01 裏社会専用のディスク
関根予壱による患者への人格改造を、類照が暴いてから、一ヶ月半が経とうとしていた。
あの日を境に、関根は、忽然と姿を消したのである。
枢聖院グループにとって、事件の真相解明のために、急きょ、設置された調査委員会による、関根の事情聴取は、喫緊の課題だった。
そのため、関根の携帯端末の番号に、電話をかけ続けたのだが、一向につながらない。最終的には、東部医療センターの元橋院長が、関根の自宅マンションに赴くことになった。しかし、インターホンを鳴らしても返答はなく、管理人と共に部屋まで行ったが、ドアの鍵は閉まっていた。
なので致し方なく、警察に立ち会いを求めた上で、ドアの解錠後、中に踏み込んだのだが、そこは、もぬけの殻だった。
というより、生活感の欠片も感じられない空間だったという。どうやら、前々から、住居は、別の場所に移していたらしかった。もし、人格改造が露見した場合は、即座に動けるように、という関根の周到性が覗えた。
それゆえ、関根の事情聴取は、いったん、棚上げとなった。そのことに、類照は、少なからず落胆させられた。しかし、一方で、こうなる予感を抱いていたのも事実だった。
最後に関根を見たあの日、まっしぐらに階段のほうへと逃げていく、その背中を見ながら、なんとなく思ったのだ。どこかに姿をくらますにせよ、何者かに消されるにせよ、きっと、関根は、二度と自分たちの前に現れまい――。
また、枢聖院グループとして、すぐに取りかからねばならない問題は、もう一点あった。関根が受け持っていた患者たちのことである。そのうち、一部の例外を除いて、ほぼすべての患者が、人格改造を施されている可能性が濃厚だった。
だから、まず、その内面世界を、自然な状態に戻し、さらに、正当なやり方での治療も継続していく必要がある。
それについては、上層部が、それぞれの霊体外科医に、担当する患者を割り振ることになった。むろん、類照や理瀬那にも、その患者たちが回ってきた。
関根の患者への施術は、一筋縄ではいかないものだった。
人為的に創り出された異物を、一気に消滅させてしまうのは、患者にとって、それまで使用していた麻薬性の鎮痛薬を、突然、中止されるも同然なのだ。それには、想像も及ばぬほどのリスクが伴う。
そのため、異物を少しずつ段階的に減らしていきながら、同時に、疾患の象徴にも処置を行っていかなくてはならない。
一言でいうなら、通常の患者への施術と比べ、二倍の労力なのである。
そのような変則的な日々を送りながらも、しかし、類照は、枢聖院グループの霊体外科医と、接点を持ちそうな、裏社会の組織について、時間を見つけては調べ続けた。
書籍を読むことで知見を深め、インターネットでの情報収集もしていたが、時には、そうした分野に詳しそうな警察関係者と、直接、会って話を聞くこともあった。
その過程で、裏社会で生きる霊体外科医、あるいは、無免許ながらも、霊体医療の技術を持つ者が、人間の内面世界において、具体的に、どういった作業を行っているのか、類照も、豊富に知識を溜め込むことになった。
そして、つい先日、あの比留間院長から、思わぬ朗報がもたらされたのである。
「裏社会専用のディスク?」
皆川理瀬那は、モンブランをかじりながら聞き返してきた。
「ああ。比留間院長も、関根の一件があってから、裏社会の組織に焦点を当てて、本格的に調査に乗り出してくれてな。
それで、判明したんだ。裏社会の人間が、主に、人格改造なんかを行う場合の、シーナリー化の際には、裏社会専用のディスクが、よく用いられることが」
東部医療センターのラウンジで、二人は、向かい合って座っていた。
今回は、珍しく、誘った側の類照が、軽食を奢る番だった。
理瀬那は、意味がわからない、と言いたげに首を傾げている。
「まあ、聞いてくれ。まず、関根が施術を担当してた患者、十六歳の少年の内面世界で、おれは、カラフルに花を咲かせた、サボテンの群生と、ハイエナやハゲワシを呼び寄せるための、カンガルーの死体を目にした。
それらは、関根が創り出したものなんだけど、その技術は、『埋め込み』と、裏社会では言われてるんだ」
「ねえ、そもそも、裏社会の組織が、そこまで、人に対して、人格改造を行う理由って、なんなの?」
「それに関しては、実は、おれも、あまりよくわかっていないんだ。
だけど、根底にあるのは、流浪者たちとの癒着だな。その一例が、人身取引だと言われてる。
たとえば、都内で不安定な生活を送ってる、スラム街の住人を取り込んで、人格改造を行う。精神的にも肉体的にも、過酷な状況に耐えられる、というか、むしろ、それを喜ぶような人格に変えちゃうんだ。
それで、その人を、都外へと追い出す形で、流浪者たちの集団に流入させる。当然、その人は、カーストの最底辺、ほとんど、奴隷みたいに扱われながら、生きていくことになる。
流浪者たちの集団は、そういう、いわば戦力を得た見返りに、都会で、性の商品になりそうな、主に若い女の人を、裏社会の組織に差し出す。
そうした構図があるらしい」
類照も、説明しながら、陰々滅々たる気分になっていた。
「なんか、途方もない話ね」
理瀬那は、悲しげに顔を歪めた。
「だな……。で、話を戻すと、深田先輩の内面世界、イオちゃんの霊体が幽閉されてる、いばらの檻な。あれも、その『埋め込み』の技術を応用したものなんだ」
「となると、いったい、誰が、どのような目的で、深田先輩の中の世界に、そんな、悪意に満ちた仕掛けを創ったのか、よね」
「誰が、という点については、まだ、裏社会の人間、という以上のことは、杳としてわからない。
だけど、今では、それすら、どうでもいいような状況になってきてるんだ。大事なのは、犯人捜しなんかじゃなく、あの、いばらの檻を保護してる、見えないバリアを破ることだからな」
類照は、打って変わって、語気に熱がこもっていくのを感じていた。
「たしかに、あの絡み合った蔓は、切り裂こうとしても、焼き切ろうとしても、びくともしなかったからね」
「うん。けどな、裏社会で流通してる、ある専用ディスクで、深田先輩の内面世界をシーナリー化すれば、あの、いばらの檻は、消滅させられる可能性が高いというんだ。
そういうわけで、これから、中央センターに行って、そのディスクについて、比留間院長から、詳しく聞いてくる予定なんだ」
「類照、あんた、まさか、そのディスクを入手するために、裏社会の組織と、自らコンタクトを取るつもりじゃないでしょうね?」
理瀬那は、咎めるように言う。
「いずれは、そうしなくちゃいけないと、覚悟してる」
「あのねえ――、類照みたいな、まだ、三十になるかならないかの若い男が、たったひとりで、裏社会の、そんな組織を相手に、何ができるってわけ!?
比留間院長が、もう、そこまで、謎を解明してくれてるんでしょう!? あとは、あの人の政治的な力を信じて、依織ちゃんの霊体を救出することに関しては、全部、任せたらいいんじゃないの!?」
理瀬那の悲痛な叫びに聞こえた。
「いや、どうだろう――。比留間院長は、過去に、家族が巻き込まれた、悲惨な事件のことがあるからだろうけど、裏社会の組織に対して、どうも、直接的な関わり合いは、持ちたがってない印象を受ける。
だから、関根の不正を暴いた時と同様だよ。自分の彼女のことだったら、やっぱり、自分が動くしかないんだ」
「……あたしが悪いんだ」
「ん?」
「あたしが、関根に、敵意を抱き続けて、心理検査の数値表を、見てくれ見てくれって、あんなに、類照に言い続けてきたから……。
その結果、類照は、向こう見ずな行動ばかり起こすようになっちゃった。
もし、あんたに、何かあったら、あたし……」
「いやいやいや。おれは、感謝してるぜ。理瀬那のおかげで、イオちゃんの霊体の救出に向けて、一気に歯車が動き出したんだから」
類照は、湿っぽい空気にいたたまれなくなり、静かに立ち上がった。