火種
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「……ラリアが死んだ」
ボソッと兄はそう漏らした。エリスは耳を疑ったが、兄の様子からして偽りではないと判断する。
「彼女は私を庇って、その命を落とした。彼女が死んだのは私の責任だ」
苦渋の表情を浮かべた兄は、目元を右手で覆った。そのような彼の仕草にエリスは胸を締め付けられるような感覚に陥る。兄の頭を両手で引き寄せると、自らの豊かな胸元へ押し付けた。
「お兄様は悪くありませんわ」
努めて優しい声を出す。
「ラリアさんはお兄様を守る職務を果たしたのですもの。こうしてお兄様がここにいらっしゃるのは、ラリアさんの献身の賜物ですわ」
諭すように言葉を連ねる彼女の表情はしかし、抑え切れない笑みを浮かべていた。
「お兄様が無事に帰還して下さって、わたくしは嬉しく思います」
ラリアを死に追いやったのはエリスが掛けた暗示の効果だ。彼女に罰を与えるとして掛けた暗示は、こうなることを見越していた。傷心の兄を慰めつつ、エリスは今から兄にも暗示を掛けようと企む。
「お兄様は、わたくしのものです」
そっと彼女はテーブル上の焼き菓子を一つ摘み上げた。先ほど飲ませた香茶は誘眠効果を持ち、この焼き菓子には香茶と同時に摂取した時に限って暗示効果を強める働きがある。焼き菓子単体ではほぼ無害だ。
「これでお兄様は、本当にわたくしのものに……っつ!」
兄の口元に届く寸前、彼女は指先に痛みを感じた。手にしていた焼き菓子が消し炭のようになり、あっという間もなく崩れ去る。テーブル上に視線を移すと、用意して来た焼き菓子全てが消え去っていた。
「これは……?」
「どうやら、部屋に防御機能があったようですね」
ウィルオードが彼女の指先の具合を確認しながら、状況の推察を始める。
「この部屋は若君以外にも、歴代のお世継ぎが使用していた部屋です。不埒な行いができないよう、何かしらの仕掛けがあったと推測します」
「そう、それは腹立たしいわね」
彼女の指先は軽い火傷で、数日後には完治するぐらいの軽症だった。兄の頭を胸元に抱えたまま、彼女はウィルオードに指示する。
「わたくしの言う通りになさい」
「畏まりました」
彼女は指示を出してから、兄の頭を自らの太股の上に置く。いわゆる膝枕の状態だ。
「よろしくてよ」
彼女からの合図を受けて、ウィルオードは控えに続く扉を開けた。
「どなたか、お越し下され」
彼の呼びかけに応じて、ランティウスの侍女がやって来た。
「若君はお疲れのようでお休みになられてしまった。ついては、掛布をご用意頂きたい」
長椅子では微笑むエリスの膝枕で、ランティウスが横になっている。傍から見れば仲睦まじい男女にしか見えない。
侍女はすぐに掛布を持ち出して、兄の身体を覆った。
「ありがとう。お兄様もお疲れのようで起こすのに忍びなかったものですから」
エリスは侍女の瞳をその金色の瞳で見詰める。
「あなたもわたくしに協力して下さい、ね?」
「はい、エリス様」
侍女に暗示をかける分には不具合はなかった。ニタリとエリスは笑う。彼女は兄が目を覚ますまでその執務室に滞在し、ウィルオードは執務室のあちこちを物色した。