1:サイトーさんとマリンブルー
よろしくお願いします。
じんわりと身体の感覚が戻ってくる。顔がほのかに暖かいのは、日光が当たってるのだろう。手の甲を首筋を柔らかな風が撫でて行く。
潮の香り。好き嫌いがあると聞くが、俺は嫌いじゃない。
ゆっくりと目を開ける。強い日差しに一度目をぎゅっと閉じるが、もう一度まぶたを持ち上げて行く。
光に慣れたのか、今度は光景に焦点が合わさっていった。
海。映像でしか見たことがないマリンブルー。
色々考えることがある。考えなけりゃいけないことがある。
だけど唐突なリゾート出現に俺の心はキャパオーバーで壊れてしまったみたいだ。
『もうどうにでもなれ』の心境だ。俺は我慢出来ずに駆け出した。
「おーーーっ!海だぁーーー!」
さっきまでの気分が嘘のように、一気にテンションMAXまで跳ね上がる。
真っ白な砂浜までたどり着くと、途端に足元がおぼつかなくなる。足が沈み、砂が巻き上がる。
(この感覚も久しぶりだな!海なんて何年ぶりだよ)
仕事で海沿いの町に行くことは有ったが、大抵はとんぼ返りだった。ましてやこの透明感ある海には、ボーナスをはたいてしか行けないだろう。
波は穏やか。俺は靴を脱ぎ、脱いだ靴下を靴に押し込むと裾をまくった。
そしてはたと冷静さを取り戻す。
「なんで俺同じ格好なんだ?」
裾を見れば見慣れている草臥れた生地。背広も着たままで、ネクタイはきれいに巻き取ってポケットにある。
リュブリブスは転生だと。生まれ変わりだと言っていた。言葉からして、てっきり赤ん坊になるんだと思ってたが、どうやら違ったらしい。
「結局夢の類いだったか......」
そう思ってはみるが、ならばこの海は何か。夢の続きなのかそれともーーー。
漠然とした不安感がテンションを削り始めた時、棒立ちだった足に波が被る。
「おわっ、冷めてぇ!」
慌てて波から離れる。冷静に考えれば水に入るつもりで準備したのだから、慌てなくても良かったのだけど、慌てるってのはそういうもんだ。
「あじっ!」
今度は足裏を熱砂に焼かれ、再び波打ち際に戻る。ばしゃばしゃと海に入るとようやく人心地ついた。
そして改めて水面を覗きこむ。水面に写るのはアラサー男の顔だ。『飄々としている』というのは、上司の人相評だったが、今写っているのは悩み多き男だった。そして男の眉が跳ね上がる。
「転生かなにかわかんないけど、異世界に来たのは本当らしいな」
水面に映る、うだつの上がらない男の顔の横には丸い影が二つ。
空を仰いでみれば、天頂には真っ青な月が二つ浮かんでいた。