火種
平日毎朝8時に更新。
それから数日後、兄の帰還を祝う日がやって来た。
「お嬢様、準備できましてございます」
従者のウィルオードがエリスに袋を差し出す。
「これは、何ですの?」
袋の中には青い粉が薬包に小分けされて入っていた。
「媚薬でございます」
ウィルオードの口の端が持ち上がる。
「この粉と酒を同時に摂取すれば効果を発揮するよう調整してございます」
前回、暗示効果のある菓子とお茶で失敗したのを考慮しての準備だ。
「この粉を水に溶かして若君に飲ませた後、お嬢様は若君にお酒を飲ませれば良いと存じます」
「なるほどね」
今宵は奉納の舞が行われるが、それは兄の帰還を祝す宴も兼ねていた。その宴席で一服盛れば、既成事実が組み上がるかもしれない。
「但しお嬢様。媚薬を持ち歩いて宴席には入れません」
「そうでしたわね」
奉納の舞で踊る巫女は意中の相手と一夜を共にしても良い慣習があるため、意に沿わない相手との不本意な出来事を避ける意味で、薬物などの持ち込みは厳しく禁止されている。
「では、どのようにすればよろしいのかしら?」
「今から若君の部屋を訪れればよろしいでしょう」
ウィルオードの提案に彼女は満足顔で頷いた。
早速、兄の部屋を訪れる。
「お兄様、お加減は如何ですか?」
「エリスか、先日は悪かったな。ろくに話もできず」
謝る兄に対して、エリスは微笑み返した。
「いいえ、わたくしに心を開いて下さったのだと思っております。謝る必要はございませんわ」
兄の後ろでは侍女から水瓶を受け取ったウィルオードが、その中へ媚薬を入れている。
「若君様、ルーディリート様がお越しです」
「通せ」
彼の指示に従って扉が開かれる。久しぶりに対面した妹は美しく成長していた。
「お兄様、お姉様、ご機嫌麗しう」
「堅苦しい挨拶は抜きで良い」
「ルーディリートもしばらく会わない間に、立派になりましたわね」
エリスはにこやかに微笑みながらも、内心は穏やかではない。それでもあることを思い付いて、ウィルオードに目配せする。
「ルーディリートはこの後、奉納の舞があるのでしたわね。わたくしも拝見させて頂くから、着替えてから向かいますわ」
「姉妹仲が良いのは、兄として嬉しく思う。これからも我ら三人、仲睦まじく過ごして参ろう」
「は、はい」
緊張した面持ちのルーディリートの返事に兄姉は微笑んだ。エリスはその場を後にする。
「お兄様、緊張で喉が渇いてしまいました。お水を下さい」
「そうか、ではこれを飲め」
ランティウスは、ウィルオードが媚薬を入れた水を、そうとは知らないままに妹へ渡す。ルーディリートはその水をゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。
「ありがとうございます、お兄様。それではルーは行って参ります」
「ああ、奉納の舞の直前には酒が振る舞われるが、飲み過ぎないようにな」
「はい」
朗らかに笑う妹を見送って、ランティウスは部屋を出た。