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第一章②翡翠の瞳の少女

 雨は依然として強く強く降り続いていた。

 月は雲に遮られ、数少ない光源たる街灯から逃げるように、依然として醜いスライムのままのカナエは公園の雑木林の中に無気力に背中を預けている。

 どうやってここにまでたどり着いたかも覚えていないし、そもそもこの公園がどこかもわからないし、今が何時かもわからない。

 何も考えたくなかった。何を考えても現状が最悪だと再確認するだけだ、何も考えずにいたほうが遥かにマシだろう。

 馬鹿の考え休むに似たりだというが、ならばスライムの考えは逆方向のエスカレーターに向かって全力疾走するのに等しい。

 いっそ死んでしまおうか――考えなくてもそんなことだけは思い浮かぶ。今の身体でどうすれば死ねるかはわからないが、今の身体で生きていても仕方がないことだ。

 カナエ・リヴァーサスは美少女ゆえに価値があり、見た目が醜くなってしまえば無価値を通り越してマイナス、肥大化した自我だけが残るだけではないか。

 何よりも、美少女でない自分をカナエは、その肥大化した自我は許せない。

《……死んだら姉さんにも――》

 突然、独り言がキャンセルされる。

 それはあまりに唐突に、しかし濃密な殺意を持ってして襲いかかってきた。

 それは鞭のように長細くしなり、五つの鋭い爪をたたえた凶手。

 それ以外の何もわからないが、しかしそれだけで十分。

 カナエにとっての脅威であることさえわかれば、他の全ては何の問題でもない。

《―――!!》

 ゆえに彼女はつい先程まで死を望んでいたとは思えない反射速度にて、跳躍するように逃走を開始していた。

 次の瞬間、つい先程まで身体を預けていた木が粉々に砕ける音を聞く。さながら雷が炸裂したかのような轟音。

 それを背に、振り返りもせずに一心不乱に駆ける。

(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!)

 その身体を動かす原動力は恐怖であるが、しかしそれは木々を一突きで破壊せしめる攻撃力に対してのものではなく、その異常な殺意だった。

 たとえ相手が小さくか細い幼女であろうとも、この世のすべての悪意を煮詰めたかのような殺意をぶつけられれば、カナエはきっと同じように逃げただろう。

 電車内で浴びせかけられた視線を何千倍にもして濃縮したかのようなそれは、否が応でも死を意識させ、ゆえにカナエはひたすらに駆けた。

 ときにはボールのように、ときにはバネのように、脇目もふらず、振り返りもせず。

 

《……はぁ、はぁ、やっと、振り切ったか》

 気がつけば、カナエはどことも知れない路地にいた。

 人が三人並んで歩くのがやっとくらいの小汚い路地。周りにはシャッターが降りた店が軒を連ね、数少ない光源は時折ばちばちと頼りなく閃く街灯と自販機くらい。

 ついさっきまではあんなにも己を照らす光源を恐れていたのに、今ではそんな彼らがたまらなく愛おしい。

《……それにしても、身体が熱いなあ》

 一体どれほどの速度を出したというのか、あまりの熱さに打ち付ける雨は身体に触れた瞬間蒸発し、全身から蒸気がもうもうと立っている。

《ああ、やっぱりどう考えても今のわたしは……》

 そのまま落ち込むようにうずくまると、

《――ッ!!》

 水たまりに化け物を見た。無論、自分ではない化物を。

 見上げればそこには、一体の異形。

 雨に濡れて光沢を放つ、針金じみて細長い、マネキンのような無機質な体躯。

 中でもアンバランスに長い両腕の五指にたたえられた、凶悪に鋭い鈍色の爪。

 頭部にはその前面ほとんどを埋め尽くすほどの灰色の単眼――よく見るといくつもの複眼が一つの瞳を形どっている。

 スライムたるカナエに言えた義理はないが、異常な見てくれだった。

 乏しい光源の中でその灰の瞳はひときわ妖しく光り、公園で見せた殺意を少しも鈍らせずにこちらを睨みつけている。

 しかしてカナエの身体はもはやピクリとも動かず、蒸気を放つだけ。

「………」

 一切の無言。化物の鋭利な爪が振りかぶられるのが、やけに遅く見えた。

 そうだ、これは走馬灯だ。

 粘性を帯びた時間感覚の中で、

(どうせこんな見た目で生きていても仕方がないのに? どうせならここで殺されたほうがいいんじゃない? そのほうが、きっと楽だ)

 カナエの冷静な部分が囁き、嘲る。

(……それでも、だからこそっ!)

 その嘲りに、ただ反発する一つの感情があった。

(――わたしはこんな醜い姿で死にたくないっ!)

 そうだ、こんな醜い姿で死んでたまるか。

 同時、鋭い爪が醜い鈍色の身体に侵入する寸前、

「――!」

 化物は凄まじい速度で後ろに飛び退いた。

《……なによ、この子》

 そしてそのかわりに、つい先程まで化物がいた場所には一人の少女が泰然自若に。

「させない」

 確固たる意志を感じさせる、凛とした声。さながら天使のごとく、ひどく超然とした雰囲気をまといながら。

 その首元の青い宝石が輝くと、右手の黒い腕輪が青の粒子を放ち、姿を変える。

 そうして現れたのは、分厚く長い黒鉄の刃。ライフルの砲身を剣に置き換えたような独特の武装――ガンブレード。

 しかし細い手足と小さな体躯はまさしく少女のものであり、目の前の化物に対するにはあまりに心もとない。

(待って、もしかしてこの子って――)

 だが、それ以上に強烈な感覚――既視感を少女の後ろ姿にカナエは覚えた。

「私は”人間”を守るのが使命だから」

 ちらりとこちらを一瞥して、少女は言い切る。

 どう見ても化物にしか見えないスライムを、何の迷いもなくだ。

《……え?》

 しかし、カナエの頭の中は、そのことへの喜びなどというものは微塵もなく、代わりにあるかどうかもわからない脳みそに収容できないほどの疑問符の洪水に満たされていた。

 わずかに一瞬見えた姿。

 季節外れの夏服仕様のブレザーと、それにひどく似合わない黒い装飾品たち。

 雨に濡れてひどく扇情的に映る、黒髪ポニーテイル。

 死体のように白い肌と、人形めいて整った顔。

 しかしてその翠の双眸は虚ろではなく、明確な意志が宿っている。

 何よりも目を奪うのは、チョーカーに埋め込まれた宝石のまばゆい青の閃き。

 そう、カナエ・リヴァーサスをすんでのところで助けたのは。

 夕方の通学路で出会った、幽霊のような、幻のような、人形のような少女だった。

(わけわかんないわけわかんないわけわかんないわけわかんないわけわかんないわけわかんないわけわかんないわけわかんない!!)

 わけがわからなかった。

 あの忌々しい光を見てから、何一つわけがわかることなどなかった。


「――ぎいいいいいっ!!」

 単眼に今まで見せていた殺意とは別種の怒りの炎が灯り、そのまま少女に向かって疾駆。一歩踏み込むごとに凄まじい水しぶきが上がり、まるで地震が起きているかのように周囲を揺るがした。さながら巨象の疾走。

「………」

 一方、少女はその場を一歩も動かずに、悠然と立ち尽くす。

 その体格差は圧倒的であり、このままいけばその華奢な身体はトラックに轢かれたかのように柘榴のごとく弾け飛び、雨に洗い流されることはカナエにも容易に想像できた。

 僅かな刹那、間合いまで達した巨人の長細い左腕が鞭のようにしなって迫り、

《――!》

 カナエは反射的に目を瞑った。

 しかし想像していたような何かが潰れる音や砕ける音は皆無。

「………」

 聞こえるのは、かすかな低いうめき声と、それをかき消そうとする雨音だけ。

《何、これ》

 目を見開くと、化物と少女が背中合わせに距離を取っていた。

 場所は入れ替わり、目の前には恐ろしげな単眼。しかし身体をわずかに震わせうずくまるだけで、こちらを見るような余裕さえもない。

「……遅い」

 少女が振り返った。

 一切の無傷。一切呼気に乱れはなく、一切平常通り。

「――!」

 同時、ぼとり、その右前腕が地面に落ちる。断面は鋭く、雨に濡れて火花を散らす配線が伺えた。

「これで、トドメ」

 少女が刃を構え一歩踏み出すよりも一瞬早く、

「ぎいいいいいああああああっ!!」

 耳を聾する絶叫。単眼がひときわ強く閃く。静から動へ。唐突に巨体が動いた。

 意識の空白、少女のあまりの頼もしさが産んだ油断が、反射的に目を瞑ることさえも許さない。

 同時、カナエの意識の空白が埋まるよりも速く、先ほど斬り落とされた右前腕が青の粒子に分解されるのをスライムの眼球が捉える。

「――がっ!」

 カナエが認識したのは、目の前に現れた”それ”に触れた左手が勢いよく弾かれる光景だった。

《まさかこれって……》

 カナエの視界は薄青に染まっている。

《――バリア!?》

 そうだ、バリアだ。

 こちらを見下ろす半透明の青い壁が、カナエを凶手から救ったのである。

 しかしてその一撃で壁全体にヒビが入り、次の一撃で砕け散ることは容易く予想できる。

「――させない」

 しかし二撃目が放たれるよりも早く、少女はいつの間にか高速移動し、たたらを踏む無防備な脇腹に回し蹴りを放った。

《ひいいっ》

 爆音とともに、攻撃の余波で目の前のバリアが叩き割れ、思わず間抜けな声を上げてしまう。

 青の粒子が粉々に散っていくのが晴れると、そこには予想通りと言えば予想通りだが、やはり異様な光景が広がっていた。

 尋常ならば彼女の細い足が逆に折れるような体格差でありながら、その巨体は吹き飛び、シャッターをひしゃげ貫いて背後の店に突っ込んでいる。まるでチャチなアクション映画のよう。

「………」「………」

 ほうほうの体で立ち上がった化物の灰の単眼と、少女の翠の瞳が交差する。

 化物の瞳に浮かび上がる憎悪にも似た闘志は、ここまで圧倒されているにも関わらず減衰するどころかなおも強まり、しかし少女は全くひるむことなく睨み返していた。

《…………》

 雨音だけが響く静寂なる戦場、数秒を何十時間にも感じとらせる切迫した空気。とっくに冷却を終えたはずのスライムの身体はあまりの圧力にピクリとも動けずにいた。

「――ッ!」

 そんな緊迫しきった空気がついに動く。宝石がひときわ強く光り閃き、少女が先手を打った。

 ヒョウのようにしなやかな疾走。首元の宝石が青の光条を引く。

 化物の巨象の如き疾走とは対称的なそれは、無駄な力を一切廃して水たまりを踏む音さえも聞こえない、一切の無音。

「………」

 しかしてその場から化物は動かず、まるで何かを待っているかのように悠然、だらりと背を丸めて立っている。

 先ほどとは真逆の構図。

 速度において圧倒的に劣るかの敵がこの戦術を取ることへのメリットは一見皆無。

 しかしこの状況でそのような愚策をとる蒙昧などどこにもおらず、

「――!」

 その左腕が突如として伸びた。

 化物は一歩も動いていないというのに、その腕は一気に間合いに達する。

 カウンター。凄まじい速度。単眼の全力疾走はおろか、少女よりも速い。

 蛇腹状に伸びた腕が、鋭い五指をたたえて細い首筋に迫る。

 しかして少女は避ける素振りさえも見せずに加速。自殺のごとく。

(なんで避けないの!? いや、そうか――)

 極限状態。思考だけが極端に加速した中で、カナエは悟った。

 この攻撃を避けてしまえば、カナエに攻撃が当たる。そして少女はカナエを犠牲にする気などさらさらにない。そしてこの化物は己さえも犠牲にしてカナエか少女のどちらかを仕留めようとしている。

 ならばこの少女はどうするのだ、避けることができないならば――

「そのまま斬ればいい――アクセル」

 突如、その双眸がまばゆく翠に閃く。そして次の瞬間、

《――!》

 闇の中を今までとは別次元の速度――その身に幾重もの残像をたたえ、青の粒子を全身から撒き散らして奔る少女をカナエは見た。

 そうして刹那の間に少女は単眼の真後ろにまで移動し、

「……終わり」

 こちらに迫る鞭のごとき腕が、それを放つ単眼が、まるで砂の城が崩れるかのごとく、バラバラと水浸しのアスファルトに落下した。つい先程まで人型をなしていたものが、ゆうに二桁を超えるジャンク片になっている。

《――大丈夫ですかっ!?》

「……少し、無理しすぎた」

 けれども、カナエはそれに驚いている暇すら与えられなかった。

 目の前で少女が倒れるように膝をついたのだから。

 刃は手から離れ、心なしかただでさえ白い顔が真っ青、身体のあちこちが震えている。

「……大丈夫。私は元気。そんなことより――」

『どう見ても嘘じゃないか』とか『なんでわたしのノイズみたいな言葉がわかるんだ』とか『さっきの化物は一体何だったんだ』とか『なんでわたしがこんな見た目にならないといけないんだ』とか、言いたいことや訊きたいことは文字通り山ほどあったが、

「今からあなたを元に戻すから、おとなしくしてて」

 その一言でそんなことはどうでもよくなってしまった。

「大丈夫、今日見たことは全部夢だったんだ。忘れていい」

 優しい言葉とともに、そっと右手が伸ばされる。儚げな、どこか無理をしているような笑みとともに。

 夜闇、文字通り人形のように美しい少女が鈍色のスライムに触れる。

「あなたは自分の本当の姿を思い浮かべていればいい。あとは私が全部やるから」


                                   第一章・完 第二章へ続く

実はこれ書き溜めてるやつを順次出してるだけなんですけど、そういうのせずに順次投稿してる人ってすごいですよね。あ、伏線入れなきゃとか、ここはこっちのほうがよかったとかならないんですかね。なろうならあとからでも直せると言えば直せますけど商業ベースでやってる人とか頭おかしくならないんでしょうか。ジャンプとかの週刊漫画は特に。

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