エピソード3:Saturday/ココロのソナー④
ユカと蓮(政宗)がフードコートの4人がけの席に飲み物を置いて一息付いた、まさに次の瞬間。
「――あれ?」
聞き覚えのある、聞き覚えしかない甲高い声に、2人して盛大に肩を震わせた。
そして、声がする方を見てみれば……。
「やっぱり、ケッカさんに名波君っす!!」
Tシャツにワイドパンツという私服姿でポニーテールをなびかせた里穂が、いつも通りの明るい笑顔で近づいてきた。
仁義にはやむを得ないということで事情を説明しているが、里穂には特に何も伝えていない。作戦会議も出来ないままで固まる2人へと近づいた里穂は、自分を見てギョッとしている様子を訝しみつつ、いつもの声音で問いかけた。
「まさかこんなところで会うなんて思ってなかったっすよー。それにしても、珍しい組み合わせっすね」
2人が座っているテーブルの前で立ち止まった里穂が、ユカと蓮(政宗)を交互に見つめて首を傾げる。先程、万吏と相対した時にフォローしてもらったし、こんな場合で口火を切るのは自分だろう、そう判断したユカが座ったまま彼女を見上げ、ぎこちなく応答した。
「里穂ちゃん、こんにちは。今日は一人なん?」
「さっきまで友達と遊んでたっす。テスト終わりなので開放感がすごいっすよー!!」
「そうやったね。テストお疲れ様」
「そうなんっすよ。やっと終わったっす。名波君も昨日までだったっすよね?」
「へっ!? あ、ああ……はい」
急に話を振られた蓮(政宗)が、眼鏡の奥の瞳を盛大に泳がせながら頷いた。
そんな様子を見た里穂は顔をしかめると、改めて、2人を交互に覗き込み……。
「んー、なんか……違和感がある気がするっす」
こんなことをサラッと言うものだから、どうすればいいかわからなくなりそうだ。
ユカもつられて目を泳がせながら蓮(政宗)の反応を確認しつつ、里穂の挙動にも気を配りつつ、自然な会話を続けようと試みる。
「い、違和感?」
「そうなんっすよ。なんか、名波君が……なんか……」
里穂は首をかしげつつ、しれっとまばたきをして視える世界を切り替えた。
そして――
「……え? いや、でも……ま、政さん……っすか……?」
文字通り、事実を目の当たりにしてオズオズと彼を指差す里穂に、蓮(政宗)は苦笑いで頷いた。
その後、飲み物――メロンフロートを買って戻ってきた里穂は、改めてユカの隣に腰を下ろして。
蓮(政宗)はコーヒーを飲みながら事情をかいつまんで説明した後、空笑いと共に肩をすくめた。
「やっぱり里穂ちゃんは誤魔化せなかったか……」
「里穂ちゃん、後学のために教えて欲しいっちゃけど……なして気付いたと?」
ユカの問いかけに、里穂はあっけらかんと返答する。
「何となく、名波君の周辺の雰囲気が気持ち悪く感じたっすよ。噛み合ってないっていうか、ムズムズするっていうか……そういう時はだいたい、どこかの『縁』がおかしくなってるっす」
「なるほど。だから見てみたと」
野生の勘を発動させて正解を手繰り寄せた里穂は、改めて、自身の斜め前にいる蓮(政宗)を見つめた後、ストローでジュースをかき混ぜながら言葉を続けた。
「それにしても……まさか2人の『因縁』が絡まっているとは思わなかったっす。でも、ちょっと緩くなってたっすね」
刹那、蓮(政宗)が眼鏡の奥の瞳を大きくして身を乗り出す。
「里穂ちゃん、それ本当?」
「名波君、いや、政さんっすかね? とにかく2人が物理的に離れているからかもしれないっすけど、私からはそう見えたっす。だから、ぼちぼち戻れると思うっすよ」
里穂がそう言って頷いてくれるから、未来により強い希望が持てる。蓮(政宗)がどこか安心した表情で座り直す様子を見て、ユカも肩の力が抜けた。
里穂は名杙直系と言われる血筋で、『縁故』としての潜在能力は政宗やユカより相当に高い。そんな彼女からのお墨付きは、とても力強い後押しになる。ユカはカフェオレを飲みながら、アイスの冷たさに顔をしかめる里穂に謝辞を述べる。
「ありがとう、里穂ちゃん」
「私は思ったことを言っただけっす。にしても……名波君と政さんが入れ替わっちゃうなんて思わなかったっすよー。政さんなんてストレスどころか、ケッカさんとの新生活でウキウキしまくりだと思ってたっす」
里穂はそう言ってメロンフロートをすすった。そして、ストローの先にあるスプーンでバニラアイスをすくいながら、改めて2人を見やる。
「そういえば、政さんとケッカさんは、家電とか買い換えなくていいっすか?」
予想外の提案に、今度はユカが目を丸くして首を傾げる。
「へ? なして? まだ全部使えるけんが……特に考えてなかったなぁ」
「ジンが一人暮らししてる部屋に遊びに行った時、洗濯機とか冷蔵庫が小さくてびっくりしたっすよ。私は政さんの部屋に入ったことがないので分からないっすけど、2人で暮らし始めると手狭なものもあるんじゃないかと思ったっす」
その発想はなかった、と、「なるほど」と頷くユカに、蓮(政宗)が苦笑いでツッコミを入れた。
「っていうか里穂ちゃん、一応謹慎中の仁義君の部屋って一人で立ち入って良かったんだっけ?」
「それは聞かなかったことにして欲しいっす」
里穂は笑顔でそう言った後、緑色のサイダーをすすった。
「二人暮らしはきっと楽しいっすよね。私も追いつけるように頑張るっす!!」
その後、用事を終えた聖人も合流して、テーブルは更に華やかになった。
「里穂ちゃんまで呼び寄せちゃうなんて、ケッカちゃんも政宗君も流石だね」
聖人がそう言って里穂を見ると、里穂は頬を膨らませて彼をジト目で見た後、不平不満を口にした。
「伊達先生は知ってたっすね。多分ジンも知ってるっすから……私とココちゃんが仲間外れになるところだったっすよ」
刹那、ユカと蓮(政宗)が同時に肩をビクリと震わせる。その反応を見逃さない里穂と聖人は、静かに顔を見合わせた後……隠し事をしている2人へ、色々と牽制をしてみることにした。
「ケッカさん、今の私の言葉にダウトがあったっすね?」
「え!? い、いいえ、そげなことなかよ!?」
「伊達先生ケッカさんの嘘が下手くそっす!!」
「あーもーケッカちゃん口を閉ざしまーす!!」
宣誓してカップに口をつけるユカからはこれ以上情報を引き出せないと判断したのだろう。聖人は蓮(政宗)へ的を絞り、いつもの笑顔で追い詰める。
「ねえねえ政宗くーん、これだけ巻き込んでおいて、自分達が部外者だなんて言うわけないよね? あと自分、蓮君の保護者であり監督する立場だから、彼に関することはどんなことでも知っておきたいんだけどなー何があったのかなー?」
「それは……ただ、俺の一存だけでどこまで語っていいのか分かりかねるので……」
「ノープロブレムだよ政宗君。自分、口はコンクリートより堅いから」
「私も鋼鉄より堅いっす!!」
こう言って笑顔の圧力をかける2人を、蓮(政宗)は交互に見た後……観念した表情で両手を上げた。
正直、この場を笑って切り抜けられるとは思えない。それに……。
「分かりました、分かりましたから。他言無用でお願いしますよ」
「政宗……よかと?」
「伊達先生は蓮君を監督する立場だし、里穂ちゃんにはたくさん世話になってるから。今更蚊帳の外なんて可哀想だよ」
「さすが政さん、話が分かるっす!!」
里穂がこう言って親指を突き立てる。ユカはそんな様子を横目で見ながら……彼の責任で話すと決めたのだから、自分に不利益はないはずだと、万が一の際の逃げ道と言い訳を組み立て始めた。
そんな彼女の思惑をよそに、蓮(政宗)が「実は……」と、口を開く。
今回の一件が、互いのストレスによる悪影響が相互作用した結果だと考えられること。
政宗の仕事に起因する懸念事項は何とか解消されそうだけど、蓮自身の懸念事項が心愛の誕生日に関することだったこと。それを解消するために――
「ココちゃんと名波君が水族館デートっすか!?」
「里穂ちゃん里穂ちゃん!! 声のボリューム!!」
蓮(政宗)から慌てて諌められた里穂が、己の口を両手で塞いで首をコクコクと縦に動かす。
一方の聖人は、期間限定のマロンフラペチーノをストローでグリグリとかき混ぜながら、その口元をニタリと左右対称に吊り上げた。
「そうなんだ。蓮君、それをずっと心配していたんだね」
「本人が心愛ちゃんの前でそう言っていたので、間違いないと思います。とりあえず明日は俺とケッカ、統治も立ち会いますから、伊達先生はゆっくりお休みください」
「それは残念。足が欲しかったらいつでも呼んでね」
とっても楽しそうに言う聖人に、蓮(政宗)は苦笑いで首肯しつつ……明日、まずは無事に心愛の『縁切り』が成功することを祈りつつ、早く元の体に戻って、聖人の相手を交代したいと強く願うのだった。
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時刻は20時過ぎ。すっかり夜の帳が下りた頃。
風呂上がりの心愛が、台所で飲み物を飲もうとしていたところへ……帰宅した統治と鉢合わせになった。
「お兄様。おかえりなさい」
「あ、ああ。ただいま」
どこかぎこちなく言葉を返す統治は、持っていた白い箱をダイニングテーブルの上に置いた。そして、何だろうと視線を箱に向ける心愛へ、おずおずと提案をする。
「土産にケーキを買ってきたんだが……食べるか?」
「ケーキ!!」
刹那、心愛が目を輝かせる。しかし、すぐに現実に戻ると、自問自答を始めた。
「もう夜の8時過ぎだし……で、でも、ケーキは早く食べないと味が落ちちゃうし……」
「どうするんだ? 食べないならば冷蔵庫に片付けるんだが……」
「た、食べるっ!! 明日頑張るために食べるっ!!」
箱を片付けようとした統治を大声で制した心愛は、取皿とフォークを用意すべく、食器棚の方へ駆け寄っていく。
「お兄様も食べる?」
「ああ」
首肯した統治の分まで皿とフォークを取り出した心愛は、それをテーブルの上に置くと、いそいそと白い箱を開ける。中にはいちごのショートケーキと生チョコクリームのケーキが2つずつ入っており、そのどちらも魅力的に見える。
「んー……じゃあ心愛、いちごのショートケーキもらってもいい?」
「ああ」
「お兄様はどうするの?」
「俺はチョコレートの方にする」
統治の言葉に首肯した心愛は、箱の中にそっと手を入れると、フィルムが巻いてあるケーキをゆっくり持ち上げ、皿の上に置く。同様にチョコレートケーキも皿に乗せながら……しみじみと、ケーキを見下ろした。
まさか、こんな日がおとずれるとは……思ってもいなかったから。
「心愛?」
「お兄様がこんなお土産を買ってくるようになるなんて……櫻子さんの効果は凄いわね」
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味よ。だって、前までのお兄様だったら……家族へのお土産にショートケーキなんて、絶対買ってこなかったわ」
「それは……」
はっきりと言われると、色々と肩身が狭い。
今までの統治は、未来のために前を見据えて突き進んできた。目指すのは次期名杙家当主、そのために必要なことを身につけて、周囲とは一段上の位置から物事を見るように意識してきたことは否定しない。
人の上に立つ、それは、たった一人になるということ。
家族さえ頼れない領域で、一人、全てを決めるということ。
孤独な身内の背中ばかり見てきたのだから、それが当たり前だと思っていた。
『仙台支局』も、いずれ、自分はいなくなる場所。
そう思って、どこか、一歩引いた位置から物事を俯瞰的に見ていたと思う。その姿勢はきっと、これからもそれなりに続くと思うけれど。
名杙統治として、一人の人間として生きる時間を作って欲しい。
そう言って笑ってくれる、それを許して、願ってくれる人が……櫻子以外にも案外いることに、最近、やっと気付くことが出来たから。
名波蓮に戻らない覚悟があるというならば。
名杙統治にある覚悟、それは――自分の感情を大切な人に伝えること。
自分自身をさらけ出す覚悟だ。
「……心愛、その……昨日は妙なことを言ってしまって、すまなかった」
「お兄様……」
「心愛のことを信頼していないわけでも、名波君を疑っているわけでもない……と、思う。ただ、その……どうしても、心配が先行してしまったんだ。それで……」
正直に気持ちを吐露する兄の姿に、心愛は史上最大に目を見開いて……肩にかけていたフェイスタオルをギュッと握りしめた。
そして、頬を赤みを吹き飛ばすためにブンブンと頭を振ると、口元を複雑な感情で歪ませる。
「何、よ……何よそれ!! もっと早く言いなさいよ!!」
「心愛……」
「お兄様は自分のことを言わなすぎるのよ!! 心愛くらい察しがよくないと……絶対に誤解されちゃうんだからね!!」
こう言ってケーキを頬張る妹の姿に、体の力が抜けた。
普通の兄妹であれば、もっと早い段階でこんな関係に――土産のケーキを一緒に食べて、雑談をする関係になるのかもしれない。時間はかかってしまったけれど、これからは、こんな時間を積み重ねていきたいと思う。
「……ああ。分かってる」
「心愛、明日はちゃんとお仕事も頑張るから。それで、名波君の不安も取り除いて見せる。絶対に全部、元に戻してみせるから……ちゃんと見ててね、お兄様」
「……当然だ」
目の前で力強く頷く兄の姿が、心愛には何よりも頼もしく思えた。