謀り
「それでは、新しい長とソフィアの誕生を祝して、内々の祝いを行う」
前の長で、ランティウスとエリスの父が杯を手に宣した。両脇にはそれぞれの母であるファルティマーナとカミナーニャが座し、新しい長のランティウスと、正妻であるエリスが対面して座っている。エリスは普段と変わらない様子で杯を手にした。
「お兄様、いつまでもそのような態度では、一族に示しが付きませんわよ?」
彼女を無視するかのように沈黙を保つランティウスと、物怖じせず苦言を呈するエリスのやり取りに一堂は困惑顔だ。
「若長は我が娘の美貌に当惑しておるのかのぅ」
カミナーニャが彼に視線を送ると、殺気を籠めたような雰囲気が返って来る。
「いい加減にせぬか、バカ者」
見かねた父が仲裁に入った。それでも兄は不機嫌さを隠そうともしない。
「お兄様、我が儘が過ぎましてよ」
エリスは立ち上がると、ツカツカと兄の横へ歩み寄った。卓上にあった兄の杯を手に取ると、そこへ酒を注ぐ。
「ねえお兄様、頭を冷やします?」
「エリス、そこまでしてはなりません」
彼女が杯を手に取った辺りから席を立って止めに入ったのは、彼の母親ファルティマーナだ。
「そのようにファルティマーナ様が甘やかすから、お兄様が我が儘放題になっているのですわ。一族の模範になるよう、頭を冷やす必要があります」
エリスは手にした杯を、酒を注いだ杯を兄の頭上へ向けた。
「やれるものならば、やってみろ」
妹の意図を察して、ランティウスは低い声で挑発する。エリスは微笑みながら杯を傾けた。
「……あっ」
兄妹を除くその場の誰もが、修羅場を想像する。だがエリスの手は止まっていた。彼女の手首をランティウスが握っていたからだ。
「寄越せ」
彼は杯を妹の手から奪うと、一気に酒を飲み干す。すぐにその杯を妹に突き返した。
「お兄様、素直ではございませんわね」
突き返された杯を受け取ったエリスは、杯に酒を注ぐとそれを飲み干す。再度、杯に酒を注いでエリスは兄に差し出した。兄は黙って受け取ると、これまた一気に飲み干す。
「うむ、ランティウスとエリスを正式な夫婦として認めよう」
父は満足顔だ。二人の母も安堵の表情で、エリスは涼しい顔のまま席へ戻った。唯一、ランティウスだけが状況を理解していない。
「では改めて、我ら一族の繁栄を願って、乾杯」
父の音頭で一同は杯を傾けた。会食が始まったが、誰も言葉を発しない。その静寂を父が破った。
「儂の思う通り、エリスがソフィアに選ばれて安堵の思いだ」
そのように喋り始めた父を兄は一瞥しただけで、黙したまま食事を続けている。
「後は世継ぎが生まれてくれれば、我が一族も安泰だな」
「我が娘に重圧をかけぬよう願いますぞえ」
カミナーニャはそう言いつつも目元は笑っていた。
「若長もしばらくは忙しい身なれば、我らはゆるりと待ちましょうぞ」
「エリスにも、ソフィアの務めを継承させる必要があります。過大な期待は二人を萎縮させ兼ねません」
カミナーニャに続いて、ファルティマーナも前長を窘める。
「いづれにせよ、今日はめでたい」
大きく口を開けて笑う父と、不機嫌なままの兄を見比べながら、エリスは今後の夫婦生活がどのようなものになるのか、漠然とした不安を感じていた。