謀り
「ソフィアルテ?」
聞き慣れない名称にエリスは小首を傾げた。
「ソフィアを超越する者だ。そして儂は長を超越する者、イアールテと呼ぶが良いぞ」
父は笑顔を崩さない。同様に兄も不機嫌な態度を崩さない。
「それでは本題に入りましょう」
ファルティマーナことソフィアルテが前に出た。
「エリス、貴女は本日よりソフィアの継承を執り行います。憶えることが多くありますから、わたくしが指導を行いますね」
彼女は優しく微笑む。エリスは背筋を伸ばして一礼した。
「ご指導、よろしく願います」
「ランティウスの正妻として、立派に務めを果たせるよう、少しばかり厳しくてもよろしいかしら?」
「我が娘じゃ、手荒にしても構わぬぞえ」
カミナーニャは不敵に笑う。当事者のエリスが意見を差し挟む余地はなさそうだ。
「さて、それではランティウスには長としての初仕事を頼もうか」
父が兄の方へ振り返ったが、未だに彼は不機嫌なままでそっぽを向いている。
「ランティウス、儂らの部屋を決めてくれ」
その言葉に、ようやく兄は彼女たちの方へ視線を移した。期待に微笑みかけた彼女に、兄の冷たい眼差しが突き刺さる。エリスは初めて恐怖を感じた。
「お、にい……さま?」
「父上はカミナーニャ殿と共に、西の塔の二階へ移って下さい。母上とエリスは、今のままの部屋を使って構いません」
冷淡に事務的な口調で告げた兄は、再び口を閉ざした。
「やれやれ、それでは指定された通り、移るとしようか」
「そうですわね」
父母は兄の態度を気にも留めない。そのまま席を立って出て行ってしまう。
「ランティウスにエリス、この後はエリスの部屋に用意された祝い膳を頂きますから、必ずおいでなさい」
ファルティマーナはそう告げると、兄妹を置いて行ってしまう。気まずい空気が流れた。
「あの、お兄様……」
「エリス、お前はこれが望みだったのか?」
恐る恐る声を掛けようとした彼女を遮り、兄の冷たい瞳が彼女を射貫く。それだけでエリスは身が竦んでしまった。まるで蛇に睨まれた蛙と同じように。
「お前は、何も分かっていない」
クルリと背中を向けて兄は出て行ってしまった。それでようやく呪縛が解けたように彼女はその場にヘナヘナとへたり込む。
「お兄様、何故……?」
全身がブルブルと震え出した。何とか震えを止めようと自分自身を抱き締めるかのように両肩を押さえるが、震えは一向に止まらない。
「優しいお兄様は、どこに行ってしまわれたの?」
昨日まで、兄の眼差しは優しく彼女を包んでいると信じていた。なのに、戴冠式を終えてからの兄は態度が全く違う。何が起きているのか彼女には理解できない。ただただ兄の眼光に恐怖を感じ、今も震えが治まらないぐらいに怯えている。
「いやよ、いやよ……」
「お嬢様!」
ウィルオードが床にへたり込んだまま震えている彼女に駆け寄って来た。
「如何なされました?」
従者の呼びかけにも応えられない。ウィルオードはエリスの顎を持ち上げて上を向かせる。視線は焦点が定まらず、口は半開きでイヤイヤを繰り返しているだけだ。
「これは、何ということだ」
彼はエリスの状態を瞬時に把握した。そして取るべき手段も。
「我らの悲願を、ここで潰えさせはしない」
ウィルオードは彼女を抱え上げ、部屋へと連れ帰った。