4:サイトーさんと蛸
よろしくお願いします。
目が覚めると夜明け前。焚き火は消えやや肌寒い。時計をみれば5:00。森の上の空は赤くなっているから、見えないだけで日は上っているのだろう。
もちろん朝御飯の用意などしていないので椰子の実で済ます。
簡単に言ってるが、採ってから食べ終わるまで1時間以上掛かった。
椰子の果実を食い終わる頃には、とっくに日は昇っている。
海の方を見ると潮が引いている。遠浅なのか沖に砂洲が見えた。
「危なかったー。逆に満ちてたらずぶ濡れだったじゃん」
今さらその事実に気づいて青くなる。リアル寝耳に水は勘弁してほしい。
焚き火の燃え残りに砂をかけて始末すると、早速出発する。
目的地は無いが目的はある。海沿いを移動して人に会うことだ。
船に出会えれば善し、漁村でも有れば尚良しだ。
リュブリブスのいい加減さを考えるとここが無人島の可能性も有るが、怖いので深く考えないようにしている。無人島どころか無人惑星だったとしても否定しきれないからだ。
昨日の留守電で俺の中のリュブリブス評価は絶賛低下中。
ともかく行動。ここでずっと独り無人島生活なんて......いや考えるな。
今日は潮が引いている内に砂浜側を移動する。向かう方向は昨日の岩場とは真逆になる。
日除けに背広を頭にかけてこめかみの辺りをネクタイで縛る。ズボンは履いたままだ。
きっと遠目ではアラブの正装『クトゥラ』に見えるんじゃないかな。無理があるか......。
手には枝を払っただけの低木の棒っ切れ。それを杖にしながらじゃぼじゃぼと浅瀬を歩く。
貝や魚を鑑定しながら進むが、捕る気は無い。
魚は棒一本でなんとかなるわけでもないし、貝は調理手段が思い付かない。
サザエでも見つからんかと期待してるんだが、サザエって砂地にもいるんだろうか。
そんな事を考えながら進むと、足元をカラフルな魚が通りすぎる。クマノミか?
(【鑑定】)
【サイトー】 人間族。身体能力は高いが臆病者。
えっと......まあ何が起こったかは想像つく。パネルは海中、俺の膝辺りに沈んでいる。
水の中でもはっきりと読める。読めるんだが。【サイトー】って何だよ俺は彩人だよ。あと臆病者は悪口だろう?悪意を感じる。
あらためて手のひらを見ながら【鑑定】を使うと、同じパネルが表示された。
身体能力に関しては、薄々感じている事も有った。
昨日は早足に砂浜を長時間歩いてもバテる事が無かったし、今も既に半日近く水に足を取られながら歩いているが、疲れは感じていない。
万年運動不足の俺ではあり得ないことだ。
それにこの天候下で、喉もほとんど乾かないのも異常だ。
リュブリブスが言っていた『ささやかなお礼』ってのが身体能力なのだろうか?
例えそうだとしても、この境遇にぶち込んだリュブリブスの評価を上げる気にはならなかった。
歩いている内に、想定外の獲物が手に入った。獲物を【鑑定】すると。
【真蛸】頭足類。足の先端部に毒を持つ。肉は食用。大型の者は魔石を有す。
「毒?!この世界の蛸毒有るのかよ!」
ビックリして思わず声を上げる。止めは杖代わりの枝を突き刺したのだが最初は手掴みの格闘戦だった。俺は慌てて、どこか毒にやられてないかと身体をまさぐるが、幸いそれっぽい感触はない。
とはいえ毒体験など、牡蠣に中ったのとアシナガバチにさされた程度で、蛸の毒の参考にはならないだろう。
杖に刺さったままの蛸は取り合えずそのままにしておく。毒が怖いのも確かだけど、あのぐにゃぐにゃは単純に気持ちが悪い。
まあ、調理したのは普通に好きなんだけどね。
どんどん進んで行くと、先の海岸線は砂浜が終わり崖ががそり立っているのが見え始める。たぶん遠浅の海もここまでだろう。
俺は海を歩くのを諦め、浜に向かった。浜と崖が近付くにつれ妙なものが見えてくる。
一番似たものを言うなら大きな櫓か。
明らかな人工物に俺は安堵の息を漏らした。取り合えず無人惑星漂流記は避けられそうだ。
櫓は崖の陰になる位置に建てられていた。崖を風避けにしているのだろう。
近付くにつれ構造も分かる。建屋は二階建てで、一階部分の壁は全て取り払われ太い柱だけがむき出しになっている。
何本かの柱には梯子が固定されており、二階部分に上がることが出来る様になっているみたいだ。
崖側の柱には大きな甕が置かれているが、これは何かわからない。
これは舟屋だ。テレビで見たことがある日本家屋風のそれじゃないけど、構成はほぼ同じ。
一階部分に船の係留、二階は生活空間。船はないが柱には繋索の跡らしいのも有った。
俺ははやる心を押さえながら梯子に向かうが、無論一般常識は忘れちゃいない。
「【言語理解】こんにちはー誰か居ますかー」
どんな効果が有るか解らないが、【言語理解】のスキルを唱えてから挨拶をする。
せっかくのファーストコンタクトを、つまらないことで台無しにしたくはないんだ。
しかしいくら待てども返事はない。その後も何度か呼び掛けるがなしのつぶて。
まあ考えるまでもなく、舟屋に船が無い時点で無人の可能性は高かったし、この舟屋は一軒だけで、ほとんど生活感を感じない。
たぶんここは漁師小屋。漁師が使う中継基地のような物だと見当を付ける。
辺りを見回して他の建物が見当たらないことも、その裏付けになった。
「おじゃましまーす」
返事の無い挨拶をしてから梯子を昇る。無人だったのはガッカリだが、屋根がある場所に入っただけで、なんだか大きな安心を手にいれた気になる。
幸い昨日今日は天候に恵まれたが、この場所の季節感は間違いなく夏だ。
スコール、夕立、雨期。最後はなんだか違う気もするが、まあ雨が降るのも時間の問題だったはずだ。
木窓を開放して明かりを入れると舟屋の二階は思ったより小綺麗だった。雑然としてはいるがほとんどの物は壁際に揃えられ、中央には大きな陶製の器がある。
器には灰が詰まっていることからすると、火鉢か囲炉裏の類いなのだろう。
少し期待して灰に手をあてるが、ひんやりとした手応えしか返さなかった。
残念ながら、昨日今日に舟屋の利用者がいた形跡は無かったが、希望は充分にあった。二階に置かれた漁師道具。古いものも有ったが、銛の切っ先は磨かれ錆は浮いていない。網に付着した海草も、乾燥はしていたがそこまで古いものではなさそうだった。
日が暮れる前に俺は火鉢の炭に火を付ける。勝手に炭を使うのは心苦しかったが、二階で別に見つけた五徳と鍋を使うには、選択肢が無かった。
火がつくと五徳に水を張った鍋をかける。
水は一階の甕に入っていた。屋根伝いに雨水を集めてあったのだ。
ボウフラは湧いてない様だったが、真水のまま飲む気にはなれない。飲み物は当分椰子の実に依存することになる。
水が沸騰するまでに蛸の処理をする。もちろん俺は蛸はおろか、魚すら捌いたことなどない。
二階に有ったまな板に蛸を乗せ、勝手に借りた包丁を握る。
とりあえずおっかないヘッド部部分を切り落とす。食料を無駄にするのは忍びないが『枝が突き刺さってぐちゃぐちゃになってるし......』と誰かに言い訳をして、捨てる事にする。
毒があるという足の先も切り落とすと、見慣れた蛸になった気がする。
滑りが気になったので、蛸のあらを捨てに行くついでに海水で洗った。
蛸をぶつ切りにして鍋に入れる。
ひとつ思い付いて【鑑定】を使う。目線の先には、壁に吊られた網。
【乾燥ワカメ】 昆布目の海草。食用可。
ワカメは、適当に引きちぎって放り込んだ。
蛸の足の何本かは昨日の焼蟹に習って串焼きにした。
一階で椰子の実を剥いていると、日が完全に暮れた。時間は18:30。あとは明日の日の出が分かれば、一日のおおよその時間が分かるはずだ。
椰子の実を二階に持って上がり、夕食にする。
夕食のメニューは蛸の串焼き、蛸とワカメのスープ、デザートに椰子の実セット。
スープを部屋にあった適当な器に掬った。枝を箸にして食べる。
正直大味だ。蛸とワカメの風味があって上品と言える味なのかもしれないが、俺にとってはパンチが足りない。というか単純に塩味が足りない。
串焼きは逆に非常に美味かった。スープをやめて全部串焼きにすれば良かったと後悔。焼いたらヘッド部位も食べれたかなぁと更に後悔。
椰子の実のジュースを飲んで、ごちそうさまでした。
時計をみれば朝7時を回っている。完全な寝坊だ。屋根が有るというだけで、緊張の糸が切れたからかもしれない。
窓の外は相変わらず抜ける青空。今日も暑い一日になりそうだった。が、現実逃避もここまで。
「おめえ誰に断って、ここ使ってんだ?」
荒っぽいモーニングコールで俺を起こしたのは、ヒゲ達磨を筆頭に強面揃いだった。
リュブリブスとは傾向の違う褐色のヒゲ達磨が詰め寄ってくる。
頼みもしないのに、新しい緊張の糸が張られました。
無事ファーストコンタクトは失敗に終わりそうだ。
リュブリブス許さん。
地球の真蛸にも毒は有ります。