骨肉
ところが、肝心の長が新年の挨拶に帰還しなかった。
どうにかソフィアとソフィアルテの二人で一族を落ち着かせたが、側室待望論が再燃する。
「また御母様ですわね」
「申し訳ありません」
苛立つソフィアに対して、モリーが頭を下げた。
「あなたが謝る必要はありません」
「私があの時、出過ぎた行いをしたのが原因です」
「アベルを庇わなかったら、それこそ怒りますわ」
潤んだ瞳の侍女に、ソフィアは優しく接する。
「何か、良い方策を練らなくてはなりませんわね。モリー、お茶を淹れて頂戴」
「はい、畏まりました」
頭を下げてお茶の支度に彼女が向かうと、ソフィアの前に別の女性が床から滲み出るように出現する。
「結果は?」
「噂の出所は間違いなく御母堂様です」
「目的は何かしら?」
「若君様の正妻を一門からとお望みのご様子でした」
「分かったわ、続けて監視して」
「承知しました」
出現した時と同様、報告に来た女性は床に溶け込むように姿を消した。その直後にモリーが戻って来る。
「お待たせ致しました」
努めて笑顔で振る舞う彼女を見て、ソフィアは心を決めた。
「長の身勝手は、本当に困りましたわね。もう一度、帰還を願いましょう」
長自らが指示した連絡手段でも帰還しない理由も知りたかった。
「如何なさるおつもりですか?」
優雅にお茶を飲むソフィアに、侍女は問い掛ける。
「妾が直談判に行くのみじゃ」
微笑みが不敵な笑みに変わった。
「では行って来る」
「本当にお供は……」
「付けなくて良い。信じて待っていよ」
単身で出掛けるソフィアを侍女たちは見送った。角を曲がって侍女たちから見えなくなると、彼女の斜め後方に一人の女性が現れる。
「御母様は在室かしら?」
「はい、既に手の者が準備を整えております」
「直談判あるのみですわ」
決意も新たに、ソフィアは廊下を進む。誰とも会わずに西の塔までやって来た。二階の一室が母の部屋だ。彼女が近づくと扉が自然と開く。ソフィアは室内へ堂々とした足取りで進んだ。
「誰じゃ?」
部屋の中で母のカミナーニャは読書をしていた。
「エリスか、何の用かえ?」
「御母様、どういうおつもりですか?」
ソフィアが尋ねても母はピンと来なかった。
「何のことかえ?」
「モリーを、長の側室にと」
それで漸く話が理解できた母は婉然と微笑む。
「当然じゃ、次のソフィアも我々の身内から出さねばならぬ」
「ラリアを殺してでも、ですか?」
娘が玉杖を握り直したのにも気付かず、母の表情は変わらない。
「元々死んでおった者が改めて死んだまで、個人的な感傷など捨てなさい」
「分かりました」
ソフィアの雰囲気が変わった。
「では、その手始めに御母様で試させて頂きますわ」
「な、何を」
カミナーニャは胸を押さえて膝から崩れ落ちる。
「エリス、何を……」
「個人的な感傷を捨てるには、御母様に人柱になって頂くだけですわ」
「やめ……」
カミナーニャの言葉はそこで途切れる。苦悶の表情で大きく開いた口の奥には氷の花が咲いていた。ソフィアは氷の魔法を母の体内に現出させたのだ。
「お見事です、ソフィア様」
「ウィルオード!」
一部始終を見られたと悟り、ソフィアは玉杖を彼に向けた。その彼女の目の前で彼は深々と頭を下げる。
「拙が仕えるのはソフィア様しかおりません。姉上は心臓の病で倒れたとすれば良いでしょう」
「姉……?」
ソフィアは初めて、ウィルオードと母親の関係を知った。
「お伝えしておりませんでしたか。左様、拙はソフィア様の叔父に当たります」
その関係からすると、モリーたちは従姉妹に当たる。
「どうして、黙っておったのじゃ?」
「ソフィア様が拙に遠慮なさるのは良くないとの計らいです」
「モリーが妾の従妹ならば、長の側室としても良かったのであるぞ?」
ウィルオードは首を横に振った。
「若君様には、もっと相応しい正妻を考えております」
「誰じゃ?」
「機が熟すまでお待ち下さい」
彼がこれ以上は話さないと看取して、ソフィアは床に倒れたままの母親に視線を移した。




