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最終章⑦オメガ・ロイド

『――喜べ、人類を救う鍵がここにある!』

 ネフライトたちの父はたしかにそう言った。

 ならば、その“鍵”とは一体何なのか?

 人間とアルファの間の子であるオメガか?

 確かに彼らはアルファを駆逐したが、それは本来想定された運用方法ではない。

 第三世代シータ・ロイドたるネフライトたちか?

 しかし彼女たちの性能は傍目には第二世代と遜色ないようにしか見えない。

 ならば答えは簡単だ。

 ネフライトたちとオメガは、二つ揃ってはじめて“人類を救う鍵”たりえるのだ。

 そして今、ネフライトとカナエ・リヴァーサスがこの場には確かに揃っている。

「――喜べ、人類を救う鍵はここにある!」

 ゆえにヒスイ――人類の敵の攻撃は防がれていた。

「――ッ!」

 その翡翠の瞳に映るのは、彼女が知りえない“何か”。

 身を包むのは、彼女が知る由もない地元公立高校のワインレッドのブレザー。

 短いスカートから覗く細い足は、水銀めいた鈍色、ブーツと地肌の境界さえも曖昧。

 腰まで伸ばされた流れるような艶髪は、右半分だけ鈍色に染まっている。

 人形めいた顔の右半分を侵食するのもまた鈍色、翡翠だったはずの右目はサファイアめいた青に。

 大きくひび割れていたはずのエンゲージリングは、水に鈍色の絵の具を溶かしたかのように隙間が埋められている。

 そして何よりも印象的なのは、チェーンソーを軽々とせき止める、鈍色の巨腕――鋭い爪をたたえた五指、牙めいたアームカッター、甲虫めいた鈍色の装甲でその身を鎧う、そんな悪魔のごとき右腕だった。

《――それはずいぶん、大言壮語ねっ!》

「――がっ」

 ノイズめいた声がどこからか響くとともに、その前腕が軽く払われて、ヒスイは為す術もなく吹き飛んだ。

《だけど気に入ったわ、わたしは人類の宝を超えて宇宙の宝なのだから、それを救うことすなわち人類どころか宇宙を救うも同義!》

「……知らない間にずいぶんと自信過剰になったな、リヴァーサス」

《これが素よ、ネフライト!》

「……嘘だ、こんなことが! オメガと融合するなんてっ!」

 そう、この巨腕の鈍色に侵食された少女こそが、ネフライトとカナエ・リヴァーサスが真の意味で融合した、まさしく“人類を救うための鍵”である。

 これこそがネフライトがスライムになった人々を元の姿に戻した能力の源泉。

 ネフライトが狂おしいほどにカナエを求めた本当の理由だった。

「――だが、しょせんは死にぞこないの集まりっ!」

 叫びとともに七体のデルタ・ロイドが一気に襲いかかった。

 灰色の単眼でこちらを不気味に見つめる不死の兵団、カナエにとってはもはやトラウマに近い連中。

《ネフライトっ!?》

(いいや、この程度の連中、敵ですらない)

 そうか――頭の中で言葉をいくつか交わしあって、本来ならば数秒かかるはずの意思疎通をコンマ以下で終了させる。さながらひとつの生物のごとく。

 ほぼ同時に青の瞳が閃き、その巨腕が最も効率的に変化――七つの触手と化す。

「《――遅いっ!》」

 同時迎撃、同時破壊。

 デルタ・ロイドたちに死神の鎌のような刃が触れ、為す術もなく、超高速の切断の嵐に襲われる。

「連中はあの夜のようにバラバラにすれば、もう二度と再生できないッ!」

 そして次の瞬間には、不死の猛威を誇ったはずの七体は、ジャンク片へ成り下がった。

『はじめまして、ネフライト。キミは、キミたちシータ・ロイドは人類を守護し、その敵を討滅するために生み出されたんだ』

『そして、その中でもキミたち第三世代だけに与えられた、特別な能力があるんだ――』

 ネフライトの原初の記憶、それはこう続くのだ。

『オメガと融合し、互いの能力を乗算のように高め合う、全く新しい能力がね』

 足し算ではない、掛け算。ゆえにそれは、たとえ死にぞこない同士であろうとも圧倒的な力を発揮せしめる。

「……そうか、これが父さんの言っていた“人類を救う鍵”!」

『これを手に入れたシータ・ロイドはもはやその名では呼べない。全くの別物だ。言うなれば――』

 少女たちは高らかにこう宣言した。

「《――オメガ・ロイドといったところか》」《しらっ!》

《これならば、ヒスイを倒せる――でしょう、ネフライトっ!》

「ああ、これならば」

《わたしたちを》「人類を」

「《守ることが出来るっ!》」

 言葉とともに、七つの触手がヒスイに向かって襲いかかった。


 デルタ・ロイドを一瞬にして再生不可能なほどに斬り裂く速度の触手の刃――それが一気に七方向からやってくるという悪夢。

 まさしくつい先ほどまでカナエを相手にやっていたことのしっぺ返し。

 いいや、前後左右だけではなく上空からも迫る触手たちは、先ほどよりも遥かにおぞましいだろう。

「――だから、どうした!」

 それに対しヒスイはまっすぐ前傾姿勢で敵に向かって駆け出した。

《――ッ!》

 傍目には自ら死地に突っ込むような自殺行為めいた動き。

 しかしそれは、そのことごとくの刃を奇跡めいてかいくぐった。それこそ、刃が自ら避けていったかのように。

 否、奇跡などではない。ただ、軌道から瞬時に角度を計算しただけだ。

「――未熟な攻撃っ! やはり、その化物が邪魔なようだな!」

 そのままチェンソーががなりたてて無防備なオメガ・ロイドに襲いかかり、

「――いいや」《わたしがいなければ立ってもいられないわ!》

 その鈍色の左足が刃と化して回し蹴りのように迎撃した。

 ヒスイはそれをギリギリでチェンソーで受け止める。

 ただの一蹴り。

 しかしその圧倒的な衝撃を殺しきれずに刃はひずみ、そのままたたらを踏んだ。

 そんな致命的な隙を逃すほどに彼女たちは甘くない。

 七つの触手が収束し、再び巨腕を形どる。

 さらにその肘から排気筒のようなものがぐにょりと形成され、黒の炎がジェットのように拳を加速、ヒスイに襲いかかった。

 アンヴァーとの戦いで発動したものよりも熱く激しい、一撃。

「《これでもっ、喰らええええええっ!》」

「がああああああっ!」

 ヒスイの壊れたままの刃が反射的に拳を受け止めたが、それでもなお、少女は遥か後方に紙吹雪のように吹き飛んだ。

 そのまま何度も石畳に身体を打ちつけながらやっとのところでヒスイは止まり、息も絶え絶えにチェーンソーを杖のように立ち上がろうとする。

「《これで、終わりっ!》」

 だがそこに、容赦ない連撃、再び加速した拳が襲いかかった。

 終わりの名を冠する拳の速度は伊達ではなく、それをもたらすべくヒスイに迫る。

「――見え見え、なんだよ!」

 しかし一度食らった攻撃を二度も食らうほど、ヒスイは愚鈍ではない。

 ゆえにヒスイはチェンソーを地面に叩きつけて飛翔し、おぞましき拳の弾丸をやり過ごした。同時、エンゲージリングが青く輝き、己の得物を修復する。

「《――ッ》」

 一方、オメガ・ロイドはすぐさまに拳を叩きつけて急停止するが、それよりも――

「私のほうが速いっ!」

 着地したばかりのヒスイが身を翻して、真後ろに向かって、その無防備な背中に向かって、チェンソーを放った。

「……ッ!?」

 しかし刃はかの敵には届かない。

 代わりに眼前に見えるのは、巨腕と融合したかのような鋭く巨大なガンブレード、妖しく輝くオッドアイ――こちらと正対するオメガ・ロイド。

 そしてヒスイは今さらに、チェンソーがやたらと軽いことに気づく。

 足元には、切断された、チェーンソーだったものの破片。

 ああ、渾身の一撃は、いとも容易く切断されたのだと――

「《――これで本当に終わりだ》」

 恐怖と驚愕に顔を引きつらせたヒスイに、そのエンゲージリングに、間髪入れず返す刃が襲いかかる。

 圧倒的な実力差だった。

 死にぞこないが二つ融合しただけにもかかわらず、シータ・ロイドとしてならば最強格であるはずのヒスイが為す術もなく圧倒されている。

 これが一万年前に正しく運用されれば、単騎でアルファをひとつ残らず滅ぼしていたかも知れない――そんな化物が、ヒスイの目の前にいる。

(――今の私が勝てない化物ならば、)

「アクセルっ!」

 刃が青の宝石に触れる瞬間、翡翠の瞳が閃いた。

 その身に残像をたたえ後退、寸前、敵の刃は空振る。

 全力で稼働するエンゲージリングによって、切断された刃が修復。

(私がそれに勝る化物になればいいいっ!)

 限界を超えて駆動回転するチェンソーが斬りかかろうとしたところで、

「――がああああああっ!」

 エンゲージリングがスパークを上げて、アクセルが強制停止された。


「ぎいいいいっ、いだい、いだいっ、いだいっ!」

《………》

 首元を抑えてのたうち回るヒスイ。

 そのさまはとても、何十人、あるいは何百人もの人々を一方的に虐殺した化物には見えず、ただ熱病に冒されて助けを求める、か弱い少女にしかカナエには見えなかった。

「……アクセルは、使えば使うほどにエンゲージリングに強い負荷をかける。おそらくはとっくの昔に限界が来たんだろう」

 それを見下ろして、ネフライトが少しだけ憐れむように言う。

「……一万年前に作られたんだ、これだけ動いているだけで奇跡。ヒスイも、私も」

「――黙れ、私を憐れむな!」

 ヒスイが再び立ち上がる。やはり息も絶え絶えに、刃を杖代わりにして。

「……私は可哀想じゃあない、こんな絶好の隙をそんなもので逃すな、だからおまえは甘いんだ、おまえは私をここで殺さなかったことを絶対に後悔する、させてやる!」

「放って置いても息絶えるだろう? ジャンク」

 ネフライトがこともなげに言い放つ。

 その証拠として、そのエンゲージリングにはヒビが深々と入っていた。

「だから、どうした。ジャンクのおまえでもこれよりひどい状況で動いていただろう。アンヴァーだってそうだ。……ならば、正真正銘のシータ・ロイドの私なら――」

「――やめろっ」

「――アクセル!」

 ネフライトの制止を振り切って、ヒスイは再びにその四文字を紡いだ。


 ヒスイの翡翠の瞳には、オメガと第三世代シータ・ロイドが融合した存在――すなわち、父の罪そのもののような存在が映っていた。

『最期の頼みだ! ヒスイ、私を、オメガを討滅して――』

 一万年前、すべての起点になった言葉。

(……父さん、私はこれを討滅することで、本当の意味でシータ・ロイドとなることが出来るのかも知れません)

 ゆえにヒスイは再び覚悟する。

 父の罪をすべて濯ぐために、かの化物を絶対に討滅すると。

 翡翠の瞳が閃き、エンゲージリングの亀裂が更に大きくなる。

 残りコンマ数秒しか使用できない、最後の切り札。

(――だが、それだけあれば十分だ)

 正真正銘の全力。

 チェーンソーが限界を超えて駆動し、迫るガンブレードを切り裂いた。

 全身が限界を超えて駆動し、遥かに音速を超えたその身体が先手を打った。

 あのときと同じだ。

 ただあのとき、ネフライトを倒したあのときと、父さんを斬り刻んだあのときと、ただ同じことをすればいい。

 音速を超えて、すべてを斬り刻めばいい。

 ゆえに少女は右足を踏み込み、音を置き去りにして消えた。


 ネフライトのカナエと共有した青と翡翠のオッドアイには、シータ・ロイドの使命に囚われ、そのあまりの重さに自壊した哀れなジャンクが映っていた。

『……だからこの子を、ノゾミを守ってください』

 一万年前、すべての起点になった言葉。

 自身が本当の意味でシータ・ロイドとなることの出来たあの言葉。

 本当は途中までしか聞こえてないくせに、しかし心などという不確かであるかどうかすら怪しいものに刻まれている言葉。

(……私はあなたたちの望みを叶える。いいや、望まなくても私は――)

 ゆえにネフライトは再び覚悟する。

 ただ己の使命を全うするために、かのジャンクを討滅すると。

 たとえ彼女がいくら哀れに見えようとも、その手が奪った命を考えれば、これから奪うかも知れない命を考えれば。

 ヒスイの瞳が閃き、おそらくは最後のアクセルを発動する。

 己を一度倒した、あの音速さえも遥かに超える駆動。

(――ネフライトっ、こちらもアクセルを!)

(それはダメだ。リヴァーサス、あなたに負担がかかりすぎる。それに――)

 この手には、カナエと己が作り出した、最強のガンブレードがある。

(――これで十分っ! そうでしょう、ネフライト!)

 カナエが言葉を先取りした。

(ああ、そのとおりだ、リヴァーサス!)

((――わたしたちは、勝てる、守れる!!))

 ゆえにネフライトとカナエ・リヴァーサス――オメガ・ロイドは、その青と翡翠が確かに捉えたジャンクに向かって踏み込んだ。


 石畳が削れ、摩擦による熱で炎が巻き上がる、その中心。

 二人の少女が、否、三人の少女が背中を向けあっていた。

 結われた黒髪、翡翠の瞳、チェーンソーをたたえた少女。

 鈍色と融合した、翡翠と青のオッドアイ、ガンブレードをたたえた少女たち。

 両者ともに微動だにもせず――そんな空間がほんの刹那続き、

「………」

 ぼとり、翡翠の少女のチェンソーが折れた。

「《――がっ》」

 まるでそれを合図にしたかのように、鈍色と融合した少女たちが前のめりに倒れる。

 直後、その身体は、鈍色のスライムと、あちこちがズタズタの少女に分離していった。

 ただひとつ、少女に残っているのは、その首元の宝石の鈍色だけ。

「……はははは、私の勝ち――」

 最後に残った少女が勝利宣言を上げるよりも早く、ぴしり、そんな高い音が首元から奏でられる。

「――のようだな」

 それでもなお言い切った言葉とともに、翡翠の少女もまた、前のめりに倒れた。


《……勝った、の?》

 カナエが陽が沈みつつある赤い空を見上げながら、独り言のように訊ねる。

 全く動かない身体をバッグに、あちこちからサイレンの音が聞こえた。

「ああ、勝ったみたいだ」

 ネフライトもまた空を見上げて、それに答える。

「……ギリギリだった。あの時間が限界」

《……もしあれ以上融合してたら、どうなっていたの?》

 無理矢理に融合を解いた違和感が今も身体に残っているカナエは、妙に嫌な予感とともにそう訊ねる。

「二人の精神も完全に融合してた」

《うげえ》

「何だそのリアクションは。流石に傷つくぞ」

《だってわたしって本当は世界一どころか宇宙一の美少女だし。ネフライトもまあ美少女だけど、ちょっとね》

 嘘偽りのない本音だ。誰かと融合するなんて、もう懲り懲りだった。

「……そうか、確かにミヤコの言っていたとおり、ろくでもないナルシストだ。けれども、それくらいのほうが守りがいがある。自分を大切にしてくれなければな」

《それ、褒めて――》

《せんぱああああああっい!》

 言葉を遮っていきなり触手が絡みついてきた。

 というか、カオルだった。

《すっごい、すっごい、心配してたんですよ! でも、言われたとおりに人命救助に徹しました! まあでも先輩は超強いから絶対勝つと思ってましたが! 先輩こそが人類を救った英雄ですもん!》

 頬ずり(とはいっても今のスライム状の彼女に頬があるかは疑問だが)をしながら、カオルは早口に続ける。

《ありがとう。カオルだって、わたしと変わらないくらい活躍したじゃない。……あと、苦しい》

《うきゅうううううううう》

 変な声を出した。放してくれるどころか、抱擁はさらに強まる。

「……やれやれ」

 そんな二人を眩しそうに見つめるネフライト。

「……でも、これだけでも戦った価値があった」

 そう呟いたあと、唐突にぱちぱちという音が聞こえた。

 たった一人の拍手。しかし力強い。

《《「……?」》》

 視線を遣ると、少し離れた位置にカナエとカオルが助けた、あちこちボロボロの警官が立っていて、力強い惜しみのない拍手を三人に送っていた。

 ぱちぱち、ぱちぱち、拍手の音は彼女を起点に大きくなっていき、気がつけば三人に向かって何十人もの人々が拍手をしていた。

 英雄を称えるスタンディングオベーション。

《……まあ、これくらい当然よね》

《すごいですよ先輩、スタンディングオベーションですっ!》

「……勝手にやったことだけど、悪い気はしない」

 三者三様の反応をする間にも鳴り止まぬ拍手は徐々に徐々に大きくなっていき――

「――黙れええええっ!!!」

 唐突に響いた怒号で一気に静寂へ戻った。

《……っ!》

 怒号と同時、チェンソーの残骸が投擲されるのをカナエは確かに見る。

 進む先は、最初に拍手したあの警官。

 けれどもしかし、カナエの身体は石になったかのように動かなかった。

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