第21章:ようするに、熊田君の『真意』とは
・・・むずかしいことじゃない。
つまり、こういうことですよ。
「俺の家より貧乏でみすぼらしい家屋に住んでほしかった。」
ぼくが最後に訪問したときの、彼の新しい自宅は、
大田原市某所の、小さなマンション。
築数十年の、昭和時代の遺物である。
それでも、前章で述べたような、彼の最初の生家の、不潔で破滅的な要素は、ひとつも見当たらない、清潔な環境でなによりだった。
熊田君は、ぼくが無職でカネが無い時期に、
よく飲食店や「すたみな太郎」のようなバイキングに誘ってくれて、太っ腹におごってご馳走してくれ、大いに助けてくれた。
そのことは、いまもいい思い出だし、感謝の気持ちしかない。
自宅でなじられていたぼくは、遠慮して家での食事を避け、公園などに逃げていたから、いつも空腹だった。
実際、母親からは面と向かってハッキリと、
「働かざるもの、食うべからず!」といわれたしな。
だから、熊田君に、
「親切心の裏がえしの本心・真意」があることはわかっていたものの・・・
いまも彼を憎んではいない。
茶太郎と、倉庫を脱出したあの夜だけは、本気で恨んでいたけどね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・いま、母と弟(= 次男坊)とぼくとの3人で暮らしている家は、
1998年に新築した、二階建ての立派な屋敷である。
敷地は三百坪もあり、この一帯では一番大きな住まいとなっている♪
だから、熊田君のような「自宅へのコンプレックス」というものは、生まれてこのかた、ただの一度も感じたことはない。
金銭的にも恵まれていたし、厳しいながらも、まともな教育を受け、両親からの虐待や暴力もいっさいなく、
「お坊っちゃん」「箱入りの長男」として、大切に可愛がられ、何不自由なく育った。
それにひきかえ、熊田君は・・・
「苦労人」そのものの人だった。
ぼくより18歳年下の彼は、学業に励みながら、自分の祖父と妹、統合失調症の、元・看護婦のお母様の世話をしながら、懸命に生きてきた。
ぼくの、恵まれた人生とはまったく異なる「歩み」をしてきた青年だった。
だから、彼の「本心」「ホンネ」が見えてきても、ぼくは彼を見限ることはなかったのだ。
彼が、無職のぼくに「生活保護申請」を強く勧め、社会保険事務所にまでなかば強引に引っ張っていったのも、
あんなヒドイ倉庫に住まわせたのも、
彼の根強い「コンプレックス」のなせる業だということを、痛いほど理解できていたからだ。
だからこそ、あれだけぼくに「プッシュ」し、協力的だったんだな、と。
熊田君はまた、
ぼくが一人暮らしして、うるさい母親や、なじる弟と離れて暮らしたいんだ、という話を打ち明けるたびに、こんなふうに言っていた。
「・・・ソレなら、ぼくが栗原さんのために、ボロいアパート探しますよ。働くようになるまで、家賃は面倒みますから。」
「ここで思いきって、きったねぇアパートに突っこんだらいいじゃないスか。」
とね。
ぼくの二階の自室に案内し、蔵書の無数の語学書を目にしたときに、彼はこんなことも言っていたな。
「・・・ぼくが栗原さんなら、迷わずこうしますね。ここにある外国語の教科書・・・いますぐ全部捨てますよ。」
それからほどなくして、少しずつ熊田君とは疎遠になっていき・・・
もう10年以上も、連絡は途絶えている。
m(_ _)m




