エピソード4:Sunday/ネクストステップ②
仕事を終えた心愛と合流した政宗(蓮)は、事前に購入しておいたチケットを手渡した。
心愛はそれを受け取ると、彼を見上げて軽く頭を下げる。
「ありがとうございます。さて……じゃあ名波君、心愛は10時からのペンギンの餌やりを体験したいんですけど、いいですか?」
「あ、はい。じゃあ、すぐに入りましょうか」
心愛の提案に二つ返事で頷いた政宗(蓮)は、彼女を連れ立って館内に入る。水族館は順路に従って展示物を見るだけ、そこでどんな会話をしようか頭を悩ませていたので……こうして話題のネタになるようなイベントがあるのは、とてもありがたいことだ。
「心愛さん、ちゃんと調べてくれたんですね」
「実は心愛も昨日、阿部会長に聞いたんです。他にもイベントがあるみたいなので、名波君も気になるイベントがあったら教えてくださいね」
「分かりました」
そう言って見下ろす心愛は、普段よりも距離がある。政宗と心愛の身長差は30センチ程度あるので、当然といえば当然だ。
「名波君?」
「あ、すいません。その……目線の高さに未だに慣れなくて」
「そうなんですか?」
「はい。そのせいなのか、離れの玄関で一段低くなっているところをいつも見落としそうになってしまって。自分の体で過ごしていた頃は、一度躓いたら気をつけられたんですけど……」
「あぁ……あそこは罠だと思います。心愛もりっぴーも引っかかったことありますよ」
なんて会話をしながら館内の2階へ進み、ペンギンの餌やり体験に必要な整理券をゲット。程なくしてスタッフが用意を始めたので、2人はその場にとどまって、イベント開始を待つことにした。
「名波君はここ、来たことがありますか?」
「いいえ、実は初めてで……心愛さんはありそうですね」
「はい。学校の遠足で来ました」
「確かに……歩いて来れる距離ですね」
なんて会話をしていると、自分達と同じ回の整理券をもった人々が集まり始める。整理券に書かれた番号に従って列を作ると、スタッフが生魚の入ったバケツを整理券と交換し始めた。
「えっ!? さ、魚をそのままあげるの……!?」
動物のエサなので固形フード的なものだろうと思っていた心愛は、近づいてくる生臭い臭いに思わず顔をしかめた。そして、笑顔のスタッフから、生アジが4匹ほど入ったバケツとトング、ビニール手袋を手渡される。死んだ魚と目があったような気がして、反射的に視線をそらした。一方、同じものを受け取った政宗(蓮)はしれっとした表情で、利き手にビニール手袋を装着している。
「な、名波君は……怖くないですか?」
「特には。心愛さんだって先程、これよりよっぽど怖い存在を相手に立ち回っていましたよ?」
「そ、それもそうですね……!!」
彼からの励ましを胸に(?)、心愛も急いでビニール手袋を装着する。すると、道具を参加者に渡し終えたスタッフの女性が、拡声器を使って説明を始めた。
『それでは、水槽の中にいるペンギンにエサをあげてください。ただ、水槽のガラスが少し高いので、小さなお子さんはこちらの台の上からでもいいですよー。終わったら、道具はココに戻してくださいねー』
彼女の声を合図に、参加者がそれぞれに散らばっていく。目の前にあるペンギンの水槽は、周囲を壁と透明のガラスで囲まれた空間だった。上は開いているので、参加者はガラスの仕切り板に向かってトングを持った手を伸ばし、水槽の内側、岩に乗って待ち構えているペンギンへとエサをあげることが出来る。
ただ、ペンギンが水中を泳いでいる様子と陸上で過ごす様子をそれぞれ観察出来るように、このガラスの仕切板は、地面からの高さが150センチ程度ある。向こう側にいるペンギンへエサをあげるとなると、政宗(蓮)など、大人は特に問題ない高さだが、心愛の場合、トングを持った腕(肘)を曲げる必要も出てきてしまう。だから、エサを無理なくあげるための高い台が、少し離れた場所に用意されていた。
「心愛さん、あっちの台を使いますか?」
「そっ、そんなことしませんよ!? 心愛だって背伸びして手を伸ばせば大丈夫です!!」
「すいません……」
気遣いが盛大に空回りした政宗(蓮)は、気を取り直して、ペンギンへと向き直る。彼らも鳥の仲間だが、この道具を持った人間がエサをくれることなどすっかり覚えているのだろう。彼の前には既に4羽ほどが準備を整えており、何かを期待するように嘴を動かしていた。
「分かった、分かったから」
政宗(蓮)はトングでアジを一匹掴み、仕切板の向こう側へ手を伸ばした。そして、大きく口をあけたペンギンへそれを放ると、彼(彼女?)は何の感慨もなく丸呑みにして、もう一度口を開く。
「いや、もう君にはあげないよ……」
政宗(蓮)はその場所から数歩横に移動して、別の場所で待っていたペンギンへ2匹目の魚を放った。そして、3匹目、4匹目と難なくミッションをこなし、道具を所定の場所に戻す。
始まってみるとあっという間に終わってしまった。ペンギンの食欲は予想以上で……思わず、ペンギンが好きだと言っていた某女性を連想してしまう。
そんな感想と共に心愛のところへ戻ってくると……彼女はようやく2匹目をあげ終えていたところだった。
「心愛さん、大丈夫ですか?」
「えっ!? もう終わったんですか!?」
「す、すいません……何か手伝えることはありませんか?」
萎縮して尋ねる政宗(蓮)へ、心愛は残りの魚が入ったバケツを手渡した。そして自身は再び背伸びをすると、壁の向こうへトングをもった腕を伸ばす。
「もう、少しっ……ふぁっ!?」
刹那、彼女が掴んでいた魚がトングからこぼれ落ちてしまった。落ちた魚は近くにいたペンギンがあっという間にかっさらってしまい……目の前で待っていたペンギンが、どことなく悲しそうに見え……なくもない。
「うぅっ……次は絶対に落とさないであの子にあげるんだから……!!」
「が、頑張りましょう。あの紫のリングを羽に付けてるペンギンですよね。あと1回ありますから」
「よしっ!!」
心愛は気合と共に4匹目のアジをトングで掴むと、ガラスギリギリに近づいて、思いっきり腕を伸ばす。そして、先程あげられなかったペンギンへ向けて、力を緩めないよう、慎重に肘を曲げて……。
「うにゃっ!?」
「っ――!?」
心愛の手元が再び緩んだ次の瞬間、政宗(蓮)が手を伸ばして……開きかけていたトングを、彼女の手ごと握りしめた。
「良かった……」
間に合った、その安堵感でいっぱいの彼に、心愛は腕を中へ伸ばしたまま口をパクパクさせて。
刹那、ようやく頭上にやってきたアジを、紫のリングをつけたペンギンが奪い取って丸呑みにした。
その後、とりあえず休憩しようということになり……2人は何となく、近くにあったベンチへ腰を下ろした。
心愛は青空を見上げて息をつくと、隣に座っている政宗(蓮)に苦笑いを向ける。
「ペンギンって、あんなにエサに飢えてるんですね……まるでケッカみたい」
「それ、僕も思いましたけど……本人の前で言わないほうがいいですよ」
「言いませんよー。っていうか、名波君も同じ感想だったんですね」
なんて雑談と共に時を過ごす。時間の経過とともに、家族連れや友達同士、恋人同士と思われる人々が次第に増え始め、にわかに騒がしくなってきた。館内放送で30分後にイルカショーが開催されるとアナウンスがされていることもあり、同じ階にあるイルカプールへ向けて、ぽつぽつと人が移動を始めているようだ。
自分達もショーを見るのであれば、移動してもいいかもしれない。ただ、今のうちに――ショーで人が出払っている間に、ゆっくり館内を見て回るという選択肢もある。
心愛の意見を聞きたいところだが、彼女から何も提案がないということは、もう少し休みたいのかもしれない。彼はそう結論づけると、もう少しだけ雑談を続けることにした。
「その……心愛さんが『縁切り』をしているところを、久しぶりに見ました」
「あ、えっと……そうですよね。前は心愛、全然駄目だったから」
「そうですね」
「ちょっ、ひどくないですかー?」
「だから、ずっとその印象が強くて……今日は驚きました。心愛さんの実績は書面で把握していましたが、実践を見たのは久しぶりだったので……凄いなぁって」
「エヘヘ……ありがとうございます。心愛も、名波君がみんなの前で発表しているところを見て……凄いなって思ってましたよ」
「あれは……姉さんのおかげです。でも、ありがとうございます」
こう言ってはにかんだように笑う姿は、確かに政宗なのだけど……その奥にはちゃんと、蓮としての感情が見えたような気がする。
心愛は穏やかな彼の様子にホッと胸をなでおろしつつ……静かに瞬きをして、視える世界を切り替えた。
目線の先にあるのは、絡まった『因縁』。金曜日に見た時よりもゆるくなっているように感じるが、まだ絡みついていることに変わりはない。でも、『縁』の間にほころびが生じているので、そこに干渉すれば離れていきそうな気がする。
例えば……例えばの話だけれど、自分がこの『因縁』を掴んで、引き離すことは出来ないだろうか。
蓮自身は4月に、華の残った『因縁』を自身に結びつけて彼女の能力を擬似的に使う、という、離れ業に耐えた人物だ。そして心愛は、名杙直系として、『縁』に対して優勢になれる特性がある。
蓮の心残りを解消したい、その手助けをしたい気持ちは心愛も同じだ。
だからこそ――このデートは、蓮が、蓮の姿で行わないと、意味がないことなのではないだろうか?
「あの、名波君、例えばの話なんですけど……」
「心愛さん?」
「例えば……例えばですよ、心愛がその、絡まってる『因縁』を持って、離そうとしたら……どうなると思いますか?」
「え……?」
心愛の提案に、政宗(蓮)が思わず目を丸くする。そして、しばし考え込み……。
「心愛さんの特性を考えると、試してみる価値はあると思います。ただ……僕だけでは判断出来ないので、名杙さんや佐藤さんの意見も聞いてみるべきだと思います」
「わ、分かりました。ただ、これって名波君自身にも負荷がかかる可能性がありますよね。佐藤支局長はある程度訓練を受けていると思いますけど、名波君は……」
「……多分、大丈夫だと思いますよ。僕も4月に相当無茶をして……今、生きていますから」
その後、すぐに心愛が統治へ連絡して、彼女の考えを説明した。統治は彼女の言葉を聞いて少し考えた後……。
「正直なところ、やってみないと分からない、ということになるな。ただ、心愛は出来ると思っているんだろう?」
「う、うん。絡まってる『因縁』に隙間があったの。そこに少しだけ干渉すれば、離れていくんじゃないかなって、思って……」
「……分かった。ただ、俺も状態を確認したいし、何よりも佐藤……名波君の体が近くにある状態で行った方がいいと思う。入り口のスタッフに申請すれば再入場できたはずだから、一度、外へ出てきてくれないだろうか」
「わ、分かった。じゃあ、入り口のところにいてね」
統治との電話を切った心愛は、スマートフォンをポーチに片付けて立ち上がった。
そして、座っている政宗(蓮)を見下ろして、今からの動き方を説明しようとした、次の瞬間。
「――あれっ、名杙さん、に……政宗さん!?」
今、このタイミングで最も聞きたくなかった声に、心愛は思わず口をひん曲げる。
座っている政宗(蓮)の視線の先には、心愛の中学校の先輩にして、政宗を盲信している少年・島田勝利の姿があった。
グーグルアースで、仙台うみの杜水族館の館内を、一部見ることが出来ます。(https://goo.gl/maps/ykbfC3ZPPY6MKzd39)
ぜひ、2階広場にある、心愛と政宗(蓮)が立ち寄ったペンギンの水槽(?)を見てください。あのガラスの壁、地味に高いっす。