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最終章⑧最後の一撃

「――黙れええええっ!!!」

《……よかった、ギリギリで間に合いました》

 絶叫とともに警官に向かって投げつけられた折れた刃。それは、目標まで届かなかった。

 それを身を挺して受け止めたのは、カナエではない鈍色のスライム――カオルだ。

《カオルっ! ……くっ》

 折れた刃と言っても、かなりの速度で投擲されたそれは、カオルの腹に深々と刺さり、黒い血を垂れ流している。

 そんな彼女にカナエは駆け寄ろうとするが、やはり身体が動かない。

《……大丈夫です、たいしたことないですから。そんなことより、目の前のあれを――》

 ふらふらとしながらも、それはたしかに地面に立っていた。

「……そうだ、私はこんなところでやられるわけにはいかないんだ。この世界には、こんなにも化物どもが満ち満ちているんだから」

 その首元のエンゲージリングはたしかに真っ二つに割れているはずだというのに。

 しかしそれでも、ネフライトそっくりの少女は群衆を指さして力強く宣言した。

「――私は、おまえたちを、化物を、オメガを、一匹残らず絶対に討滅してやるっ!」

 そうだ、ネフライトが少女の涙で復活するのならば。

 ヒスイが己が化物と信じるものの喧騒で復活したところで、何の矛盾もない。

「どうして貴様はそこまでしてっ!」

 倒れたまま、しかし力強くネフライトが問いかける。

「……当たり前だろう? 私は父さんを殺したんだ! 殺したくなんてなかった! けれど、そうするしかなかったんだ!」

 頬を伝うのは、滂沱の涙。そしてそのまま、彼女は叫び散らした。

「……ならばどうして、同じオメガのおまえたちがこんなにも幸せそうに、まるで自分は何も悪いことをしていないかのようにっ、のうのうと生きているッ! 父さんは死ぬしかなかったのに、殺されるしかなかったのに! どうしておまえたちは!」

 まごうことなき本音がぶちまけられる。

 支離滅裂とした、しかしヒスイの魂の叫び。

「……くだらない、そんな理由で貴様は殺してきたのか、何の罪もない人々を」

 怒りに震えたネフライトの言葉が響く。

「罪ならある! オメガであるというそれだけでっ!」

 叫びとともにもっとも手近なオメガ――カナエに向かってヒスイが襲いかかる。

(ダメだ、動かない)

 すでに何もかも限界だった。

 何度も何度も限界を迎えたと思ったが、これこそが本当の限界だ。

 ゆえに微動だにもできないカナエに向かって右拳が襲いかかり、

「――させないっ!」

 そこに動けないはず少女が割り込み、その体当たりがヒスイの攻撃を阻んだ。

 五体満足の、翡翠の瞳の少女。

「リヴァーサスは、人類は、私が守る!」

 その鈍色と青で染められていたはずのエンゲージリングは、青一色に輝いていた。


《……ネフライト、その足》

 シータ・ロイドとオメガが一定時間以上融合を続けると、精神までが同化する。

 しかしそれはあくまで副作用のようなもの。本来もたらされる効用は、オメガがシータ・ロイドのパーツとして完全に取り込まれることである。

 ゆえにエンゲージリングを補完していたオメガ質は今ここに完全にネフライトの身体の一部となり、ボロボロの彼女の身体は修復されていた。

「ヒスイ、貴様はもはやジャンクですらない」

 シータ・ロイドとしてオメガを討滅しようとした――それだけならばまだ、ほんのすこしだけでも理解と同情の余地があった。

 だがこれでは、アンヴァーの詭弁にさえも劣るではないか。

 ゆえにネフライトは確かに地面を踏みしめ、眼前のヒスイに宣言する。

「――だから私が、今度こそ絶対に破壊する、ヒスイ!」

 そしてそのまま、渾身の右拳がひび割れたエンゲージリングに向かって放たれた。

「――その言葉、そっくりそのまま返すぞ、ネフライト!」

「……っ!」

 しかしその拳は左手に掴み取られ、ヒスイの右拳が至近から放たれる。

「貴様は何もかも間違っているっ!」

 間髪入れず、その拳を己がやられたように掴み取り、互いが互いにその手を掴み合い睨み合う。そっくりな翡翠の瞳の少女が全く同じ表情を浮かべていた。

「いいや、私は何もかも正しい!」

 しかし膠着状態も一瞬――次の瞬間にはヒスイの頭突きが己の視界を点滅させる。

「だから私はもう止まらないし、止められないっ!」

 たたらを踏む彼女に向かって、指を組みハンマーのようにヒスイの両手が襲いかかるが、すんでのところで回避、前髪が幾つか持っていかれる。

「ならば、私が無理やりに止める、それだけだっ!」

「――ぎっ」

 無防備な横面に向かって右ストレートが直撃。

 真っ白な歯が青い人工血液とともに幾つも飛んでいった。

 そのままヒスイを馬乗りになって、エンゲージリングに向かって殴りかかる。

「おまえ程度では、私は止められない!」

 しかし拳が届くよりも速く、ヒスイは己を組み敷く胴を掴み力任せに振り払い、その身体を地面に勢いよく叩きつけた。

「私の手はすでに父さんを殺めてしまった! すべてのオメガを平等に葬らないと、私は止まれないんだ!」

 形勢逆転――今度はヒスイが仰向けのネフライトにのしかかろうとして、

「あなたはっ――」

 その腹に鋭い蹴りが放たれる。

「――ただ父さんを殺した過去を無理矢理に正当化したいだけ!」

 あのときはそれしかなかった――その場にいたネフライトにも、肯定せざるを得ない事実。

 だが、オメガが人類を共存し、挙げ句人類と同化した未来――その選択には疑問が挟まれてしまう。

 あのとき、もっと他の選択肢があったんじゃないか? 父さんを殺さずに済む方法が、もしかしたらあったんじゃないか? ――そんな疑問が。

 ゆえにヒスイは認めない、認められない。

 オメガは絶対悪であり、討滅する以外の選択肢などないのだと。

 父を殺した自分は、絶対に間違っていなかったのだと。

「いいや、正当化する必要などない! 私は間違ってないのだから! 私が父さんを殺したのは、私がオメガを殺し続けるのは!」

 勢いのままに立ち上がるネフライトに、ヒスイが再びに拳を放つ。

 石畳が踏み込みで砕け散り、そのエネルギーを持ってして必殺となる、まごうことなき渾身の一撃。

 その拳に込められるのは断じてシータ・ロイドとしての使命ではなく。

 ただ、最愛の父を殺めた、今にも身体を突き破ってしまいそうな、一万年経ってもなお肥大化し続ける罪悪感だけ。

「――私が正しいからだ!」

 その一万年分の想いが込められた拳はたしかに、エンゲージリングを捉えた。

「……ッ!」

《ネフライトっ!》

 しかしその青の宝石は、己を動かす動力炉は、オミクロン石は、こゆるぎもしない。

 奇跡などではない。

 ただ、オメガを、カナエ・リヴァーサスの一部を吸収したがゆえに、その強度が増していただけだ。

(……私は最後の最後まで、リヴァーサスに助けられたのか)

「もう、正しいなんて、どうでもいい」

 正しいから戦ったのではない。

 正しいから今の人類を守ったのではない。

 シータ・ロイドとしての使命など、とっくの昔に忘れていたのだ。

 ネフライトは一万年を使って、やっと気づいた。

 自分は結局、自分が大好きなカナエ・リヴァーサス、自分とカナエが大好きなカオル・タチバナ、ただ友人のことが心配だったミヤコ・ナイキバラのように。

「――ただ、私は私がしたいからそうした、それだけ」

 ゆえにネフライトは、ただ自分がそうしたいから、その拳を放った。


                                 最終章・完 エピローグへ続く

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