背君
「手抜かりなく掃除されているようね」
室内は主不在の間も手入れが行き届いていた。手前のテーブルは磨き上げられて光を反射し、中央で間仕切りも兼ねているカーテンも輝いて見える。侍女二人がそのカーテンを左右に広げると、整えられた寝台が現れた。その枕元の壁際には美しい青い花が飾られている。
「その花は?」
エリスも見覚えがある青い花は、奥庭でソフィアルテが丹精込めて生育している花だ。
「若長様より賜りました。主の帰還に備えて飾るように仰せつかっております」
「そう」
エリスは平静を装う。だがその胸中にはドス黒い感情が渦巻いていた。
「主不在でも怠りなく勤めているようですわね。よろしい、その忠勤を嘉して万が一の時には望むところへ優先的に配属させましょう」
「ありがとうございます」
地下族には金銭という概念がなく、全ては奉仕と謝礼という形で生活が成り立っている。だから仕える主を失った場合、身の置きどころも失い困窮する可能性もあるのだが、エリスはその不安を可能な限り払拭しようと心を砕いたのだ。
「ところで、長はいつ頃からこの花を持ち込んでいるの?」
「若長様は、二ヶ月ほど前から、毎月月初めに訪れております」
侍女たちの話から、エリスは経緯を大まかに把握した。兄の耳に末妹が城内より隠遁したと届いたのが二ヶ月前。それ以来、兄はフラリと姿を消すようになっていた。地上で亡くなった者の弔いをしていると聞かされてはいるが、それを終えて城に戻り、奥庭から花を携えて末妹の部屋に訪れているのだ。
エリスは部屋から出ると、悔しさのあまり拳を握り締めて歯ぎしりした。
「わたくしの部屋には一度も来ないのに……」
正妻となって一年近く、兄は一度も彼女の部屋を訪れてもいなければ、必要以上の会話すら避けていた。
「ソフィア様、お部屋へ戻りましょう」
モリーに促されて、エリスは自部屋に戻って来る。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
従者のウィルオードが出迎えた。相変わらず、何を考えているのか掴み所のない雰囲気を漂わせている。
「ウィルオード、どこか侍女の足りない人はいないかしら?」
「左様でございますな……」
彼は幾許か考えると、三人の名を挙げた。
「すぐに手配しましょう。城内で遊ばせておく人材はおりません」
エリスは末妹の部屋を空っぽにしようと算段している。
「これで懸念事の一つが片付いたわね」
「お嬢様、巫女部屋が一つ主のないままに放置されておりますが、如何致しましょう?」
「あの部屋の近くは使われていない部屋ばかりですから、区画そのものを閉鎖しましょう」
彼女の意を察してウィルオードは動く。こうしてランティウスが不在の間に、ルーディリートが城内に存在した痕跡を消してしまおうとエリスは手配した。
「ソフィア様、そろそろ出発の時間です」
「あら、もうそのような時間?」
いろいろと手配している間に時間が来た。本日は一族全体にランティウスとエリスの婚姻を披露する最後の日で、その出発時刻が迫って来たのだ。
婚姻披露も兼ねて、新しい長が一族全体を巡視するのが目的で、この一年近くを掛けて、いよいよ最後の部族になった。
「モリー、いつものように支度しなさい。積み込む荷物に手抜かりないように」
「はい、お任せ下さい」
荷造りはモリーに任せて、エリスは着替えと化粧直しを古参の侍女たちに行わせる。
「行ってらっしゃいませ」
連れて行くのはモリーのみなので、ウィルオードが荷物を持ち運ぶ以外は、部屋で見送りだ。




