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6.高嶺の花の諸事情と意思

 どのくらい経っただろうか。


 彼女の我儘に勢いで乗ってしまったのだが。そうしてしまった以上、断ることは絶対したくなかった。その反面『彼女の行きたい場所』というのに慎太郎の好奇心が抑えられなかった。「どんな所?」と聞いた所「言葉じゃ伝えきれない」とあっさり返されたのだ。


 慎太郎はどんどん期待に胸を膨らませる。


 とっくに繁華街は抜け、山道に差し掛かっている。されるがままのように彼女について行く慎太郎。繁華街とは違い、人が居なくなった分スタスタとアスファルトを蹴る2人だけの足音が強調される。


 木々の間から奏でられる虫達の合唱。左右どちらを向いてもその音楽は、止む事を知らない。まるで2人を山道へと誘うかのようだ。


 そして夜空を見上げる。


(──星だ)


 空全体に広がる暗闇。慎太郎の住む街ではこれが普通だ。だがここでは違った。無数の煌めく星が、まるで一つ一つに大きな物語があるかのように、そこにはあった。


 肉眼で星を見るのはいつ以来だろうか。母の実家へ泊まり込んだ時に、よく母の両親と一緒に星を見ていたのだ。慎太郎はあの時の感動を思い出した。あの好奇心をいつ忘れてしまったのだろうと苦笑する。今の光景を目に焼き付けようと思った。


 景色に魅了されていたのだが、本来魅了されなくてはならない対象──歌音を忘れていた慎太郎。彼女に焦点を合わせた。


 そして、彼女の背を見守りながらお互い無言で歩を進めている。長髪に撫でられているその背は頼り甲斐がなく、形を保ってるのが精一杯のように見えた。だからこそ綺麗に見える。儚いものは美しい、とはこれの事を言うのかと思った。


 彼女を視認する事が出来たのは、月明かりと、等間隔に配置された街灯のお陰である。街灯を過ぎれば月だけに照らされ、再び街灯の下に来れば強く照らされる。これの繰り返しである。


 だが、やはり星空は慎太郎を飽きさせてはくれなかった。少しだけならと神様に自分の心で許しを求め、再び空に目を向け始めた。


「綺麗だね」


 歌音はそう口にしていた。慎太郎はまたも彼女に焦点を合わせた。彼女は夜空を向いていたのだ。


「本当だな。これが見たかったのか?」

「……違くはないけど」


 本来の目的地ではないらしい。

 

「でも凄いよね。あっちだと見てるはずの星が見えてないんだもん」

「あっち?」

「うん、私達の住む街。それとこの場所……同じ空なのに、場所が違うだけでこんなにも夜空の景色が違うんだなって」


 同じ意見だった。それが慎太郎にとってどれ程嬉しい事か……

 

「同じ事思ってた」


 途端に振り返り、足を止める歌音。上機嫌の様子だ。慎太郎も歩く事を止めた。


「もしかして、私達ってよく似──」

「似てない」

「なんでよっ」


 すぐに否定したせいか、彼女は頰を膨らませてみせる。


 似てない。似てはいけないのだ。歌音という絶対不動の美。彼女が慎太郎に似る……それは天地がひっくり返るとんでもない事だ。月が亀に似る、あってはならない。


「君……あ、えっと……歌音とじゃさ、俺は釣り合えないよ」


「……え」


 彼女は目を見開いた。突然色を失ったようなその声は、うっすらと彼女によって放たれたが、慎太郎の耳にははっきりと残った。その一文字にはいくつもの意味が込められてるようにも思えた。


 慎太郎自身、気づいてしまった。地雷を踏んでしまったのだと。何の地雷かは分からなかったが、フォローを入れるべきだと本能が慎太郎に言うので、慎太郎は焦りながらも口を開く。


「ほら、歌音……はさ、堂々としていて、かっこよくて……何より可愛い! 俺の欲しいもん全部持ってる。一緒にいていいのかってくらいだよ。だからその……」


 見苦しくなった。


 歌音は氷の如く、表情一つ変えない。とも思いきや慎太郎に背を向ける形でそっぽを向いてしまった。静止し続けている。しばらくし、ゆっくりとほんの少しだけ夜空を見上げた。


 そして──


「へぇ、そんなこと思ってたんだ」


 彼女はさっと振り返り、数歩近寄ると腰を屈めながら慎太郎の顔を覗き込んだ。表情はニヤニヤとしていて上目遣いをしながら、おちょくったような口調だった。


 その瞳は釘付けになる程どこまでも黒く、慎太郎の全てを見透かしてるかのようだった。


 驚いた慎太郎は、一歩下がった。美少女が上目遣い……このセットに慎太郎は耐えられなかったのだ。頰に熱を感じている。


「ほら、行くよ」


 行方は知らないが、その場しのぎのために慎太郎は少し焦りを混じえながら彼女を追い抜く。


 歌音は「待って」と言わんばかりの足取りですぐに追い付き、慎太郎と肩を並ばせる。彼女は夜空を向きながら歩いていた。


 少しインターバルを置き、そのまま彼女は口を開く。


「私……欲を言うとさ、天の川を見てみたいんだよ」

「天の川……」


 慎太郎も夜空に目をやる。


「凄く綺麗っていうのは写真とかよく見るから分かるんだけど。やっぱり実際に見るのとでは全く別物じゃん? 私はその時の迫力っていうのを味わいながら見てたいの」


 彼女の言葉には共感しかなかった。


 百聞は一見にしかず。


 まさにこれである。彼女が初めて夜の繁華街を目にしたように……凄いと聞かされ理解していても、その中に臨場感も無ければ迫力もない。感動を得ることはできないのだ。


 彼女は行きたい場所を「言葉じゃ伝えきれない」と言った。その言葉の深さを慎太郎は知った。


「ここじゃ見れないんだね」

「ホント! 悔しいよねっ! そこにあるのに」

「条件が厳しいからね、俺も見てみたいな」


 十分この星空でも満足できている慎太郎だが、彼女に天の川の存在を思い出させられたので、気は既にそちらだ。


 気づいた時、歌音は慎太郎の方を向いていた。まるで何かを試すかのような笑みを浮かべている。何かと思い、慎太郎も向き返す。


「ねぇさ。今度一緒に見に行こうよ」

「……ばっ、何を言っ……」

 

 唐突だ。慌てるに決まっている。勿論大歓迎なのだが、それは俗に言う『デート』である。あまりにもいいことづくめで軽く恐怖心を覚え始めていた。


 彼女は慎太郎の様子を伺うなり「冗談よ」と言いながらクスクスと笑った。


 慎太郎にとって、あまり軽々しく言わないで欲しい冗談である。真意に捉えてしまったのを笑われたのか、気恥ずかしさと悔しさを同時に覚える。


「条件に合わせるのが大変って言うからなー。よく見たいなら山か海で、人工的な光が少なく……そして空気が澄んでいる所っていう沢山の条件があるからね」

「それは大変だね。都会じゃ無理かな」

「そうなんだよ。それに……」


 途端に立ち止まる。悔しげな表情を見せ、俯いた。それに気づいた慎太郎も遅れて立ち止まり、振り返る。


「うん……」


 慎太郎は、次なる言葉に不安の予感を覚え、唾を飲みながら待つ。


「今日を機に、こういう所に遊び歩く事はもう……ないと思うから」


 俯いたまま、消え入りそうな声でそう口にした。その声はどこか切なげで、色を失っていた。


 言葉を失っていた分、2人の間の空気だけが眠りについたように静かで、虫の鳴き声が無駄にうるさかった。


 彼女の家庭は厳しいのだろうと確信に近かった。何せこんなにも無邪気に笑うほど楽しかっただろう街巡り。こんなにも綺麗な星空を見てなお、外にはもう出ないと言う。自分の意思なはずがない。それに──


(なんでそんなに辛そうなんだよ……)


「さぁ、行こ。そろそろ着くと思うから」


 顔を上げた彼女は、無理矢理といわんばかりの笑顔を作っていた。ほんの僅かだけその儚くも可憐な相好を見せつけてみせると、それを隠すかのように、すぐさまサッと慎太郎の横を通り風の如く抜けていった。


 慎太郎は聞くことができなかったと悔いた。確信に近い疑問も、歌音自身の意思も。歌音の家庭の問題……彼女自身の問題……慎太郎が口出しすることではないと自身を諭す。意思が知りたいのは彼自身の方である。


 何より彼女は高嶺の花、雲の上の存在。慎太郎が行動を起こしたところで彼女自身が変わるという根拠もなければ変えるという自信もなかったのだ。


 振り返ると、少し距離を置きながら彼女はすらりとした首を回し、じっと慎太郎を見つめていた。正確には待っていた。目が合うと彼女は優しく微笑んだ。心からの笑みか、外面だけの笑みかは、薄暗いこの道では分からなかった。


 慎太郎は急ぎ足で彼女の隣に並ぶ。お互い無言のまま足音だけを鳴らし、ひたすらに歩く。虫たちの合唱が、この時だけは2人を優しく包み込んでくれていた。


「着いた!」


 彼女は弾んだトーンでそう言った。その声を聞き、慎太郎は俯いていた顔を上げる。


 道外れに、木々を掻き分けたように作られた広場があった。古びたベンチ、街を示す地図台、その全てが寂しげに見えるのはきっと、たった一つの薄暗い街灯のせいだ。広場の全てを照らすに足りなかった。


 彼女は好奇心旺盛な子供のように広場へ飛び出して行った。彼女が真っ先に辿り着いた所は、まるでその先が崖かのように建てられた厚い木の柵。


「早くっ! 慎太郎くんっ!」

「待って」


 彼女はこちらに手招きをしていたので、足早に追いかける。


 柵から身を乗り出しながら、彼女が「わぁー」と感激していた。そして柵越しの景色に目に通した。


 慎太郎は息を飲んだ。







 

 


 

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