骨肉
「ソフィア様、申し訳ありません」
私室で侍女のモリーが頭を下げた。彼女の主であるソフィアは特に何も感じていない。
「良いのです。それより身体は大丈夫ですか?」
侍女の体調を気遣う。それと言うのも、モリーに与えられた罰は、子供たちの内一人に有効打を与えるまで立ち合いを続けるという、簡単そうで苛酷な罰だったからだ。最終的には、木刀を杖代わりに立つ彼女を見兼ねて、ソフィアが中止を長に求める事態にまで至った。その代償として、アベルの剣術修業が始まっている。
「まだ、ところどころ痛みますが、日常業務には支障ありません」
「長の気紛れには、いつも困らせられるばかりですわね」
言いつつ、ソフィアはどこか嬉しそうであった。
「それではソフィア様、新年の挨拶にご臨席下さい」
「そうね」
地下族の一年は長による新年の挨拶から始まる。ランティウスは地上にいる期間は長いが、新年の挨拶とソフィアの誕生日祝い、息子アベルの誕生日祝いには欠かさず帰還し、最近では何くれとなく二人に贈り物を届ける心遣いまであった。
新年の挨拶を終えて、ソフィアは自室に戻って来た。アベルも隣室に戻る。白の衣裳から黒い普段着に着替えたところで、長が訪れた。
「エリス、話がある」
「何でございましょうか?」
ソフィアは婉然と微笑む。長の視線は鋭かった。
「アベルには剣術の訓練を命じたはずだが、昨日の不甲斐なさは何だ?」
「一ヶ月そこらで、熟達するものですの?」
「ガイウス師の指導ならば、一ヶ月もあれば防御方法ぐらいは習得できる」
長の声は冷たい。
「長よ、アベルはまだ七歳になったばかり、剣技の訓練は早いでしょう」
「私は三歳から剣を握っている」
ソフィアの擁護も通用しない。
「では、魔法の訓練に力を入れているのか?」
ランティウスの質問にソフィアは答えなかった。
「エリス、お前が魔法の訓練を始めたのはいつだ?」
「……五歳からです」
「アベルは七歳、剣も魔法も訓練を始めていなかったとは、どういうつもりだ?」
ソフィアは再び答えられない。
「お前は、アベルを次の長にするつもりはないのか?」
「そのようなことは、ありません」
「だが、このままでは戴冠式前の遺跡点検で命を落とすだけだ」
溜息交じりに彼女を見据える長に、ソフィアは不穏な空気を感じた。
「どうなさるおつもりですか?」
「側室に子を産んで貰うしかなかろう。それとも、お前がもう一人産むか?」
ソフィアは三十歳手前、流石にもう一人産むのは躊躇われる年齢だ。
「側室は認めません。アベルの訓練を続けます」
ソフィアは精一杯の抵抗をして見せた。
「そのような悠長な考えでは困る」
ランティウスは正妻の誇りを壊そうとするかのように叱責する。言葉も返せず、ソフィアは顔面蒼白のまま長の背中を見送った。
「ソフィア様、お気を確かに」
モリーが声を掛けると、ソフィアは我に返る。
「長は、どういうつもりでしょう?」
「何やら含むところがあるようでしたな」
ウィルオードの答えに、ソフィアは身を乗り出した。
「含むところとは?」
「いえ、推察に過ぎません。長の真意を知る必要がありますな」
「お兄様、昔から隠し事ばかり。今も何かを隠しているようですわ」
彼女は不信感を募らせていた。その不信感を煽るように、ウィルオードは言葉を継ぎ足す。
「よもや、隠し子がいるとも思いませんが、先代に比べると些か地上にいる時間が長いですな」
「父上、ソフィア様が不安になるような言い方は控えて下さい」
モリーに叱られて、ウィルオードは苦笑した。
「これは失礼しました」
「長の動向を探る時があるかも知れません。その時は頼みますよ」
「畏まりました」
ウィルオード父娘が頭を下げたのを見て、ソフィアの胸中には葛藤が渦巻いていた。




