最終章④絶望
「……なに、これ」
ミヤコがテレビを付けると、そこには異様な光景が広がっていた。
『なんてことでしょう! 鈍色のスライムに撃退されかと思われたロボットたちが、何やら再生しています! おっと、そのまま襲いかかる! 一体どうなってしまうんでしょうかっ!?』
小うるさいリポーターの声は耳から耳へと抜けいき、ただ彼女は顔面を蒼白にして画面に釘付けとなっている。
それは、ヘリから中継される遠くから俯瞰される構図であり、そこにはリポーターの言うとおりの絵面が広がっていた。
「……これ、カナエ、じゃないよね?」
力を振り絞って、ようやく蚊の鳴くような声でつぶやくが、ベッドで眠ったままの少女は答えず、ただリポーターが何かを口やかましくまくしたてているだけ。
「……そうだ、カナエなはずがない。だって、あの子はナルシストで自分のことばっかり考えてる、見た目以外取り柄がないやつだもん。誰かのために命をかけたりなんて、するはずがない。……するはずがないんだ」
ひたすら言い聞かせる。現実逃避する。両腕が伸びてスライムに襲いかかったときなんて心臓が飛び出そうになったくせに。
「――いいかげんにしろっ!」
そんなミヤコを一喝する声が響いた。同時、その頬にヒリヒリとした痛みが走る。
しかしこの部屋にいるのはミヤコと未だ沈黙を貫く少女だけ。
今自分を変えられるのは自分しかいない。
ミヤコは己を自ら思いっきりひっぱたいたのだ。
「このスライムはカナエだ! たとえそうじゃなくても、このままなら死んでしまう! できることをするべきだっ! なあ、ミヤコ・ナイキバラっ!」
叫ぶ。言い聞かせる。先ほどの蚊の鳴くような声を遥かに埋め尽くすような声量で。
そうだ、今の自分にはあんなにも渇望した“できること”があるではないか。
ゆえにミヤコ・ナイキバラは動く。
自分のやりたいことは何だ?
今からでもカナエのもとに向かい、何かをした気になってお荷物になること。
だけど、できることは?
それはたったひとつ。
「――起きてくださいっ、ヒスイさんっ!」
己の無力を認め、眠り続ける少女に情けなくも縋りつことだけだった。
そうしなければ、きっとカナエは夢で見たのと同じ姿になってしまう。
「ずいぶんと無様だなあ、化物っ!」
癇に障る哄笑が響く。
《………ッ!》
カナエは言い返すこともできないどころか、その声に耳を傾けるほどの余裕さえ一欠片もなかった。
デルタ・ロイド。
彼らはアクセルが不可能な第一世代シータ・ロイドのサポートのために生み出された存在であり、その戦法は資源が豊かだった人類の全盛期を象徴するようなものだった。
有り体に言えば、数である。
デルタ・ロイドは己を率いるシータ・ロイドのエンゲージリングの再生能力を利用して、無限に復活する不死の兵隊。故にそれを撃退することは――
《無理よっ、こんなの!》
無理だった。
少なくとも、カナエ・リヴァーサスにとっては。
ゆえに防戦一方、最初に倒したはずの一体も含めた七体の敵が放つ攻撃を防ぐだけで、いたずらに体力を消費するだけで、無為に時間は過ぎていく。
《――ぎっ》
何度目かわからない鋭い爪が掠る。
全快時ならば屁でもないはずの一撃が、体力を削っていく。
あのネフライトのそっくりの悪魔は、自分をなぶり殺しにするつもりだ。
身体が鉛のように重い、視界が定まらない、ありとあらゆる痛みが心と身体を責め立てる、一体どうやって自分は攻撃を捌いている?
何もわからないが、しかしひとつだけ確実なことがある。
(……こんなことを続けていたら、確実に死ぬ)
当たり前だ、まともな攻撃を受けてもすぐさま再生する敵が七体――敵うはずがない。
ならば、この行為の先には死しかなく――
《――ッ!?》
それは想像以上に早くやってきた。
防御失敗。
ぐちゃり、触手の先端が刃ごと吹き飛んでいた。
勢いのままに襲いかかるのは、何の変哲もない、何度も味わった鋭い爪をたたえた右腕。
(身体が、動かない)
最後の武器を削がれた、それが契機だったのだろう。
体力以上に、気力が限界だった。
この無為な戦いを続けることを、この拷問じみた苦行を続けることを、カナエ・リヴァーサスの精神は拒否している。
こんなにも希死念慮が渦巻くのは、あのスライムになった日以来だった。
今すぐにでも終止符を打ち、楽になりたいと、死んで何もかも放棄したいと願ってしまっている。
(――本当にそこで諦めるのか?)
己の中の誰かが言う。
(諦めてしまえば、森羅万象が恥じらい花は腐り落ち宝石は砕け散り星は堕ちる乙女――カナエ・リヴァーサスは二度と失われてしまうのに?)
それは、世界の損失だ。
《――そうよっ、わたしは生きたいっ!》
ゆえに己の意思を確かめるように叫ぶと、視界にかかっていたぼやけたモヤが晴れた。
呼応するようにスライムで出来た鈍色の脳細胞が全力で稼働し、天啓が降ってくる。
それと同時に、襲いかかる右腕を、刃を失った触手で絡め取った。
「がああああっ!」
カナエそのものは動けない、動かない。
ゆえにこちらに殺到する残りの六体に対し、カナエは内心でほくそ笑む。
(とんだでくのぼうね……!)
そしてそのまま、全力で触手を手元のでくのぼうごと大きく振り回した。
さながらハンマーのように。
質量と遠心力、そして相手の勢いを味方に、迫る敵をなぎ倒し吹き飛ばす。
そうだ、己の武器は触手だけではない――そんなことさえ忘れていれば、勝てるものも勝てないだろう。
(これならば――)
久々に周囲の視界が開け、そこでカナエは見た。
「――ッ!」
驚愕を隠しえない表情のヒスイを。
《喰らえええええええッ!》
窮鼠猫を噛む。
触手が千切れそうになりながらも、ヒスイに向かってデルタ・ロイドを投げつけた。
そうだ、敵がどんなに攻撃しても回復するならば、それを司っている相手を叩けばいい。
(正面からなら絶対に勝てなくても、油断している今ならば、今だけならば勝てる……!)
「――調子にのるなよ化物ォ!」
チェーンソーが弾丸と化したそれを頭から縦に一刀両断する。
「……ッ!?」
そうしてヒスイの目の前でデルタ・ロイドだったものが真っ二つに割れた直後、それは容赦なく飛来してきた。
《これでっ、終わりだあああああっ!》
それは、デルタ・ロイドの前腕。
先ほどもぎ取ったそれを、カナエは全身全霊で投擲していた。
(エンゲージリング――これさえ破壊すれば、すべてが終わる!)
当たれ当たれ当たれ当たれ当たれッ!
勝てる勝てる勝てる勝てる絶対に勝てるッ!
油断がすべてを終わらせるッ!
ヒスイ、おまえは自ら生み出した刃で無様にも敗北するッ!
勝利を確信した尖き爪が唯一の弱点に触れる直前、
「残念だったなあ、化物」
それはあまりにも容易く空いた左手に掴まれ、同時に粒子に還元された。




