謀り
「エリス、具合はもう良いのか?」
先日の奉納の舞で歌った後、彼女は二日間も昏睡状態にあったので、長は彼女の体調を気遣う。エリスは優雅な仕草で立ち上がると一礼した。
「御父様にはお心を煩わせましたが、御覧の通り健やかになりました」
「それは良かった。ランティウスの正妻は健康でなくてはならん。病弱のルーディリートでは一族の将来が不安で仕方ない」
長の偽らざる考えだ。
「二人には、はっきりと伝えておくが、儂はランティウスの正妻に相応しいのはエリスだと信じている」
力強く長は断言した。だがその彼の表情が曇る。
「しかし、一族の掟に逆らうことは儂にもできない。掟を破るのは即ち、儂自身の否定に等しい」
「長よ、それはどういう意味ですか?」
母が問い掛けると、長は苦々しいものを吐き捨てるように答えた。
「ランティウスの阿呆は、病弱のルーディリートを選ぼうとしているみたいなのだ。新しい長がソフィアを選ぶのが一族の掟である以上、あやつが選んだソフィアには誰も反対できん。例え儂でもな」
一族の慣例でソフィア、長の正妻は戴冠式の直後に新しい長が直接指名する。その決定には誰も反対できないのが通例であったので、長は息子に考え直すよう幾度となく伝えたという。だが、ランティウスの意思は固く、翻意させられなかったのだ。
「麗しく成長したエリスではなく、あのような病弱を選ぶとは嘆かわしい」
「長よ、例え正妻ではなくとも寵愛を受けるのであれば、それは正妻と変わらないのではございませんか?」
カミナーニャは自身の境涯を思って、大した問題ではないように諭す。
「カミナーニャは常に儂を安心させてくれる。そうだな、儂の取り越し苦労であったかもしれん」
「それに、若君とて我が娘を無碍にはなさらないでしょう。実務で言えば我が娘がルーディリートより勝るのは衆目の一致するところ。若君が誰を選ぼうとも、エリスがソフィアに相応しいと誰もが思いますよ」
婉然と微笑んだカミナーニャに長は相好を崩した。エリスは立ち上がり、一礼する。
「わたくしはこれにて失礼します」
「うむ、くれぐれも身体には気をつけよ」
長と母に見送られて、彼女は部屋から出た。扉の脇に従者が控えている。エリスは口元に笑みを浮かべた。
「ウィルオード、ついて来なさい」
彼女が命じると、彼は黙って付き従う。彼女たちは城内を進んで、巫女部屋の連なる区画に至った。ツカツカと奥へ進む彼女の目的地は末妹の巫女部屋だ。
「あの小娘には、お兄様を諦めて頂きますわ」
エリスは長の想いを妹に伝えて、兄への思慕を断念させようと考えていた。
「それにしても、このような奥に部屋を設けるとは、ソフィア様も酷な仕打ちをなさいますわね」
ルーディリートの部屋は巫女部屋の並びの奥から、更に階段を昇って辿り着くような場所だ。これでは誰も訪れないだろう。
「あら?」
やっとの思いで部屋の前に来たが、扉には不在の札が下がっていた。
「仕方ありませんわね、自室に向かいましょう」
エリスたちは昇って来た階段を降りようと戻りかけた。不意にウィルオードが彼女を引き留める。