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エピソード2:Friday/キミの戦場②

「おはようござ……名波君、おはよう」

 地下鉄連坊駅の出入り口で蓮(政宗)と合流した柳井仁義は、うっかり対政宗用になってしまった口調を慌てて修正する。直前まで「今の蓮は政宗」と自分に言い聞かせていたからだ。

 蓮(政宗)は少し疲れたような表情で仁義に軽く手を上げると、「突然ごめんね、仁義君」と、苦笑いと共に駆け寄った。

 そのまま並んで歩きながら……蓮(政宗)はふと仁義を見やり、感嘆の声をあげる。

「仁義君……背が伸びたね」

 今日の仁義は、オフホワイトの襟付きシャツの上から薄い水色のパーカーを羽織り、黒い綿のパンツ、背中には教科書などが入ったグレーのリュックを背負い、足元はグレーのスニーカーという出で立ち。落ち着いた色味が多いこともあって、余計にシュッと高く見える……気がする。

 そう言って彼がしげしげと見上げるから、やっぱりいつもの蓮ではないことに気付かされる。そして、調子が狂う。

「そ、そうですね。あの……すいません、本当に政宗さん、なんですよね?」

 確認するように問いかける仁義へ、蓮(政宗)は口元に笑みを浮かべて首肯した。

「中身は一応ね。ドッキリでもお芝居でもなくて、ガチで。なんだったら、仁義君と初めて会った時の話でもする?」

「いえ、大丈夫です。会話のテンポで名波君じゃないことが分かりました」

 仁義からバッサリと指摘された蓮(政宗)は、軽く目を開いた後に苦笑いを浮かべた。

「マジか……今の俺、蓮君っぽくない?」

 本気のテンションでこう尋ねる彼に、仁義は苦笑いで頷くしかない。

「そうですね。名波君の一人称は『僕』なので、まずはそこからかと思います」

「そうだった……家を出る前にケッカからも言われたんだよなぁ……」

 はぁ、とついた息には、色々な思いが詰まっているように思う。仁義はそんな彼に視線を向けつつ、とりあえず、誰に聞かれてもいいような当たり障りのない話を続ける。

「テスト勉強、大変でしたか?」

「え? あー……まぁそれなりに。でも、俺も高校生の頃は地理だったし、元の名波君の中にある知識のおかげて、中間テストくらいなら何とかしてみせるよ」

「そうですか。でも、やっぱり疲れが見える気がして……自分の体じゃないって大変ですよね。無理しないでください」

「ありがとう。肝に銘じるよ」

 彼なりの気遣いに蓮(政宗)が軽く頭を下げたところで、2人が通う高校の正門が見えた。

 ちなみに蓮(政宗)が少し疲れ気味なのは、朝をガッツリ食べて胃もたれを起こしているからなのだが……そんなこと、恥ずかしくて仁義に言えるわけがない。

 仁義は蓮(政宗)を「こっちです」とリードしつつ、今日の動き方を確認する。

「とりあえず、僕は教室まで一緒に行きます。席の位置までは教えられますが、そこから先は……」

「分かってる。何とか上手くやるよ。学食ってあるんだっけ?」

「はい。そこは僕もご一緒しますので、4限目が終わったら廊下で待っていていただけると助かります」

「了解。仁義君がいてくれて本当に助かるよ。仁義君もテスト頑張ってね」

「はい。お互い頑張りましょう」

 その後、昇降口や蓮の靴箱の位置を確認した彼は、眼鏡越しの視界に若干の不自由さを感じつつ……気持ちを切り替えていく。

 今から自分は、『名波蓮』として過ごすのだ。今日の時間割は1時間目に中間考査の地理があり、2時間目に数学Ⅰ、3時間目は体育、4時間目は情報。昼休みを挟んだ5時間目に現代文がある。数学と国語はテスト返却と解説だろうという見立てだが、念のために必要な予習は昨日のうちに本人にやってもらい、そのノートも預かっている。勿論、自分でも内容を簡単に見ているので、万が一教師から指名されても、恥をかかない程度に答える用意は出来ているのだ。体育は何をするのか当日まで分からないらしいが、体操着はロッカーにあるらしい。後で探してみなければ。着替えたらクラスメイトについていけば迷うこともないだろう。情報の際は個別に配布されるタブレットでの授業になるので、移動教室ではないらしい。よって、最低限、教室とトイレの往復さえできれば、何とかなる。

 大丈夫、できる限りの用意はしてきた。万が一の対策も抜かりない。

「教室はここ、名波君の席は、窓際の一番うしろです。ロッカーは廊下のここです」


  大丈夫、自分は今から――『普段どおりの名波蓮』だ。


「柳井君、ありがとうございます。今日一日、よろしくお願いします」

 そう言った蓮(政宗)は軽く頭を下げて、教室へ続く引き戸の持ち手を握った。

 そして、一度呼吸を整えると――背筋を伸ばして前を見すえ、扉を開く。


「――おはようございまーす」


 刹那、普段は必要最低限の音量で個別にしか挨拶をしない名波蓮の、あまりにも、それはもう堂々とした立ち姿に、教室にいた全員が彼を凝視して。

「……政宗さ……名波君……!!」

 それを後ろから見ていた柳井仁義は、早速生きた心地がしなかった。


-------------------------------------------------------------------------------


 一方その頃。

 統治と共に『仙台支局』へ出勤した政宗(蓮)は、既に出勤して開所作業をしていた支倉瑞希の元へ近づいた。

「あ、佐藤支局長に名杙さん、おはようございますっ!!」

 キャビネットの鍵を開けていた瑞希が手を止めて、2人に深く頭を下げる。そして、顔を上げて政宗(蓮)に視線を向けた瑞希は……少しだけ目を泳がせながら、オズオズと問いかけた。

「あ、あの……佐藤支局長、怒っていらっしゃい、ますか?」

 そう言われた政宗(蓮)は、慌てて頭を振った。そんなつもりはなかったし、緊張が顔に出ていたかもしれないけれど……初手から誤解を招いてしまうなんてあってはならないことだ。

 隣にいる統治が、そんな政宗(蓮)をジト目で見やり。

「今は佐藤なのだから、笑顔を5割増しにするようにと伝えたはずなんだがな……」

「すいません……」

 こう言われてもしょうがないので素直に謝罪するが、それを目の当たりにした瑞希には何の解決にもならない。むしろ意味不明度が急上昇だ。

 次の瞬間、事務所の扉が開き――

「おはようございまーす。あ、統治に名波君、支倉さんも、おはようございます」

「えぇっ!?」

 開口一番に真実という爆弾を放り投げたユカに、驚いた瑞希がキャビネットの鍵を放り投げた。

 その鍵が政宗(蓮)の足元に転がってきたので、とりあえず拾い上げる。

「大丈夫ですか?」

「す、すいませんっ……!! えっと、佐藤支局長……えっと……」

 ペコペコと頭を下げながら鍵を受け取りつつ、自分を凝視する瑞希。政宗(蓮)は統治と顔を見合わせた後、改めて。

「あの……信じられないかもしれないんですけど、この中身は名波連なんです。きょう一日、ご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」

 瑞希に共犯者になってもらうため、粛々と頭を下げる。

 次の瞬間――

「――えぇぇぇっ!?」

 絹を咲く悲鳴のような甲高い声が、始業前の『仙台支局』に響き渡った。


 5分後、時刻は8時50分。

 瑞希にとりあえずの事情説明――政宗と蓮の人格がうっかり入れ替わっちゃったから、とりあえず朝イチで今日の予定変更頑張ろう――を受けた瑞希は、とりあえず、赤べこのように頷くことしか出来なかった。

 非現実的なことだ。どれだけ真面目に言われても、すぐに信じることは難しい。ただ……普段であれば政宗から明るく挨拶をして、「今日も一日よろしくね」と言ってくれる。それがないかった違和感と、今、支局長席に座っている彼の雰囲気が、どちらかというと片倉華蓮に近かったので、瑞希は納得するしかなかった。

 統治は自席でパソコンを起動しながら、全体を見渡せるように立ち上がる。

「今日の朝礼は、俺が担当する。既に説明した通り、今日の佐藤の中身は名波君だ。支局長としての深い業務に携わらせるわけにはいかないから、今日の動き方が変わってくる。それを今から簡単に説明したい。支倉さん」

「は、はいっ!!」

「大変申し訳ないのですが、朝一番で俺と手分けをして、今日の営業先に予定変更の連絡をお願いします。理由は、佐藤自身の体調不良。具体的には倦怠感と微熱です。次の予定は、可能であれば来週の火曜日以降、無理ならば月曜日でお願いします」

「わ、分かりました……!!」

「それが終わったら、銀行で振込の手続きをお願いします。週末で窓口が混んでいるかと思うので、昼休みに時間がかかりそうになったら連絡してください」

「は、はいっ……!! 銀行、銀行ですね」

 瑞希が手元のメモに予定を書き記している間、統治はユカを見やり、今日の動き方の指示を続けた。

「山本は午前中、予定通りに1件頼む。ただ、俺の同行が出来なくなったから、分町ママに頼んである。移動は地下鉄になるが問題ないだろうか」

「了解。ちゃちゃっと終わらせてくるけんね」

「名波君は、福岡からの請求書類の確認と振り分け、郵便物の開封、里穂からの報告書のファイリングや入力等をお願いしたい」

「分かりました」

 統治の指示に頷く政宗(蓮)を、瑞希はギョッとした表情で見てしまうが……すぐに気持ちを切り替える。朝一番で謝罪というのは心がしんどいが、それが仕事なのだから頑張ろう。理由が理由なので納得してもらえるはずだ。

 統治から連絡先のリストを受け取った瑞希は、「そういえば……」と、統治に問いかける。

「昨日、佐藤支局長とお二人で対応なさっていたお客様って、どうなったんでしょうか……?」

「ああ、あれは……」

 瑞希の言葉である可能性に思い当たった統治は、普段から使っているノートパソコンを起動した政宗(蓮)に、

「名波君、佐藤の仕事用携帯電話に、『菅波』という男性から連絡があるかもしれない。番号は登録してあるから表示されるはずだ。連絡が入ったら、すぐに教えてくれ」

「分かりました。差し支えない範囲で知っておきたいのですが、どういうお客様ですか?」

 政宗(蓮)の問いかけに、統治は一瞬口をつぐんだ後……何か思い出したのか、どこか疲れた表情で、お客様について語り始める。

「佐藤が経営コンサルタントとして担当していた、ベンチャー企業の社長だ。こちらのアドバイスを無視して無理な資金繰りをして今年のはじめに倒産したことを、今でも逆恨みされている」

「うわ……」

「こちらとの契約はとうの昔に終了しているし、次に何かあれば然るべき措置を取ると言ってきたんだが……責任がどうのとしつこく言ってくる顧客だ。言う必要はないと思うが、絶対に一人で対応しないでくれ」

「そんなこと出来るわけないじゃないですか。了解しました」

 統治の言葉に首肯しながら……内心、割と面倒なことも請け負っているんだな、と、この体の持ち主にほんの少しだけ思いを馳せる。

 そして、自分の体はちゃんと『名波蓮』として、自然に生きているだろうか……そんなことを考えていると、時計の針が9時を超えた。


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 時計の針が進み、時刻は10時30分。

 何とか2時間目までを終えた蓮(政宗)は、クラスメイトからの視線を気にしつつ、努めて寡黙に席を立った。

 3時間目は体育、要するに更衣室で着替えだ。クラスメイトがゾロゾロと出て行くから、見失わないように移動しなければ。

「――あ、名波君っ!!」

「え?」

 廊下にあるロッカーへ足を踏み出した瞬間、死角から声をかけられ、周囲を見渡す。

 すると。斜め後ろにいた女子生徒が彼の正面に回り込み、屈託のない笑顔を向けた。

 肩より上のボブカットが似合う、雰囲気も表情も明るい女の子。チュニックと膝丈のパンツがよく似合う、快活そうな女子生徒だ。

 正直、蓮(本人)から一切の前情報がない。けれど、教室の中で迂闊に「誰ですか」なんて聞いた日には、蓮の評判が悪くなってしまうかもしれない。

 ただ。

 相手の名前が思い出せない中で会話を続けなければならない場合、どうするのか――政宗は、その対処法をよく知っていた。まず、

「何ですか?」

 にこやかに相手を受け止め、用件を確認する。

「えっと、4時間目の情報の授業で、タブレットを運ぶのを手伝ってくれるって約束してたけど」

 マジか、そんな情報どこにも書いてなかったぞ名波蓮。

 ……という不測の事態にも対応しなければならない。自分に『昨日までの名波蓮』としての記憶も情報もないのであれば、相手の言葉はとりあえず全肯定だ。

「そうですね」

「体育で着替えとかあるから、着替えが終わったら直接職員室前に行ってもいいかな」

 着替えが終わったら職員室前、うん、覚えた。覚えてろよ名波蓮。夕方に大人気なく理詰めで問い詰めてやるコノヤロウ。

 ……という感情は、決して、表に出してはいけない。

「分かりました。遅れないように気をつけます」

「う、うん、よろしくね……?」

 終始にこやかに対応する蓮をどことなく訝しげな表情で見つめつつ……彼女自身も着替えのため、足早にその場から立ち去った。

 さて、やることが出来てしまった。彼女に迷惑をかけないために、効率的に動き回る必要がある。

 とりあえず今は……。

「やべっ、俺も移動しないと……!!」

 男子更衣室にたどり着くことだ。蓮(政宗)もまた、早足で教室を後にする。そして、久しぶりに『時間割』通りに動くことの楽しさに、口元をニヤつかせるのだった。


 3時間目の体育は、体育館の半分を使ったバスケットボールだった。ちなみに半分を網で仕切られた向こう側では、女子も同じくバスケットボールをしている。

 2クラス合同の授業のようで、自然とクラス対抗戦になる雰囲気。ウォーミングアップのボールパスをしながら、頭の中で自分の立ち回り方を考える。

 もしも、『佐藤政宗』として過ごしていいのであれば、張り切って全面に出るところだ。ただ、ここは『名波蓮』のフィールド。目立ちすぎるのが得策でないことは、朝の挨拶の一件でなんとなーく学んだところ。あまり張り切って過ごすわけにもいかない。

 どうしたものか……考え事をしながら手を動かしていると、練習相手の男子――多分同じクラス――が、「名波、すげえな」と何故か感嘆の声をあげる。

「え?」

 慌てて前に向き直りつつ相手にボールを渡すと、受け取った彼はそのボールをしげしげと眺めながら。

「いや、さっきからずーっとノールックパスなんだけど、ずーーっと真ん中に返してくれるからさ。名波、ひょっとしてバスケ経験者? 黒○のバ○ケ的な?」

「い、いや、そんなことは……ごめん、ちゃんと見てなくて」

 完全に無意識で相手を無視しているような状況だったため、蓮(政宗)は逆に頭を下げた。そして、改めて相手に向き合ってボールの受け渡しをしながら、彼のジャージに書いてある名前を確認する。

「ねえ、戸畑君、今日って試合形式の授業だっけ?」

「ああ。5組には一度も勝ててねぇからさ、せめて最後くらい勝って有終の美を飾りたいよなー」

「ふーん……あれ、バスケって今回までだっけ?」

「確かそうじゃなかったっけ? 次からは外で陸上とか言ってた気がするけどなー」

「ふーん……今回まで」

 蓮(政宗)はそう呟きつつ、改めて、自身の周囲を見渡した。

 彼が所属している1年6組は、男女ともに同じくらいの人数のクラスだ。今日、授業に参加している6組の男子は14人。パスによるボールの扱い方を見ていると、手慣れている者、そうでもない者に大別することができる。反対側、5組の面々も同じようなレベルに感じた。この学校は県内でも屈指の進学校ということもあり、授業中、極端にふざける生徒は少なくともこの場にいない。

 なるほど、これなら……。

「……配置で勝てるな」

 ボソリと呟き、彼――戸畑からのボールを受け取った蓮(政宗)は、口元にニヤリと笑みを浮かべる。

 どうせこれで終わりなら、せっかくだから……。

「あの、戸畑君。僕の考えを聞いて、アドバイスが欲しいんだけど」

「へ?」

 普段以上に自信満々の名波少年を目の当たりにした戸畑は、彼の雰囲気に気圧されてとりあえず頷いた。


 そして――


 結果から言うと、6組男子は5組男子に20点以上の差をつけて勝つことが出来た。

 勝因の1つに、6組男子の人員配置がある。パスが上手い者、シュートが得意な者、パスもシュートも苦手だけど足が早くて相手からの攻撃でもすぐに動いて壁になれる者――これら、個々人の特性を識別した蓮(政宗)の提案で、これまでとは違う人員配置と作戦を立てたのだ。

「僕が見た感じだと、5組の得点源は、あの2人だと思う。こっちのシュートが外れるとすぐに速攻に持っていかれるから、そこに君が走っていって立ちはだかってほしいんだ。相手の身長は高くないから、充分な抑止力と時間稼ぎになると思う。その間に後ろから追いついた僕達でプレッシャーをかけつつボールを奪って、それを彼にパスすれば……」

 ……というような作戦が功を奏しまくって、前述した結果に至る。ちなみに蓮(政宗)はひたすら相手からボールを奪って、6組のポイントゲッターにノールックパスをする役割を担っていた。

「名波すげぇな!! 軍師かよ!!」

「……ありがとう。やっぱり授業って楽しいね」

「そうなのか? 名波って割と学校に無関心かと思ってたけど、そうじゃなかったんだな」

 ボールを片付けながら戸畑にそう言われた蓮(政宗)は、ここでようやく、ちょっとやりすぎたかもしれないなーと思った。


 授業終了後、手早く着替えを済ませた蓮(政宗)は、戸畑に職員室の場所を確認し、次の予定を消化するために廊下を歩いていた。

「職員室? ああ、刑部(おさかべ)の手伝いか」

 この高校の職員室は中央校舎の1階、ほぼ中央部にある。運良く先程の女子生徒の名字までゲットした彼は、スムーズに職員室前まで到着した。

「あ、名波君!!」

「刑部さん、遅れてすいません」

 覚えたての名前を呼んでみると、どうやら間違いではなかったらしく、彼女が「そんなことないよ」と言葉を返す。

「っていうかそれよりも、さっきの体育すごかったね!! 男子、一度も勝てないって言ってたのに」

「そうですね。勝てて良かったです」

 そんな雑談をしながら職員室内に入り、担当教師からクラス全員分のタブレット端末が入ったコンテナボックスを2つ受け取る。手分けをして運んでいると、彼女――刑部が蓮(政宗)の横顔を覗き込み、一言。

「名波君……何かあった?」

「え?」

 刹那、全てを見透かされたような気がして、反射的に全身の動きが止まった。それを見た彼女が慌てて釈明をする。

「あ、ごめんね急に。えぇっと……その、今日は朝から雰囲気が違うっていうか、なんていうか……」

「それって……い、いつもの僕じゃないみたいな感じ?」

「そうそれ!! ってごめんね、いつもの名波君がだめって言いたいわけじゃないんだけど……!!」

 慌てる彼女に「別に気にしてないよ」と返しつつ……蓮(政宗)は更に反省を重ねるのであった。


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 時計は更に進み、時刻は15時を過ぎたところ。

「おやつの時間やねー」

 そう言って我先にと席を立ったユカは、コーヒーメーカの前に立った。そして、室内にいる残り3名を見渡して。

「コーヒー飲む人ー?」

 その問いかけに、全員が手を挙げる。ユカは「了解」と頷いてからメーカーをセットした後、いつも通りに個人のカップを用意しようとして……。

「あ、名波君は、片倉さんとして使っとるやつでよか?」

「はい。お願いします」

 パソコン用のブルーライトカット眼鏡を外した政宗(蓮)が、静かに頷いて立ち上がった。その答えに首肯したユカは、出しかけた政宗用のカップを戸棚に押し戻し、華蓮用のものを引き上げる。

「手伝います」

「ありがとう」

 そう言って隣に立った政宗(蓮)は、棚の中にあるお茶菓子の入ったボックスを取り出そうとかがみ込み――

「いっ……!!」

 距離感を間違えた膝を、棚の柱にうちつけることとなった。

「だ、大丈夫ね!?」

「失礼しました……身長が普段と違うので、物との距離も慣れなくて……」

 普段の華蓮(蓮)ではありえない失敗に、政宗(蓮)は大きくため息を吐いた後、ボックスを取り出して立ち上がる。そして、ユカを見下ろした。いつもより目線の位置が高いので、見える世界が新鮮に感じる。例えば。

「山本さんって……」

「へ?」

 視線の先にいる彼女が、あまりにも……。

「低いですね、身長」

「はぁ?」

 言うに事欠いてそれか、と、ユカの顔に不機嫌がログインする。彼女はふいと視線をそらすと、少し乱暴な手付きでコーヒーメーカーをセットした。

 そして、コポコポと音を立ててコーヒーが抽出される間、隣に立つ彼を横目で見やり、口をへの字にひん曲げる。

「急に喧嘩を売るげな、いい度胸やんね。体は政宗やけん、一発くらしてもよかとよ?」

「暮らす?」

「あ、一発ぶん殴るってこと」

 たまに通じなくなる方言を説明していると、政宗(蓮)が「そういえば……」と、軽く目を開いた。

「暮らすといえば山本さん」

「いや、本当にぶん殴ったりせんよ、多分」

「多分じゃなくてやめてください。月末に転居の予定があるという噂を聞いたのですが、事実ですか?」

「あ、うん。そろそろ言おうと思っとった」

 政宗(蓮)から切り出されると思っていなかった内容に、ユカが思わず目を丸くしていると……彼がこの話を切り出した理由を語りだした。

「山本さんが住んでいる部屋は、『仙台支局』が社宅扱いで借り上げているものです。実は先日、10月から半月分の家賃支払いを終えていたのですが、それ以上の動きがない様子で。月払いに変更して、解約書類も取り寄せるなら早めがいいかと思います」

「分かった、今日の夜にでも政宗に確認しとくね」

「宜しくお願いします」

 こう言って頭を下げる政宗(蓮)の姿は、未だに見慣れないけれど……喋ってみるとやっぱり中身は蓮なのだなぁということを実感してしまう。

 だからこそ……はっきりさせなければならないこともあるわけで。ユカは腕を組み直すと、改めて彼を横目で見やり。

「んで、ケッカちゃんに喧嘩を売った理由を教えてもらおうかな?」

「身長が普段と違うことに起因する素直な感想を述べただけです」

「素直すぎん!?」

「佐藤支局長なら言っていいと思って」

「どういうこと!?」

 ユカが盛大にツッコミをいれた次の瞬間、コーヒーメーカーの抽出が終わった。

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