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エピソード4:Sunday/ネクストステップ①

 そして日曜日、時刻は間もなく9時30分。

 心愛は秋の冷たい朝風にツインテールをなびかせつつ、水族館近くの幹線道路の歩道で呼吸を整えていた。

 今日の彼女は黒いロング丈のワンピースに、水色のカーディガンを羽織っている。肩掛けのポーチに必要なものを収め、両手を動かせるようにしている。足元は不測の事態にも対応出来るよう、履き慣れたスニーカーだ。

 幹線道路の上には、並行するように高速道路が走っている。幹線道路の交通量は多く、上から聞こえる車の走行音も相まって、心愛が少しくらい一人で喋っていてもかき消される程度の雑音が確保されていた。

 心愛の隣に立っているユカは腕時計で時間を確認すると、「時間やね」と呟き、彼女を見上げる。

「いけるね」

「問題ないわ。さっさと終わらせて、10時からのペンギンのフィーディングタイムに参加するんだから!!」

「ペンギン!?」

「何よケッカ、知らないの? 水族館では決まった時間に、ペンギンの餌やり体験が出来るの。心愛、ちゃんと時間まで調べてきたんだから」

「本当!? ちょっ……心愛ちゃん、ケッカちゃんも連れて行ってくれん?」

「お断りよ。だって……」

 心愛がそう言って、ユカの隣にいる蓮(政宗)を横目で見やる。そして、意味有りげにニヤリと笑みを浮かべた。

「ケッカのお守りは佐藤支局長の専売特許でしょう?」

「えぇっ!?」

 刹那、蓮(政宗)が上ずった声を上げる。そして、わざとらしく咳払いをした後……改めて2人を見つめて。

「こ、今回の俺は名波君の体だから、『縁』も『遺痕』も目視することが出来ない。2人とも頼んだぞ。万が一の際は統治に入ってもらうけど、その万が一がないように行動して欲しい」

 統治と政宗(蓮)は、3人から少し離れた場所で見守っている。心愛は振り向くことなく一度だけ頷いた。

「分かってます。お兄様の力は借りません」

「上等だ。じゃあ……よろしくね、心愛ちゃん」

「はいっ!!」

 心愛ははっきりと声を出して、視える世界を切り替えた。そして、目の前の信号が青になったことを確認すると、横断歩道を半分ほど渡り、中間地点で足を止める。

 ここは高速道路を支える大きな柱が建っているので、車が通ることはない。ちょっとした広場のように開けている。道路の道幅が広いこともあり、万が一渡り切ることが出来なくても、ここで次の青信号を待てるようになっているのだ。

 そして……多くの人が調子を崩すのが、この位置でもある。

「あそこにおるね」

「っ……!!」

 ユカの言葉に心愛はビクリと肩を震わせた後、つばをのんで呼吸を整える。

 2人の視線の先、柱にもたれかかるように……女性が一人、うずくまっていた。

 俯いて、長い髪が体を覆い隠すように絡みついている。右足と左手があらぬ方に折れ曲がっており、見える服の一部も引きずられたような痕跡があった。

 見ているだけで伝わってくる禍々しさ。負の感情を煮詰めた空気に、心愛は再度息を呑んだ後……右手をポーチに入れて、ペーパーナイフを静かに取り出す。すっかり手に馴染んだそれは、心愛のスイッチを切り替えてくれる重要な相棒だ。

 そして、彼女へ一歩近づくと……唇が乾く前に口を開いた。

「あ、あのっ……!!」

「……?」

 声をかけられたことに気付いた彼女が、ぎこちなく顔をあげる。擦り傷と打ち身だらけの顔に心愛の顔が引きつりそうになったが、隣に立つユカが「大丈夫」と小声で制した。

「落ち着けば出来るけんね」

「わ、分かってるわよ!! えぇっと……す、すいません。私、名杙心愛といいます」

 名杙本家筋の場合は、先に名乗るのが鉄則だ。その声は彼女にも届いたらしく、聞き覚えのない名前に、ぎこちなく首を動かしている。

「ここ、あ、さん……」

「そうです。えっと……自分の名前って思い出せますか?」

「わた、しの……名前……」

 錆びついた人形のように口や首を動かす様子を見ながら、心愛は彼女に残っている『関係縁』の位置を確認した。向かって右手から一本だけ残る、この世との最期の繋がり。彼女は座り込んだまま動かないので、もう少し近づかないと……握ることができそうにない。

「わたし、の……なま、え……」

「そうです。えっと……影山亜香里さん、ですよね」

「かげ、や……はい、はい、そうです。たし、か……そう……」

 自分の名前を認識した瞬間、彼女の目に、少しだけ光が宿る。

 心愛は一歩近づきながら、彼女から目をそらさずに会話を続けた。

「こんなところで、何をしているんですか?」

「ここ、で……私、そう……水族館に……」

「水族館に行きたかったんですね」

「そう、なの……向こう側に、友達が、いて、急いで、信号を渡って、そうしたら……」

 記憶の断片をポツポツと語る彼女に近づいた心愛は、はっきりと視えた『関係縁』を掴む。

 彼女が自身のことを思い出しことに集中すれば、こちらへの気を逸らすこともできる。『関係縁』を切りやすくなることに繋がるから。

 だから、心愛は邪魔をしない。けれど、静かに機会を伺う。

「行きたかったの、どうしても……お金も貯めて、楽しみにしてて……でも、遅刻しちゃいそうになって……」

 そして――輪を作るように『関係縁』を握ると、その輪の中にペーパーナイフを通して。


「――っ!!」


 一気に、切る。

 『縁』を切る時は躊躇わない、これは……恩人からの教えだから。


 次の瞬間、彼女の姿は跡形もなく消えていた。

 響くのは車の走行音のみ。この場所にいるのは……2人だけ。


「……ご冥福を、お祈りします」

 この言葉が届いたのかどうか、心愛にはもう分からないけれど。

 最期の瞬間に立ち会う自分に出来ることは、彼女をしっかり見送ること。

 そのために必要なことは、ちゃんとしておきたい。そう思う。


 ユカは腕時計で時間を確認し、満足そうに頷いた。

「うん、所要時間は5分以内……完璧やね。お疲れ様、心愛ちゃん」

「あ、えっと……」

 処理が終わって気が抜けたのか、心愛の返事が曖昧になる。ユカがフォローのために声をかけようと彼女を見上げると……心愛の目は、横断歩道の向こう側を見つめていた。

 先程信号が変わったので、しばらく渡ることは出来ない。スピードを上げる車と接触しないよう、数歩引いた位置で待つ。

「心愛ちゃん? どげんしたと?」

「渡って、楽しみたかっただろうな……」

「……そうやね。心愛ちゃんは遅刻せんようにね」

「分かってるわよ。ケッカと一緒にしないで」

「け、ケッカちゃんがいつ遅刻したって言うと!?」

 憤慨するユカは、ペーパーナイフを片付けて肩を撫で下ろす心愛を見上げ……。

「……今日はよろしくね、心愛ちゃん」

「ケッカ?」

 仕事が終わったはずなのに、ユカからは意外な言葉が飛んでくる。視線で真意を尋ねる心愛に、ユカは苦笑いで肩をすくめた。

「政宗、名波君の体だとビールが飲めんって、うるさくてうるさくて」

「佐藤支局長……相変わらずね」

「そうなんよ。やけんが……そろそろ、顔と声がいつもの政宗と話したくなってきたと」

 ユカはそう言って、視線を前に戻す。横断歩道の向こう側に立っているのは、蓮の姿をした政宗。その後ろには、政宗の姿をした蓮が、2人の帰りを待っている。

 刹那、信号が青に変わり、心愛は力強く一歩を踏み出した。

「終わらせるから。心愛が、絶対に」

 騒音にもかき消されない声でそう言った彼女の横顔は、この場にいる誰よりも力強かった。


 その様子を離れた場所から見守っていた政宗(蓮)は、心愛の仕事が無事に終わったことに気づき、ほっと胸をなでおろす。

 蓮が初めて心愛の仕事を見た時、彼女は――恐怖心に打ち勝つことが出来なかったのだから。

 それももう、半年以上前の話になるが……心愛の過去を考えると、決して長い期間とはいえない。彼女は4月からの時間を精一杯使って、しっかり成長しようとしていることがよく分かった。

「心愛さん……凄いな」

 思わず口をついて出た言葉に、隣に立つ統治が目線のみを彼へ向ける。

 そして。

「……おい佐藤、行くぞ」

「へっ?」

 中身が蓮だと理解した上で自分を『佐藤』と呼ぶ、そんな彼の言葉に戸惑っていると……統治は一歩前に踏み出して、心愛達と合流すべく歩き出した。

「あの、ちょっ……名杙さん?」

「佐藤の姿だと異性に対して気後れすることもあるかもしれないが、中身が君ならばやれば出来るはずだ。あと、その姿でみっともないことはしないでくれ。人が多い水族館では誰が見ているか分からない。『仙台支局』のメンツに関わる」

「分かりました……って、さり気なくひどいこと言ってませんか?」

「気の所為だ。君は俺に対してあれだけの啖呵を切ってみせたのだから……不甲斐ない姿を晒して、失望させないでくれ」

「分かりまし――分かった」

 政宗はそう言って、しっかりと前を見据える。

 心愛の前では『蓮』として、その他大勢の前では『政宗』として振る舞え、統治はそう言っているのだ。

「このくらい、演じきってみせますよ。4月からずっと……そんな生活ですからね」

 政宗(蓮)は吐き捨てるようにそう呟いて、口元に笑みを浮かべる。

 終わらせる、その決意と共に。

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