04 疾患の象徴
ふっと大地に降り立つ。
新緑の森の中だった。
類照は、それまでの白衣ではなく、黒い太極拳服に身を包んでいる。
大学時代は、魔術太極拳部に籍を置いており、その活動で使用していた衣服だ。五年生の夏からは、主将も努めたのだった。
履物は、革靴からアウトドアシューズに変わっている。
歩きながら、木の高さや幹の太さ、木と木の間隔、枝や葉の広がり、といったものを注意深く観察する。
続いて、動いているものに意識を向ける。
リスが、四、五匹、地面や木の枝の上に見受けられた。
新緑の森における動物のなかでは、まず、暗示のセリフにも出てきた、リスに着目せよと、学生の頃から、ずっと教え込まれてきた。
どのくらいの頻度で発見できるか、個体の大きさや色、動き、こちらに興味を示しているか、エサを持っているか――、など。
その途中で、ウサギが、二匹、ぴょんぴょんと飛び跳ねている姿を目にした。
ほほう――。
類照は、好ましく思った。
基本的に、リスを含め、ウサギやハムスターなど、愛玩動物として飼われるような小動物の数は、多ければ多いほどいい。それが、類照の持論だった。
さらに歩いていく。
木の枝のあちこちに、クモの巣が張られているのがわかる。
ヤモリが、一匹、また一匹、続いて二匹と見受けられ、この森での繁殖ぶりが覗える。
その二点が、少々、気がかりなところだった。
だが、三度の施術の後なら、こんなものかな、という所見だ。
左手側に進行方向を変えると、まもなく、ホーホー、という鳥の鳴き声が聞こえてきた。
その声に誘われるようにして歩いていくと、やや開けた場所に出た。
大きな木の枝に、つがいと見られる、二匹のフクロウが止まっていた。
また、地面には、水溜まりができていた。いや、小さな池と捉えるほうが正確かもしれない。水は、灰色に濁っており、よく見ると、大量にヒルが棲息しているのが確認できる。あの、生き物の血を吸うヒルだ。池からは、かすかに嫌な臭いが伝わってくる。
さらに、池の水際には、灰色のネズミが、十匹ほどうろついている。水際を好むところからして、おそらく、ドブネズミだろう。
ここに、フクロウが居合わせている理由は、一目瞭然だ。そのドブネズミたちをエサとして狙っているのだ。
この取り合わせは、いかにもよくない。患者の疾患、つまり、不潔恐怖症の症状を、見事に象徴した光景だといえる。
類照は、池を見下ろした。大元の原因である、汚い池そのものを、丸々、消滅させることに決めた。
もちろん、実世界、すなわち物質世界で、同じことを成そうとしたら、大変な労力を払うことになる。どれだけ優秀な魔術の使い手とはいえ、一人の力では、とても一日では終わらない作業となるだろう。
しかし、患者の内面世界ならば、話がまったく違ってくる。
内面世界と、霊体は、非物質性という点で共通しており、極めて融和性が高い。ちょうど、水に溶ける塩のように。
そのため、強い相互作用が働くのだ。こと、霊体外科医が、非物質性能力である魔術を使用した場合、その威力は、実世界とは比較にならないものとなる。
手のひらからは、火炎放射器のような勢いで炎が出る。
念力を働かせることで、危険な猛獣を金縛りに遭わせるなど朝飯前だ。
空に両手を突き上げるようにして、雨雲を呼び寄せ、森全体に、恵みの雨を降らせることもできる。
やる気になれば、それこそ、空間を歪ませることだって可能かもしれない。
それゆえ、大学時代の臨床実習で、指導役の霊体外科医と共に、患者の内面世界に初めて入り、魔術を駆使した時など、自分が大魔術師になったような気分を味わったものだ。
しかし、強い相互作用が働くというのは、むろんメリットばかりではない。
霊体外科医もまた、患者の内面世界において、人格に影響を受けやすいのだ。
今の状況で、注意すべきものの一つが、足もとの汚い池である。
もしも、予想外の出来事に見舞われ、うっかり、この池に足を突っ込み、腰まで水に浸かるなどの事態におちいったら、どうなるか――。
おそらくは、この池が示していると思われる患者の疾患、つまり、今回の場合は、不潔恐怖症に『感染』してしまうことだろう。なので、自分の衣類に、池の飛沫が付着するのも、可能な限り避けたいところだ。
すなわち、施術においては、大胆さと慎重さの両方が求められるというわけだ。