最終章③復活
時間は少しばかり遡る。
真昼だというのにどこか薄暗い印象を与える廃屋だらけの旧市街地を、カナエたちは焦燥を滲ませながら探し回っていた。
《カオル、そっちにいた?》
《全然です。ヒスイ――じゃなくて、ネフライトさん、どうしたんでしょうか》
ネフライトがもたらした青い鳥、それが内包するヒスイに関する記憶とネフライトのメッセージ。
それはカナエだけではなく、同時に彼女に触れていたカオルも共有することとなった。
しかし最後のメッセージを受け取った彼女たちがしたことは、逃げることではなく、機能を停止したネフライトを探し出すことだった。
《……もう、記憶に映っていたらしき景色はあらかた探したわよね?》
《……ヒスイに見つかった、とか?》
言わないようにしていたことを、カオルが言ってしまった。
《だって、もう二時間以上探してますよ? なのに、見つからないってことは――》
《カオルっ!》
《どんな剣幕で言われても、私はいいます》
怒りのままに迫るカナエに、ただ毅然とカオルは言い返す。
《ネフライトさんはいいました、『逃げろ』と。このままいくら探しても彼女は見つかりません。ならばそのとおり、今からでもなるべく遠くに逃げるべきなんです。……それに、先輩だって――》
そこで、カナエの言葉は遮られた。
《――!?》
何かが爆ぜる、かなり大きな音。
聞こえるのは、この街最大の繁華街の方向。
《先輩、もしかしてこれって――》
花火? 爆発事故? 否、断じて否だ。この状況でそこまで楽天的な考えを持てるほどカナエは修羅場を経験していない。
《――ヒスイよっ!》
そのままカナエは繁華街まで駆けようとした。
そうだ、最初からカナエは逃げる気など断じていなかった。
自分が戦わないで、一体誰が戦うのだと。
《待ってください、先輩!》
その背に、緊迫した声とともに、カオルが触手ごと抱きついた。
《先輩じゃヒスイには絶対に勝てません! 一緒に逃げましょう!》
ああ、そのとおりだ。
カナエは自分がヒスイに勝てるなんて、全く思っていない。
《わかってるんですよ、今はなんとか歩いてるけど、それだって辛いって!》
ああ、そのとおりだ。
アンヴァーと戦ったときの二割もあったらまだいいほうだろう。
《正義漢ぶってカッコつけなくたっていいんです! 先輩は私と同じ側の人間でしょう? 自分より大切なものなんて、なにもないはずです!》
ああ、そのとおりだ。
自分より大切なものなどないと、そう思っていた。
ただし、過去形で。
《……ええ、そうね。でも、今は違う。確かにわたしはわたしが一番大事だけど、他に守りたい人がいる。スライムになってやっとわかった》
カナエ・リヴァーサスはスライムになる前は、姉さんがいないこの世界に自分より大切なものなどあるはずがないし、それに並ぶものないと考えていた。
それは己しか見えていない証左、ある種の恋は盲目。
だからこそ、己が行方不明になれば誰かが心配する――そんな当たり前の発想さえ根本から抜け去っていた。
さながらカナエ・リヴァーサスは太陽であり、彼女の周囲にいた人々はその輝きに塗りつぶされる星々だ。ゆえにカナエという光が潰えたことで初めて、その輝きは知覚される。
《わたしね、自分には外見以外何の価値もないと思ってたの。正直、今もそう思ってる。……でも、そう思ってない人もいるみたい》
『絶対、絶対、ぜええっっったいッ! 帰ってこい! 嫌味はあとで一億でも一兆でも言ってあげるから! あの超絶美少女フェイスで私のところに戻ってきなさい!』
脳裏に過るのは、ミヤコのバレバレな、しかし優しい嘘。
《だからわたしは、そんな人がいる世界を守りたい。ダメ?》
《……でも、それじゃあ先輩が!》
《あなただって、わたしのために命を張ってくれたじゃない。それと同じよ》
《なら、わかるでしょうっ! 私は先輩に傷ついてほしくない! だって、私は先輩のことが私と同じくらい好きだから!》
声と触手が震える。カオルの飾らない本音がやっと現れた。
《大丈夫、守りたい人にあなたもいるから》
《――ッ! そういう問題じゃ――》
ささやくように言うと、一瞬だけ触手の拘束が緩む。
その隙にカナエはそれから抜け出し、そのままカオルを抱きしめた。
ぐんにょりとした、とても快適とは言えない泥めいた感触。
本来の華奢で少女らしいそれとは真逆だったが、それでも悪い気分にはならない。
《わたしを信じて。きっと帰ってくるから。わたしはわたしが一番大事で、それと同じくらいカオルのことも大事だから》
惚れた弱みにつけ込んだ、実に卑怯な手段。
傍目には、スライムが抱き合っているだけ。
少しばかりの沈黙のあと、カオルは覚悟を決めたようにこう続けた。
《……わかりました。でも、私にも協力させてください》
そうして、二人は繁華街へ大急ぎで向かった。
その先にどんな地獄があるかも知らず。
前と後ろに二体づつ、左右に一体づつ――四方から迫りくる六体のデルタ・ロイド。
《――ッ!》
それに対し、カナエは触手をもう一本背中から生やした。
たったそれだけで身体に痛みが走り、カナエに限界を知らせる。本当は六本でもお釣りが来るような状況だというのに。
《そうよ、このくらいでっ!》
同士討ちを避けるためか、タイミングを少しづつずらしながらやってくるデルタ・ロイド――一番最初にやってくるのは目の前の二体。
それに対し、カナエは大ぶりに触手を振りかぶった。
とても複数を相手にしているとは思えない、まるでこの攻撃で終わりとでもいいたげな一撃は、二体の上半身と下半身を真っ二つに斬り離す。残り四体。
(でもそれは囮で、本命は……!)
後ろと左右から残りが文字通り殺到する。
一方、カナエの触手は前面に伸び切っていた、迎撃不可能。
だが、織り込み済み。
「……ッ!」
ゆえにカナエは、先ほど切断した敵の上半身を左右に投げつけた。
もとより、たった二つの触手だけでこの数を捌けるなどとは欠片も考えていない。
ゆえのカウンター。
左右の敵がその衝撃のままに真後ろの二体と玉突き事故――それがカナエの目論見だったが、しかし後ろの一体がそれをギリギリで回避し、残りの一体がサンドイッチとなる。
だが、それで十分!
《何よ、全然大したことがない!》
反転、目の前でぶつかり合う三体のもとへ触手の刃がハサミのように左右から放たれ、首を斬り落とした。残り一体。
《……ッ!?》
そう、残り一体のとき、カナエの目は捉えた。
目の前に並ぶ三体の残骸が倒れると同時に現れたのは、触手のごとき長く伸びる両腕。
(――忘れていたっ……!)
そう、これはあの夜にカナエが確かに見た、かのデルタ・ロイドの奥の手。
こちらに向かって凄まじい速さで進み、その命を容赦なく刈り取ろうとするそれ。
今までは天性の戦闘センスが全てを思い通りに展開させていた。
だがそれでも、最後の最後で、カナエにとってあまりにも予想外の展開。
《――クソがあああっ!》
切羽詰まった少女のノイズめいた絶叫が響いた。
《……はぁ、はぁ、はぁ》
結論から言えば、カナエ・リヴァーサスはなんとか一命をとりとめていた。
その後方には、明後日の方向に突き進んで地面に刺さったデルタ・ロイドの両腕。
そして目の前には、その両腕の主が首を失って地面に倒れ伏していた。
どうやってあの状況から命をとりとめたのかといえば、実に単純。
ただ相手の腕が飛んでくるよりも速く、その首を撥ねただけである。
(……流石に、これは無理が過ぎたのかしら)
言葉にすればそれだけだが、そうした無理が祟り、首を撥ねた触手は液体状にドロドロと溶けていて、もはや用をなさない。
また触手を生やすなど到底不可能、すなわち今残っている一本が最後。
身体中がぼろぼろだ、視界さえもろくに定まらず、立っているだけでも辛い。
全くの孤立無援、もうネフライトはいない。
《……思ったより、たいしたことないわね》
それでも、虚勢を張る。張るしかなかった。
死屍累々、すでにぴくりとも動かないデルタ・ロイドの残骸たちがあたり一面には広がるが、その中で唯一無傷の少女――ヒスイに向かってカナエは挑発するように言う。
「……なるほど、化物。そこそこやるみたいだな。でも、そうじゃないんだよ」
追い詰められているはずのヒスイが、なぜか嘲りのようなものを滲ませながらいう。
《……あら、強がりかしら、ひとりぼっち》
強がりはこちらだ。
今から少なくともアンヴァーと同等のヒスイと戦うだなんて、想像さえしたくない。
勝てる可能性など、奇跡が百万回連続しても一桁台がいいところだろう。
「少し考えろ。どうしてこんなに弱っちい人形がオメガとの戦いに用意られていたのかを」
ヒスイは心底楽しそうに、愉しそうに、しかし邪悪に笑みを浮かべる。
その翡翠の瞳に浮かぶのは、まごうことなき獲物を甚振る嗜虐心だった。
ただそれを見ているだけで、極寒の地に裸で放り出されるような悪寒に襲われた。
《……まさか》
「そのまさかだ」
ああ、不吉な予感は的中するものだ。
ヒスイのエンゲージリングが青く光り、
《…………嘘、でしょ》
バラバラだったデルタ・ロイドたちは復活した。




