骨肉
「忌々しい」
訓練場から自室に戻って来たソフィアは毒づいた。
「剣技などやっても、無駄なだけですわ」
彼女の中では、剣技に対する悪印象しかない。迂闊な真似をすれば地上で命を失い、放浪癖を助長するだけの存在だ。
「護身術程度で良いのです。分かりましたね、アベル」
「はい、母上」
幼い彼には反抗の余地もない。
「若君様のお祝いの支度が整っております」
モリーがやって来た。苛立っていたソフィアも柔和な表情になる。
「それでは参りましょう」
アベルの手を引いて、彼女たちは広間に移動した。
「父上は?」
一族の有力者たちが列席しているが、ソフィアとアベルが腰掛けると満席になる。
「長は忙しい方で……」
ソフィアが答える途中で長が入って来た。絶句した彼女を彼は冷ややかに見詰める。
「皆の者、アベルの誕生日祝いだ、盛大に祝ってくれ。私は地上の不穏な動きを監視して来る」
それだけを言い置いて彼は退出して行った。気まずい空気が流れる。
「長の仰せの通り、アベルの誕生日を祝いましょう」
何とか場を取り繕ったが、有力者たちはそれぞれに目配せしていた。
宴を終えて、ソフィアは自室に戻ると、手にしていた扇を床に投げ付ける。
「どうして、あの人は間が悪いのでしょう!」
昨年も一昨年も祝いの宴には席を用意していたのに、いづれも黙って欠席したのは長の身勝手だ。そこで今回は席を用意しなかったのだが、ひょっこりと顔を出した間の悪さにソフィアは苛立ちを隠せない。
「あの時も、あの時も!」
思い起こすと何でもない時でさえも嫌がらせに思えて来る。
「大体、正妻のわたくしを放って、地上で何をなさっておいでなの?」
地上にある遺跡の管理点検は長の務めだった。他の者に任せたこともあるが、務めを放棄してしまったり、徘徊する魔物などの駆除に失敗したりと不具合が多発した。そこで長を中心とする少数精鋭で魔物などの駆除を行い、その後は長のみで点検管理を行うようになった経緯がある。
「それでも地上に滞在している期間が長過ぎですわ。不穏な動きの監視と仰っていましたけど」
確認しようにも長の許可なく地上に出ることは禁じられている。方策を考えていた彼女に、侍女が声を掛けた。
「ソフィア様、こちら長からの届けものです」
「何かしら?」
箱が一つ。中には青灰色の茶碗が三客入っていた。
「はあ……」
溜息一つ。ソフィアはモリーを呼びつける。
「ソフィア様、御用は何でしょうか?」
「長から茶器を賜りました。すぐにお茶の用意をなさい」
「畏まりました」
モリーは渡された茶碗を持って奥へ向かった。アベルも呼んで卓を囲む。暫くして、茶碗と茶菓子を揃えてモリーが戻って来た。
「お待たせ致しました」
ソフィアとアベルの前に茶碗が出される。炻器独特の青灰色の茶碗は地下族の間では珍重されていた。
「長の心遣い、存分に味わいましょう」
ニコニコと微笑みながらソフィアはお茶を楽しむ。上機嫌のソフィアは珍しく、アベルも嬉しそうに茶菓子を食べていた。
「アベルや、茶器が……」
ソフィアが言い終える間もなく、アベルの前にあった茶碗は彼の肘に押されて、卓上から転落する。
「あ……!」
茶碗は床で砕け散った。無垢な瞳で見詰めて来る息子に、ソフィアは怒りを堪える。
「モリー、床の掃除を」
「はい、畏まりました」
侍女たちがテキパキと床掃除を始めた。
「ゴメンなさい、母上」
謝るアベルの頭を彼女は撫でる。
「良いのです。形あるものは必ず壊れます。壊れたものは元に戻りません。よく憶えておきなさい」
「はい、母上」
三客あった茶碗が二客に減ったとしても、困ることはないとソフィアは割り切っていた。
「アベルは賢いですわね」
ソフィアは息子を可愛がる。だがその教育方針は歪と言えた。




