火種
平日毎朝8時に更新。
「皆さん、お兄様が戻るまでわたくしが歌を披露しますわ」
「エリス様の歌とは、これは傾聴せねば」
彼女が舞台中央に立つ頃には会場は静まり返り、今や遅しと歌声を待ち侘びた。音楽隊の演奏が始まり、彼女はその美声を披露する。その歌声に魔力を乗せて、中庭に集まっていた一族の大半を魅了するのが彼女の狙いだった。
「エリス様!」
若衆が最初に魅了された。続けて給仕を務めていた女性たち、長の周囲にいた有力者たちも彼女の魔力に取り込まれる。長の横にいた母は満足顔で微笑んでいた。
ペコリとエリスが頭を下げたことで会場の全員が正気に戻る。盛大な拍手を浴びて彼女は中庭を後にした。
「お嬢様、こちらです」
闇からにじみ出るように姿を現したのはウィルオードだ。兄たちが向かった場所に案内される。そこはルーディリートの部屋だった。
「ここに?」
エリスが振り返るとウィルオードは無言で頷いた。中の様子を窺おうと彼女は扉に耳をあてる。
「……お兄様、ああ……」
聞こえて来たのは妹の声だった。だがその調子は聞いたこともない。
「ルー、愛している」
「ああ、お兄様、私もよ」
荒い息遣いが交じる会話に、エリスは中で何が行われているのか察しがついた。
「……嘘でしょ?」
今にも扉を開けて二人の邪魔をしようかという雰囲気の彼女を、従者のウィルオードが無理矢理に引き留めた。
「なりません。巫女が意中の相手と情を通じているのを邪魔立てすれば、お嬢様といえども処罰は免れません」
「そんな……」
ブルブルと全身が震えた。どす黒い感情が身体全体を走り回り、彼女の理性を崩壊させようとする。
ユ ル サ ナ イ
ウィルオードは暴走寸前のエリスを抱え上げると、音もなく走り始める。城の奥にある魔力実験室に彼女を放り込んで扉を閉めた。すぐに中から獣のような叫び声が響き、轟音が支配する。
扉の前で佇んでいた彼の許へ近づく影が一つ。
「ウィルオードや、どうじゃ?」
「これは姉上、お嬢様は順調に仕上がっておりますよ」
「左様か、それは楽しみじゃのう」
黒い微笑みを残してカミナーニャは立ち去る。しばらくして室内が静かになったのを確認し、ウィルオードは扉を開けた。中から冷気が漏れて来る。
「お嬢様」
「ウィルオード……」
室内は完全に氷で覆われていた。その中央で未だに魔力を纏ったエリスが怒りの籠もった眼差しを彼に向けて来る。
「あの娘を、戴冠式に出られないようにできるかしら?」
エリスの問い掛けに、ウィルオードは恭しく一礼した。
「お任せ下さい、お嬢様」
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次回の更新は4月20日です。