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第三章③六腕のアンドロイド

 流れるような絹のような黒髪、雪のように白い肌、少したれ目がちな大きな黒い瞳、そして中学生のようにあどけない顔。

 言葉で表現してしまえばそれだけだが、それゆえにまさしく正統派の美少女。奇など下手に衒わず、すべてが圧倒的に王道である者こそがまさしく王者なのである。

 ならば、王道の中の王道であり、王者の中の王者である私は?

 そうだ、カオル・タチバナは己が世界一の美少女だと信じて疑わなかった。

 つい半年前までは。

 そう、半年前――彼女が今の高校に入学した理由は、カナエ・リヴァーサスという美少女の噂を聞いていたからだった。

『いかに美少女と言っても、私のほうが可愛いことを証明してやる』

 そんな理由で、もっと高いレベルの学校を蹴って。

 そして結果は、散々たるものだった。

 ひと目見たときに感じたのは、夢のような感覚。

 こんなに美しい少女が現実にいるはずがない、夢に決まっている。

 ふた目見たときに感じたのは、途方もない嫉妬。

 どうして世界一であるはずの私より遥かに美しい存在がいるのだ、おかしいだろう。

 みつ目見たときに感じたのは、例えようのない胸の高鳴りだった。

 彼女はその“例えようのない胸の高鳴り”を半年かけて恋であると看破し、ためらいなく告白し、容赦なく振られた。

 しかしそれでもカオルは余裕を崩さず、

『世界一の美少女であるカナエ先輩と結ばれるのは、世界で二番目に美少女である私に決まっているのだから、そう焦ることはない』

 そんなふうに信じていた。

 ほんの少し前までは。

 謎の光が晴れ、カオルは街角のカーブミラーに、とある化物を見た。

 それは紛れもなく鈍色の化物であり、ミヤコはこちらを睨みつけて叫んだのだ。

『――カオルを返せ、化物っ!』

 心の底からの憎悪と恐怖と軽蔑が混ざった、生まれて初めて味わう視線。それを前にカオルはその場にいることもできず、気がつけば逃げていた。

《……ここは》

 そうして知らぬ間に人気のない河川敷の橋の下に彼女はいた。

 きっと、人の視線を恐れ、誰もいないところを無意識的に探し求めて、ここにたどりついてしまったのだろう。

 視界の隅に、石柱に立て掛けられる廃棄されたボロボロのクッションや錆びた自転車が映る。

(……まるで、今の私みたいだ)

 そう、故障で存在価値を失い捨てられた彼らは、今の美少女でなくなった己にひどくだぶって見えた。このまま、私もここで朽ちていくだけなのだろうか。

(それは、それだけは嫌だ)

 そう思い粗大ごみたちから目をそらすと、河川敷に接する川が見えた。つい最近の大雨で増水したのか、その水位は高い。

 その水面には、やはり黒髪の美少女はおらず、醜い鈍色がいるだけ。

 こんな姿では、カナエ・リヴァーサスには相応しくないどころか、きっと激しく拒絶される。

《……そうだ、だったらここで》

 死んでしまえばいい――彼女はそう思い、そのまま川に向かって歩みを始める。

 廃棄された粗大ごみたちには出来ず、自分には出来ること。

 それは、自ら命を絶つことくらいしか思いつかなかった。

(こんな見た目で生きていくくらいなら、死んだほうがマシ)

 そんな想いとともに、少女はその身を深く水に沈めていく。

《――がっ、ごぼああああっ》

 しかしそれは、想像以上の苦痛を伴う。

 醜い化物でありながらも身体は酸素を求め、身体から無意識に生えた触手たちがばたばたともがく。

 そうだ、心はともかく、身体は死を望まず、生を希求する。

 そんな望みに反するように、どうやってか身体に入ってくる水たちはひどいドブの臭いを伴ってまとわりつき、不定形の身体の自由を奪っていく。

 もがけばもがくほど体力を消費し、徐々にその動きはのろのろと、身体は沈んでいく。

 しかしそれでも、彼女の身体は死にたくないとひたすらに藻掻き、

「――死なせないっ!」

 とある少女がその触手を掴んだのを、カオルは確かに感じた。

 それは、翡翠の瞳の、人形めいて白い肌の、ひどく神秘的で超然的な、カナエ・リヴァーサスと並ぶほどの美少女だった。


『――、キミは、キミたちシータ・ロイドは人類を守護し、その敵を討滅するために生み出されたんだ』

 東の空を貫く光の柱。

 ヒスイがそれを目撃したとき、背中に電流が走るようにとある光景が浮き上がった。

 それは、白衣に身を包んだ、何故だかひどく懐かしい、白髪交じりの初老の男性。

 彼は研究室のような場所で、にっこりと微笑みこう続けた。

『そして、その中でもキミたち第三世代だけに与えられた、特別な能力があるんだ――』

 そこで唐突に映像にノイズが走り、その光景は、その記憶は途切れてしまう。

 そしてヒスイは新たな能力を手に入れた――否、思い出した。

『――この“機能”は!』

 脳裏の切り取られた一角に、アラームが鳴り響き、街を模した立体モデルが俯瞰した形に現れる。人や車などの動くものはすべて廃された、しかしひどく精巧なもの。

【T・A――南東に二m】

【T・B――北東に五〇三二m】

 そこに表示される、強く点灯する赤い点。

 一つは、すぐ隣り。もう一つはかなりの距離――ちょうど、つい先ほどまで光の柱が現れていた場所に。

(――これは、この機能は、スライムを感知する特殊なレイダー)

 あの初老の男性が告げた“特別な能力”、それはきっとこれだ。

 そうでなければ、かつてのヒスイがおそらくはたった一人でアンヴァーたちに対抗していたであろうことに説明がつかない。

『リヴァーサスはそこにいて、私だけでなんとかする!』

 ならば、彼が言う“人類を守護し、その敵を討滅するために生まれた”というのはどういうことなのか、それはあまりに明白だ。

『――きっとそれが、私の忘れてしまった使命!』

 そうだ、このチカラを使って、異形と化してしまった無辜の人々を見つけだし、そして守護し、それに仇なす敵を討滅する――それが私の使命なのだと、ヒスイは駆け、そして泳いだ。

「……大丈夫、私はあなたの敵じゃない」

 そして今、ヒスイは鈍色の不定形――カオルの前に立っている。水をポタポタと全身から垂らし、しかしそれでも涼しい顔で、超然的に。

 不幸中の幸い、忌々しい敵は未だ彼女を見つけておらず、溺死しかけている彼女を助けることも出来た。

 ヒスイは敵意がないことをアピールするために、無理やり引きつった笑顔を作って、手袋に包まれた左手を彼女に向ける。

《……敵、じゃない?》

 ぜえぜえと息を整えてから、カオルが消え入りそうなノイズ音を漏らす。

 その姿はひどく哀しげで、まるで雨に濡れる捨てられた子犬のよう。

 たとえ実際はうねうねとうごめく鈍色の醜い異形であろうとも、ヒスイの目にはそう映った。

「そう、敵じゃない」

《……私みたいな、化物でも?》

「いいえ、あなたは化物じゃない。誰がなんと言っても、正真正銘の人間。私と違って」

《――!?》

 言葉とともに、口で左手の手袋を外し、その目の前に金属質の手のひらをさらした。

 弱みをさらさずして、誰が心をひらいてくれるというのか――そんな考えのもとに、なんのためらいもなく。

 さらに、それを見て面食らった様子の彼女に、ヒスイはこう言い切った。

「大丈夫、これはあなたを守るためにあって、あなたを傷つけるためにあるわけじゃない」

《………》

 その言葉を契機に、カオルの身体からにゅるりと触手が生え、ヒスイの手に伸ばされては引っ込みを続ける。おっかなびっくり。

 そんな彼女に対し、ヒスイはトドメの一言を放つ。

「――たとえ他のすべてがあなたを恐れ忌み嫌ったとしても、私だけは味方で居続ける」

 初対面の相手に言うこととはとても思えない、しかし冗談や酔狂など欠片も混じっていない、本気の一言。その言葉とともに、カオルの触手とヒスイの手はついに触れるかに見えたが――

「……茶番はよせ、ジャンク」

「――ッ!」《―――!?》

 その直前、冷たい声といくつもの風を切る音が響いた。

 

 カナエ・リヴァーサスはヒスイを追っていた。

 厳密には同族――スライムが放つ、なんとも言えないぞわぞわした感覚を。

 まるで引き寄せられるように、それがどこにいるのか、あるいは移動しているのかが、手に取るようにわかるのだ。

 己の身体をゴム毬のように跳ねさせて、かなりの速度で街を駆ける。

(確かに言い過ぎたけど、いくらなんでも来なくていいはひどくないっ!?)

 言っては何だが、武器もなければ記憶もなく、挙句の果てには右手さえないヒスイがアンヴァーや単眼どもと戦って勝てる可能性などあるのか。

 本人だってそんなこと重々承知で、だからあんなことを提案していたんじゃないのか。

(ていうかわたしだってもっと真剣に取り組めばよかったわ! そうしたらこうはならなかったかも知れないし!)

 あるいは、何らかの秘策が本当はあって、いくらやっても成果を出さない自分を見限っただけかも知れない。

(ああ、それはそれでムカつくわ!)

《だったら見せてあげるわよ、わたしの力ってやつを!》

 そんなことを叫び、カナエは目的地目前の河川敷までたどり着く。

 あと一瞬で哀れな被害者のもとへ行ける、そう思ったとき、

「――カオルを、カナエを返せ!」

 そんな叫びとともに、身体に石が直撃した。


 人気のない河川敷の橋の下、時折上を車が通る音だけが聞こえる空間。

 つい先程までヒスイたちがいた砂利が敷き詰められた地面には、黒鉄のナイフがいくつも突き刺さっていた。

「自分が何を守っているかも忘れた哀れなジャンク。その割にはずいぶんと動きがいいな」

 数m先――その攻撃の主は、赤く巨大な単眼でヒスイを睨みつけ、低い声であざ笑うようにのたまう。

 彼女たちを遥かに見下ろす身体に闇に溶けそうなほどに黒いマントをまとった、細長い針金のような赤いボディのアンドロイド――ガーベラだった。

「ジャンク? 鏡でもそこにあるの?」

 迫る刃たちをカオルを抱きながら回避したヒスイは彼女を傍らに、ただ憮然と言い返す。

「――ここでおとなしくしてて」

 次いで、カオルに囁くように言い残すと、ヒスイは駆けた。空っぽの右袖が宙を切る。

 目指すはガーベラではなく、先程まで彼女たちがいた場所、より具体的に言うならば突き刺さったナイフの群れ。

 そうだ、今のヒスイに欠けているものは記憶であり右腕であり一部の皮膚であるが、それ以上に早急に必要なのは目の前の単眼を打倒せしめる武器。

「しかしジャンク。おまえが武器も再生できないのは想定範囲だ」

 前傾姿勢で疾走、流れるように刃を拾おうとするヒスイ、そこにガーベラがナイフを片手にマントを翻して襲いかかる。

「その割には、遅いようでっ!」

 頭上に振り下ろされたナイフはしかし、己がまいた種であるナイフにて弾かれた。

 そうだ、その動きは以前対峙したアンヴァーとは比べ物にならないほどに遅い。

 否、彼女が速すぎたと言うべきか。

「これでっ……!」

 ゆえにヒスイはそのまま跳ぶようにナイフを赤い単眼に向かって放つ。

 しかしその刃は、

「シータ・ロイドの基本さえも忘却したか」

 ガーベラの目の前で青の粒子に還元された。

(これはっ……!)

 唐突、突如、ヒスイは敵の目の前で徒手空拳に追い込まれる。

 今さらに悟った。すべては罠だったのだと。

 こちらが武器を生成できないと予測し、その上で己の武器をばらまく。

 そこには本来デメリットしかなく、手に入れられるメリットが居場所の誘導だけならば、そのような危険な橋は渡らない。少なくともヒスイなら。

 ならば、その武器には明確で致命的な罠がなければおかしいのだ。

「――これで終わりだ、ジャンク品」

 黒いマントが取り払われ、ガーベラの異形の身体が晒される。

 それは、阿修羅のごとき姿。

 左右の二本に加え、背には二対の腕――合計六つの腕。

 ナイフを同時に投げつけた文字通りの手腕。

 かの間合いの過度に内側、背中の四本、四つのナイフが無防備な背中に向かって、包み込むように、抱擁するように襲いかかる。

 以前、似たような目にあったことがあった。

 退くことも出来ず、進むこともできない。

 短い記憶、昨日のこと。

 しかしかつて程敵は強大ではなく、動きは鈍い。

 ならば、こんなことは、こんなものは試練でさえない。

 ゆえにヒスイはそのまま真っすぐ疾走して、ナイフを失った左拳を叩きつけた。


『――カオルを、カナエを返せ!』

 あと少しで己と同じ哀れな被害者のところへたどり着ける、人気のない河川敷にて、しかしカナエは動けなかった。

 その鈍色の身体は容赦なく浴びせかけられる投石を前に、ぴくりともせず。

「返せよっ! かわいいから攫っただけなんでしょう!」

 身体的な痛みではなく、精神的な痛みを前に。

 投石の主は、眠そうな瞳と小学生みたいなあどけない見た目がチャームポイントの少女。

《………》

 よりにもよって、カナエ・リヴァーサスはミヤコ・ナイキバラに出会ってしまっていた。

「二人は生きてるって、言ってよ!」

 震える小さな手からひときわ強い石が放たれ、心がひび割れそうになる。

 何も言えない。言ったところで、ノイズが響くだけ。

 自分に出来るのは、ただ投石を甘んじて受けることだけ。

 いや、それさえも出来ていると言うのはおこがましい。

 何も出来ないから、投石を受けているのだ。

(……こんなことしている場合じゃ、ない)

 わかっているが、身体も心も、動かない。まるで今朝、家に入れなかったときのように。

「返せっ、返せっ、返せっ!!」

 叫ぶ少女の顔が直視できない。

 それでも、怒りに震える声が、荒々しい投石が、否が応でも表情を想像させる。

(いやだ、そんなのを直視してしまったら、もう二度と立ち直れない)

「カナエは、馬鹿みたいにナルシストだけど、だけど本当はいい子で! カオルは、よく知らないけどカナエを探すのを手伝ってくれるいい子で! だから、だからっ……!」

 投げる石が足元からなくなると、ミヤコはふらふらとこちらに向かって歩む。

「だから、カナエを、カオルを返せっ!」

《……ッ!》

 そしてミヤコはしなだれかかるような弱々しさで、カナエに掴みかかった。

 ついにカナエはミヤコの表情を見てしまう。

「返してよぉッ!」

 それは、涙だった。いつもの眠そうな瞳を目一杯開き、涙がボロボロと溢れて、鈍色の身体に落ちる。

 知り合ってから一年と半年、彼女が泣くところを、カナエは初めて見た。

(……何よ、これ。想像以上に、辛いじゃない)

 心が粉々に砕け散りそうだ。

 己がミヤコにそんな表情をさせてしまっていることが、何よりも辛い。

 それこそ、怒りと恐怖と軽蔑を帯びた、こんなにも辛い視線をぶつけられることよりも。

「……ううううっ、うわあああああん!」

 そのまま、ミヤコの嗚咽と、ぽかぽかと不定形を叩く音だけが、河川敷に響いた。

 

「――っ!」

 ヒスイの拳は確かにガーベラの顔を殴りつけた。

 しかし、その痩身は微かにも揺るがず、そのかわりに殴りつけた拳が言うことを聞かずにショートする。

 そう、ヒスイの渾身の一撃は、ただ状況を悪化させるだけにとどまった。

「やはりジャンクだな」

 そのまま、避けることも、防御することも叶わずに、抱擁するように回り込んだガーベラの四つのナイフたちが、ヒスイの背中に突き刺された。

「基本どころか基本中の基本さえも忘れているとは」

 言葉とともに、背中の腕たちが突き刺さったままのナイフを持ち上げて、少女の身体は軽々と宙に浮く。

 その床には青い人工血液の血溜まりが生まれ、もはやもがく体力もないのかヒスイはピクリともしない。

「教えてやろう、ジャンク。我々、シータ・ロイドの基本中の基本。弱点はこの首輪――エンゲージリング、ひいてはそこに埋め込まれた青い石だ」

 そう言って、右手のナイフがヒスイのエンゲージリングにあてがわれる。

「――っ!」

 表面すれすれを掠っていっただけなのに、例えようもない不快感がヒスイを襲った。

 腕を切り落とされたときも、皮膚が焼けただれたときも、背中を穿たれたときも決して感じなかった、命の危機へのシグナル。

(……これは、これだけは、本当に駄目だ)

「つまり貴様はあのとき顔ではなく、ここを殴りつけていたら、まだ勝負はわからなかったということだ」

 ガーベラはそのまま一度ナイフを離して、

「――まあ、もう二度と役に立たない知識だがな」

 エンゲージリングに向かって振りかぶった。

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