施術室に、お入りください」

 

 まもなく、母親が、引き戸を開けて入室してきた。

 

「あのっ、息子は?」


 母親は、初対面の際に見せていた、かしこまった態度は、どこへやら、こちらに、鋭い視線を向けてくる。


「今は、また、五階の病室で、休んでもらっています。どうぞ、こちらの椅子に、お掛けください」


 類照は、スツールではなく、患者側の、黒い革張りの肘掛け椅子を勧めた。

 

 母親は、当然だと言いたげな様子で、そこに腰を下ろした。そうして、間を置かず、脅すような低い声で、ずばり切り込んでくる。


「先生。ひょっとして、息子が、あんな症状を引き起こした原因は、治療上のミスか何かでは――」

 

 類照は、半目(はんめ)で床を眺めたまま、二度、首を横に振ってみせた。

 内心では動揺していたが、ここは、決してそれを悟られてはならない。あくまでも、強気な姿勢を貫き通すべきなのだ。

 

「いえ、今回のことは、ある程度、予見していました。ただ、息子さんの場合、まだ思春期ということもあり、治療による副反応が、強く出てしまった、という状態なんですね」


「副反応?」


「はい。まず、順を追って説明します。霊体医療研究センターの、比留間先生がお話した、『特別な領域』のことですが、あの――、辻さんは、流浪(るろう)(しゃ)たちのことについて、お詳しいですか?」


 類照は、母親の顔を見すえる。


「流浪者? いえ、ほとんど知りません」

 

 母親は、不愉快げに答える。

 

「そうですか――。では、お話しますと、流浪者たちは、集団ごとに、それぞれの神を、信仰する傾向にあります。そうした神のなかには、神というより、邪神(じゃしん)というほうが正確なものも、存在するんです。

 息子さんは、そういう邪神的なものに、強く傾倒していたと考えられます。なので、学校での問題以外にも、そのことが、息子さんの精神状態に、大きな悪影響を及ぼしていたと見なすべきでしてね」


「あの子が、流浪者たちの邪神なんかに、興味を持っていたなんて……、そんなふうには、全然、思えませんでした……」


 母親は、呆然とした表情で言う。


「おそらく、インターネットなどを通じて、そういった知識を取り入れていたのでしょう。辻さん、あの年頃の息子さんのことを、何もかも把握するなんて、どんな親にも難しいですよ」


 類照は、慰めの言葉をかけておいた。


「ですけど――、以前、診ていただいてた、関根先生は、まったく、そうしたことを、お話になりませんでしたが」


「ああ、あの先生は、その――、こう言うのもなんですが、霊体外科医としての経験が浅かったので、息子さんが、流浪者たちの邪神にまつわる問題を抱えていたことを、見抜くことができず、そのため、『特別な領域』の治療を、行っていなかったのです」

 

 関根に対してなら、いくらでも責任をなすり付けてやっていい、という思いだった。


「あらっ――。びっくり。とっても優秀な先生だと思ってたんですが……」


「まあ、とりあえず、平たく言えば、今現在、息子さんは、心の(うみ)を出している状態でしてね。その膿を出し切れれば、自ずと快方に向かうことでしょう」


「わかりました……。先生、どうか、息子のことを、よろしくお願いいたします」


 母親は、申し訳なさそうに頭を下げ、椅子から立ち上がった。入室時とは、がらりと変わって、しょぼくれた雰囲気を、その背中から漂わせながら退室する。

 

 類照は、当然ながら、猛烈な罪悪感に襲われた。

 その後、机の上の電話を取り、霊体医療研究センターの番号を押す。

 事務職員から、院長室への取り次ぎは、すんなりと行われた。

 二コールで、相手につながった。


「あの、東部医療センターの工藤ですが」


「ああ、そろそろ、電話がかかってくるものと思って、待っていたよ。話したいことは、山ほどあるだろう? もちろん、今から来られるよな?」

 

 類照は、怒りで受話器を握りしめていた。


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