骨肉
年初の一悶着から時は流れて、地下城の一室でソフィアは溜息をついた。
「我が子の誕生日祝いにも帰って来ないとは」
アベルが八歳の誕生日を迎えたというのに、父親である長は帰って来ていない。
「長に会ったのは何ヶ月前でしょう?」
長の放浪癖は治らず、むしろ最近はより一層に悪化している。数ヶ月も帰って来ないのは普通で、帰還してもその日の内にまた出て行ってしまう。
「ウィルオード、長が地上で何をしているのか、探ってはくれませんか?」
「それならば適任がおります。お任せ下さい」
自信満々に答える従者に、彼女も期待する。
「ヴォルターとカイザーを呼べ」
「はい、父上」
今では侍女頭として勤めているモリーが、指名された二人を呼びに行った。
「その二人は何者ですか?」
「ソフィア様の指名に邪魔が入らぬよう衛士を勤めた二人でございます」
ウィルオードが答えている間に、全身黒尽くめの男性二人が入室して来た。
「紹介しましょう、双子の兄弟、ヴォルターとカイザーでございます」
「お初にお目にかかります、カイザーです」
「同じくヴォルター。ソフィア様にはご機嫌麗しう」
隙のない動きで一礼する兄弟を見て、ソフィアは大きく頷く。
「これは随分と腕の立ちそうな二人じゃ」
「はい、自慢の息子でございます」
恭しく一礼するウィルオード。ソフィアも威厳を保とうと口調を変化させる。
「そちの息子であったか。モリーも優秀であるし、これは益々期待できるのう」
「お誉めに与り光栄にございます」
ウィルオードの子らがソフィアの周辺を固めていることに、彼女は何も違和感を感じていなかった。
「お呼びの用件は何でしょうか?」
ヴォルターが問い掛ける。
「実はのう……」
ソフィアは地上に赴く長の身を案じている心の裡を明かした。長が口実としている死者の弔いの真偽と、万が一にも他の理由であれば、その元凶の排除を命じる。
「よもやと思うが、不義密通であれば相手の女は生かさずとも良い。我らの掟に従って断罪せよ」
「畏まりました」
兄弟は深々と頭を下げると退出して行った。
「アベルをこちらへ」
ソフィアは息子を連れて来るようモリーに命じる。ややあってアベルが連れられて来た。彼はモリーの後ろに隠れるようにしている。ソフィアが声を掛けるより早く、別の侍女が知らせを持って来た。
「長様の表敬がございます」
「左様か、それではすぐにお通しを」
アベルを自らの隣に座らせて、ソフィアは心待ちにしていた長を待つ。扉が開いて、黒い衣装の長が入室して来た。
「エリス、アベル、息災であったか?」
「長の計らいで、アベルも健やかに育ち、八歳になりました」
「そうか、今日は遅くなってすまなかった」
妻の隣に座る我が子は、何となく元気がない。
「剣の修業は続けているのだろう?」
小さく頷くアベル。ソフィアは話題を変えようとした。
「昨年頂いた茶器を割ってしまって、それが気掛かりなのです」
「何だ、そのようなことか。まあ不注意は誰にでもある。気にするな、新しい茶器を用意しよう」
「寛大な処置に感謝します」
「では、すぐに用意しよう。明日には戻る」
二人の返事も聞かず、長は行ってしまう。
「さて、それでは長を迎える準備が必要ですな」
ウィルオードが顎髭を撫でながら思案する。
「わたくしを捨て置くお兄様に歓待など不要です」
「ソフィア様、それではいけません」
不機嫌になった彼女に従者は優しい声を掛けた。
「我が息子たちが仕事をしやすいよう、足止めするのが目的です」
「ほんの僅かの時を費やしたところで、如何ほどの効力がありますの?」
彼女の疑問ももっともだった。
「伝え聞くところでは、地上は時の流れが速いと言われております。こちらの一日が、地上では十日ほどとか」
「それでは、お兄様がすぐに地上へ赴くのは……」
「地上では数日後になるからでしょうな」
ウィルオードは唇の端に笑みを浮かべた。
翌日、長が約束通りに帰って来る。
「無事の帰還、喜びます」
「これも渡そうと思ってな」
長は一振りの短剣を取り出した。
「剣術修業に励みが出るように」
「ありがとうございます、長よ。さあアベルも」
「ありがとうございます、父上」
短剣を受け取ったアベルの瞳は輝く。
「長よ、本日は久方ぶりに親子で食卓を囲みましょう」
ソフィアが微笑むと、長は一瞬だけ躊躇ったように見えたが、鷹揚に頷いた。
「そうだな、そうしよう」
小一時間ほど、彼は一家団欒を満喫した。




