エピソード3:Saturday/ココロのソナー③
土曜日、時刻は間もなく14時30分を過ぎようかという頃。
ユカと蓮(政宗)は、聖人の運転する車で……石巻にある、大型ショッピングモールに出かけていた。
その理由は、聖人の盛大なお節介である。
「政宗君、折角だから、ちっちゃい蓮君でいる間にケッカちゃんとデートしてみたら? 食料品の買い物とか必要だろうし、伊達先生もその日は午後から暇だから車出しちゃうよ☆」
金曜日の夜、蓮本人が聞いたら無言でカバンを投げつけそうな暴言を散りばめたメールが届いたのだ。あいにく、今は中身が蓮ではないので、聖人は無事でいられるけれど。
かくして、聖人の提案にのった蓮(政宗)は、買い物を理由にユカを誘い出して、今に至る。
小鶴新田のスーパーの駐車場で待ち合わせて、敷地内にあるファストフード店で昼食を済ませた。そこから高速道路も使って石巻を目指し、無事に到着した後は……駐車場を探す新たな戦いが始まる。いつもならば彼が目を皿のようにして隙間を探すのだが、今日は助手席だ。そんな蓮(政宗)が、駐車場を探して徐行運転をしている聖人を見やり、疑問をぶつけた。
「っていうか伊達先生、どうして石巻なんですか?」
「たまにはみんなで楽しくドライブしたくって」
「いや、絶対それだけじゃないですよね」
「ご明察だよ政宗君。このモールの中に、富谷の分院のパンフレットを置かせてもらえることになったからね。現物供給とちょっとしたご挨拶だよ」
「なるほど。後ろの箱はそれだったんですね」
蓮(政宗)の言葉で、後部座席に座っているユカは、自分の隣にある段ボール箱を見やる。A4サイズで高さは20センチほどの箱が2つ。中身は分からないけれど、この中にパンフレットが入っているのだろう。
聖人は現在、富谷にある透名総合病院の分院に多く勤務していた。石巻は登米にある病院を知っている人も多く、かつ、仙台方面へ仕事で行く人も多い。知名度を上げるため、宣伝に力を入れているのだという。
休日ということもあり、駐車場はとても混み合っていた。その中で何とか1台分のスペースに車を止めて、聖人は「ふぅ。」と大きく息をつく。
「全く、ここはいつ来ても人が多いね。みんなさっさと帰ればいいのに」
「今来たばっかりの人が何言ってるんですか……さて、俺たちはどうすればいいですか?」
身勝手な聖人の言葉に蓮(政宗)がジト目を向けるが、聖人はそんな視線など意に介さず、シートベルトを外した。
「自分はとりあえず、透名先輩と合流して、偉い人にペコペコしてくるね」
「透名先輩……あ、櫻子さんのお兄さんですか?」
「その通り。彼が分院のボスだからね。多分、30分くらいかかると思うから、ケッカちゃんと政宗君は適当にウロウロしてて。終わったらどっちかに連絡するから、おやつでも食べようかな」
「了解です。ケッカ、行くぞ」
「はーい」
降車の用意を済ませていたユカは、外の空気を吸うべくそそくさと出ていった。蓮(政宗)もシートベルトを外してカバンを持つ。すると、聖人が窓の外にいるユカを指さして。
「2人の身長差だったら、ケッカちゃんと手をつなぐのも普段より疲れないだろうね」
「なっ!? な、何言ってるんですか伊達先生!! そんなことしませんよ!!」
「おやおやどうしてかな? わっざわざこーんな人が多い場所に連れ出したというのに、蓮君になってもヘタレたままでいるつもり?」
「押し付けがまし上に失礼この上ないんですけど……とにかく、名波君の体でそんなことしませんから」
「名波君の……あ、そういうこと。だから……ふぅぅぅーーーーーーーーーーーーーん。そーなんだー」
「あぁもうマジでこの人性格悪すぎる……と、とにかく、連絡待ってますから!! 伊達先生も頑張って営業スマイルですよ」
「任せて。笑顔は得意なんだ。ほら、蓮君も女の子を待たせちゃ駄目だよ」
「ヘイヘイ……」
蓮(政宗)はガックリ肩を落とすと、ノタノタと車から降りる。
そして、日々、こんな彼の相手をしている蓮のことを思い……心の底から同情したのだった。
石巻にある大型ショッピングセンターは、スーパーや映画館などが一体となった複合施設だ。
石巻市のみならず、近隣の町からも多くの人が訪れるため、中は多くの人で賑わっている。
「っつっても30分だもんな……ケッカ、どこか見たいところあるか?」
「えぇー?」
2階まで吹き抜けになっているフロアを見上げ、ユカは思わず顔をしかめる。
正直なところ、ここで買い物をしなくても……仙台に戻れば同等の買い物が出来る。しかも今、隣にいるのは政宗だが、外見は高校生の名波蓮だ。何となく財布を出させるのは申し訳ない。
「政宗こそ、何かなかと?」
「そうだな……仕事用の靴が欲しいけど、試着出来ないからなぁ……」
「あー……」
お互いに閉口して、苦笑いを交換した。そして、とりあえず1階からウロウロしてみて、気になる店があれば立ち止まってみようという結論に至る。
横に長いモール内を歩きながら、ユカは隣を歩く蓮(政宗)を見上げた。そして、普段より近い距離を自覚し、思わず目を背けてしまう。
分かっていたことだ。普段はしっかり見上げないと目を合わせられないけれど、今は少し視線を向けるだけで目が合う。肩の位置も近くなったから、例えば、手をつなぐことだって簡単だ。こんなに物理的な距離が近づくのは、10年前、合宿で同じ時間を過ごしていた時以来ではないだろうか。
こんなに、距離が近かったこと。
これまでにも、つい最近にも、確か――
「っ……」
目の奥が、痛い。
思い出そうとすると、何かが邪魔をする。
どうして。どうして。
「ケッカ?」
ユカが動きを止めたことに気付いた蓮(政宗)が、数歩戻って彼女の隣に並んだ。そして、帽子のツバを少し持ち上げて、彼女の顔を見つめる。
「大丈夫か? どこか具合でも……」
「あ、ごめん。大丈夫」
心配そうに覗き込んでくれる彼の顔は、声は、政宗ではない。
いつもの政宗だったら、大きな手を頭に添えてくれるのに。
繋がっている『関係縁』も、今の彼とは違う色。
――会いたい。
どうすることも出来ないもどかしさが、溢れ出しそうになる。
ユカは自身の感情をギュッと奥に押し留めると、口元を引き締めて力なく笑った。
「でも、ちょっと移動で疲れたかも。どっかで座って水分取ろうかな……」
「そうだな、確かフードコートが2階に……」
蓮(政宗)がそう言って周囲を見渡した瞬間――ある一点を見つめ、動きを膠着させる。
「政宗?」
「あ、あー……あーっと……や、山本さん」
「へ?」
蓮(政宗)が引きつった声で呼び方を変えるから、何事かと思って彼と同じ方を見てみれば。
「――あっれ、マジで珍しい組み合わせだから信じられなかったけど……名波君とケッカちゃんじゃん」
石巻市民の茂庭万吏が、とっても軽い足取りで近づいてきた。
予想していなかったわけではない。
ただ、これだけ多くの人がいるのだから……石巻で知り合いに会うはずないさ、と、高をくくっていただけのことだ。
「万……茂庭さん。お疲れ様です」
蓮(政宗)は瞬時に蓮のテンションをインストールすると、彼に向けて軽く頭を下げる。そして、意識してユカよりも半歩前に出た。ユカは今、あまり気分が良くないから、自分が率先して相手をしなければならない。
紺色のパーカーに青いジーンズ、足元はスポーツブランドの白いスニーカーというラフな服装で近づいてきた万吏は、目が泳いでいるユカと自分を見つめる蓮を交互に見やり。
「なになにケッカちゃん、名波君と浮気?」
「はぁっ!? ち、違いますよそもそも政宗とは浮気とか成立しない関係ですし!!」
「政宗君がいないからってそんなこと言って。本人が聞いたら悲しむよ?」
若干肩を落としている蓮(政宗)に気付いたユカが、しくじりに気付いて更に目を泳がせた。蓮(政宗)はそんな彼女の態度にため息をつきつつ……蓮のテンションで「違います」と否定する。
「今日は伊達先生の付き添いです」
「え? 伊達ちゃんも来てるの?」
「はい。このモール内に病院のパンフレットを置いてもらうことになったとかで、偉い人に挨拶をしています。僕は伊達先生の荷物持ち、山本さんはたまたま伊達先生のところにいたので、おやつにつられて付いてきただけです」
蓮(政宗)の言葉に、何か思い当たることがあったのだろう。合点がいった万吏が「ああ」と声を出して頷いた。
「その話ね。上手くいったんだ」
「茂庭さんは買い物ですか?」
「そ。スズがここの花屋で働いてて、今日は15時までだから。迎えに来たついでに買い物して帰ろうかってね」
「そうでしたか……涼子さんにもよろしくお伝え下さい」
「折角だから一緒に様子見に行かない? スズも2人に挨拶したいだろうし」
この言葉に、蓮(政宗)は静かに頭を振った。これ以上彼と行動を共にして、ボロを出すわけにはいかないのだから。
「いえ……今日はすいません、遠慮しておきます。近々、華さんに関することでご連絡するかと思います、とだけお伝えください」
「……分かった。じゃあ、伊達ちゃんのことよろしくね」
彼の言葉で何かを察した万吏が歩みを再開し、人並みに紛れて消えていく。
その背中を見送りながら……蓮(政宗)は大きく肩をなでおろした。
「はー……よ、よりによって万吏さんに会うとは思わなかったな……とりあえず誤魔化せたか」
「そういえば涼子さんの職場、ここやったね。あたしも前に石巻で仕事した時に聞いとったはずなんに……忘れとった」
「それはお互い様だ。さて、これ以上鉢合わせしないように、2階のフードコートに移動しようぜ」
蓮(政宗)の言葉に同意したユカは、再び彼と連れ立って歩き始める。今回は彼の堂々とした立ち回りに助けられたが……1つ、気になることがあるのだ。
「あ、あのさ、政宗」
「ん?」
「その……さっき言っとった華さんに関することって……」
「ああ。ほら、9月に見つかった華さんらしき痕跡のDNA鑑定がそろそろ終わりそうなんだ。正式に確定したら、ちゃんと弔いたいって……名波君も思ってるだろうなって」
それは、心愛の誕生月でもあった9月。
太平洋の海底から、行方不明になった名波華と思われる人骨が発見されていた。
今はさるルートから入手したDNAによる鑑定の結果待ちだが、彼の口調から察するに、そろそろ結果が出るらしい。蓮本人の姿を思いながら、ユカも静かに頷いた。
「そうやね。早く分かるといいけど」
「にしてもケッカ、あーんなに激しく否定しなくてもいいんじゃないか? 中身が俺だってこと忘れてたんだろ?」
エスカレーターを登りながら、隣に並ぶ彼がユカへジト目を向けた。そう言われると、何の反論もない。
「そ、れは……ごめん。なんかテンパって……」
「適当なこと言ったのか?」
「うん、その場しのぎというか……この場を早く切り抜けないかんって……」
「ほー」
「……なんね政宗、気色悪か」
「いや、それがケッカの本心じゃなかってことが分かれば満足だから。ほら行くぞ」
「……」
彼はこう言ってエスカレーターをおりた後、ユカを案内するように一歩先を歩く。
普段であれば、手を伸ばしてくれそうな気もするが……今日はそんな素振りを微塵も見せない。
やっぱり……さっきの言葉で、傷つけてしまったのだろうか。そういえば、蓮と体が入れ替わってから、妙に距離感が余所余所しい気もするし……。
「……あたしの本心とか、あたしが一番知りたか……」
ため息と共に呟いた独り言は、通路を歩く人の喧騒でかき消された。
建物の2階にはフードコートがあり、ファストフード店やラーメン屋、アイスクリームショップなど、様々な店が軒を連ねている。
当然この場所も、多くの人で賑わっており……。
「やっぱり、ケッカさんに名波君っす!!」
当然のように彼女――名倉里穂も、いる。