火種
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「お兄様」
宴席を設けた中庭の手前でエリスは兄に声をかけた。彼女は露出の多い衣装に着替えており、その均整の取れた肢体を見せつけるようにして近づいて来る。
「エリスか、お前も巫女であれば今宵の奉納の舞に出ていたのだろうな」
「わたくしには、あのような場は似合いません。それよりも今宵は共に過ごさせて頂きますわ」
素早く兄の左腕に組み付く。従者のウィルオードが行く手を開き、二人は長の前に進み出た。
「父よ、不肖ランティウス、罷り越しました」
「うむ、今宵はそなたの帰還を祝う宴だ。心行くまで愉しむがよい
「ご配慮、ありがとうございます」
優雅な身のこなしで一礼した兄に続いて、横にいたエリスも挨拶する。
「御父様、今宵はこのエリスが兄の世話を焼きます。どうかご心労なきようお過ごし下さいませ」
「うむ、エリスも麗しく成長してくれて父は嬉しく思う。これからも兄を支えてやってくれ」
「はい」
カミナーニャを侍らせ上機嫌になっている長の前を退き、ランティウスに用意されている宴席へ兄妹は案内された。彼が着席すると、舞台の上に彼の母であるファルティマーナが進み出て来る。
「今宵は次期長のランティウスが、地上より帰還した祝いも兼ねている。皆の者もこの喜びを分かち合って欲しい」
彼女の宣言が終わると舞台上へ複数の女性たちが並び立った。いづれも未婚女性ばかりで、次の長の目に留まろうとそれぞれが思い思いの衣裳を身に纏い、煽情的な踊りを披露する。
「お兄様、こちらをどうぞ」
エリスはウィルオードが運んで来た焙り肉を兄に渡す。ランティウスはその焙り肉を口にした。
「美味いな」
「ふふ、お兄様、舞台上の踊り子たちには目もくれませんのね」
兄の左側に陣取っているエリスは、続けて玉杯を手にした。
「こちらをどうぞ」
だが兄は玉杯を手にしない。訝しく思い彼の視線を追うと、舞台上には末妹がいた。
「随分と、ルーディリートにご執心ですのね」
「っと、すまん」
兄は慌てたように玉杯を手にした。エリスが注ぐべき酒壺に手を伸ばしている間に、再び舞台上の妹を目で追う。刹那、兄妹の視線は絡み合った。その様子にエリスは嫉妬する。
「お兄様、わたくしを見て下さいませ」
エリスに声を掛けられて、ランティウスは手元に視線を落とした。隣の妹から、玉杯に酌をされる。なみなみと注がれた酒を飲む前に舞台上へ視線を移すと、ルーディリートが舞台上に倒れようとしていた。
「ルー!」
玉杯を投げ棄てて、ランティウスは舞台上に駆け上がる。エリスは兄の裾を捕まえて阻止しようとしたが、彼女が掴んだのは虚空だけだった。舞台上では兄が妹を抱え上げ、そのまま中庭の反対方向へ駆け抜けて行ってしまう。
「皆の者、宴を続けよ」
騒然としていた会場は、長の呼び掛けで落ち着きを取り戻した。
「ウィルオード、お兄様たちの行く先を!」
「畏まりました」
エリスに命じられて、ウィルオードは人混みへと姿を消す。彼女は今が好機と立ち上がった。