《人類の黄昏と少女たちの蜜月Ⅳ》
『はじめましてヒスイ。キミは、キミたちシータ・ロイドは、人類を守護しその敵を討滅するために生み出されたんだ』
懐かしい原風景。それは薬品臭く、几帳面に整理された研究室。
胎内のごときカプセルから出たヒスイに初めてかけられた言葉は、それだった。
言葉の主、白衣に身を包んだ、白髪交じりの初老の男性――父はにっこりと優しげな目でヒスイを見つめる。
『はじめまして、父さん。……しかし、ならば私はどうして少女の姿をしているのですか?』
ヒスイは挨拶もそこそこに、そんなことを訊ねた。
『第一世代は悪趣味な単眼だったから。こっちのほうが“カワイイ”だろう?』
何を当たり前のことをいうのかと、彼は何の気なしに答える。
『理解不能です。人類の守護に“カワイイ”は無用のはずでは』
『いいや必要だ。人々は疲弊しきっている。そして疲弊している人間に必要なのは、身体の栄養だけではなく、心の栄養もなんだ』
『そのためだけに、私の外見をここまで作り上げたと? 敵はすぐそこだというのに?』
やはり理解不能だった。自分を作ったこの男は、おかしい。
『どうせオミクロン石は数が限られているんだ。いいものを作りたいだろう』
オミクロン石――エンゲージリングの青の宝石、その中に埋め込まれた極小の鉱石。
遥か遠くの系外惑星で発見され、地球で利用可能なまでに加工された凄まじき賢者の石。
圧倒的な効率でエネルギーを生み出す、シータ・ロイドの動力炉。
しかし賢者の石と呼ばれる所以はそれだけではなく、かの鉱石はデータと材料さえ与えれば、その圧倒的なエネルギー効率であらゆる物体を再現せしめる――つまり、かの鉱石は最良の動力炉にして最良の生産工場なのである。
これに加え、驚くほどに軽く、驚くほど硬く、驚くほどに万能な素材である、デルタ・グラフェンが加われば、それはまさしくありとあらゆる戦場に対応できる万能兵器となりうる。
そうだ、少女はオミクロン石とデルタ・グラフェンの間の子であり、しかして皮肉にもそのオミクロン石の故郷からやってきた侵略者“アルファ”を討滅し、人類を守護するために生み出された。
それが、彼女たち、シータ・ロイド。Oを自在に操りθ(シータ)にせしめる、人類に再び黎明をもたらすための機械人形だった。
『……それに、人はどんな絶望の中でも、綺麗な花の一つでもあれば生きる気力が湧くものだからな』
己に言い聞かせるように父は言い、しかしヒスイはその時はまだ、彼の言葉を純粋に受け止めた。
『……わかりました。私は矛であり、盾であり、そして花です』
「――ヒスイ、大丈夫ですか?」
「……ごめん、ぼうっとしていた」
アンヴァーの声に、ヒスイは意識を現在にまで戻す。
「……それにしても、本当にここが例の座標なの?」
ヒスイは胡乱げな視線をその場所に向けるが、何が起きるわけでもない。
それは、ただの草むらの一角だった。
この先に何らかの建物があると信じて草むらを突っ切り続けていたが、しかし座標の場所には周囲と何ら変わらない草むらがあるのみ。
「いいから立ってみましょう。もしかしたら何かあるかも知れませんし」
アンヴァーがヒスイの手を引いて、そのまま例の座標に肩を並べて立つ。
「うわっ!?」「何だ、これ!」
すると、二人のエンゲージリングがひとりでに青く輝き始めた。
ついで、網膜に一つの質問が浮かび上がる。
『ここにあるのは?』
シータ・ロイド用の機械言語で記されたそれに、二人は迷いなく答えた。
「「人類を救う鍵」」
力強い言葉とともに、二人の姿はその場から消失した。
「……ここは?」
目を開けば、そこは幾つもの背の高い灰色のビルが立ち並ぶ街だった。
しかして人の気配は全くせず、遥か先、ひときわ大きな尖塔の頂上から降り注ぐ光が街と彼女たちを照らし出す。
「多分、地下都市。この規模は流石に初めて見ますが」
空に吊るされた、しかし機能していない巨大な人工太陽を一瞥して、アンヴァーはいう。
そう、これは際限なく増えすぎた人類が居住するために建造されていた地下都市だった。
人類が増えすぎたなどと言われても、今ではとても信じがたいことだ。ヒスイたちが生まれるよりも前の話ゆえに、あまり現実感がない。
「確かに、ここまでのサイズは初めて見たぞ」
ここから人工太陽までの高さは概算で一㎞近くあり、唯一の光源たる白い尖塔は五百m級はあった。恐ろしい大きさだ。
「本当なら、どれくらいの人々が住んでいたんだろう」
他愛のない会話。しかし少女たちの表情には不安がよぎっている。
当たり前だ、この街はあまりにも人の気配を感じられない。
それこそ、今まで幾度も見てきた死んだ街たちと、何ら遜色が無いほどに。
それでいて、あの尖塔からは凄まじく嫌な予感がする。
しかして二人はそのことを話題に出さずに、逃避のための世間話を続ける。
「少なくとも数千万人は――」
そこでアンヴァーの言葉は遮られ、二人の顔に驚愕が浮かんだ。
頭に直接投げかけられたそれは、ノイズに塗れた、しかし懐かしい声だった。
『――私は塔の最上階にいる』
ただそれだけの、ひどく短いメッセージ。
しかしそれでもわかる。
「――父さんっ!」「――お父さまっ!」
その声がまごうことなき父のものであると。
「いきましょう!」「ああ!」
「父さんは」「お父さまは」
「「生きている!」」
一切の不安が晴れた表情で二人はうなずいて、尖塔までアスファルトで舗装された道路をまっすぐ駆け出す。
驚くほどの速度、道々を砕きかけないほどの勢いで少女たちはひたすらに駆け、あと少しで尖塔にまで達するその時。
「「――!」」
しかしその疾走は微かによぎった声によって止められた。
「……泣き声?」
そう、それはすすり泣くような泣き声だった。おそらくは、少女のもの。
「行こう、アンヴァー!」
「当たり前でしょう!」
ヒスイたちはすぐさまに目的地を変更し、その泣き声を全速力で目指す。
(そうだ、父さんもきっとそうしろって言う!)
私たちシータ・ロイドは人類を守護するために生み出されたのだから。
そのままビルとビルの間の路地を分け入り、その薄闇を躊躇なく、何度も何度も分岐して。
「いたっ!」
そしてついに、ヒスイは体育座りでうつむく一人の少女を見つけ出した。
(よかった、無事だっ!)
胸にあふれるのは歓喜と安心。先ほど父の声を聞いたときと勝るとも劣らない。
「もう大丈夫、一人で怖かったね! 頑張ったね!」
そのままその華奢で痩せた身体を胸に抱きしめるが、しかし少女は反応はなかった。
「……あの、大丈夫?」
少し不安げに言葉をかけるが、やはり反応はない。そしてそのかわり、
《――いきゅういいあああああっ!》
その手の中で少女は凄まじい熱とともにぐんにょりと変形した。
「――ッ!?」
しかして腕の中でねっとりと不愉快に感触を主張するそれは赤い半透明ではなく、
「何だよ、これっ!?」
未知の色合い――鈍色だった。
わけがわからなかった。
やっと生きている人間に会えたと思ったのに。あまりの喜びに抱きしめたのに。父さんもきっと生きていると思ったのに。
《いきゅいあいあああああああっ!》
なのにどうして、ヒスイの腕の中で湯呑を逆さまにしたかのような、ひどく醜い鈍色の化物がうごめいていた。
何だこれは。
見たことがない。
アルファに酷似した不定形の姿はしかし、半透明の赤ではなく、水銀のような鈍色。
その膂力はアルファの比ではなく、ヒスイを吸収しようと全身から触手を力強く放っている。
「離せっ、離せっ、化物がっ、くそっ!」
圧迫感と生理的嫌悪と死への予感が全身を包み込む。
しかしてヒスイは全身から溢れる怒りを持って足掻き、しかしてへばりつくようにその身体は離れようとしななかった。まるで溺れているかのよう。
(駄目だ、なんなんだよ、この化物っ……)
そのまま徐々に薄れゆく意識の中、少女は意識を連れ戻す咆哮を聞く。
「――ヒスイぃいいいっ!」
《いきゅいいいいああああっ》
その無防備な横面に向かってアンヴァーが渾身の蹴りを放ち、予想外の方向からの一撃に化物は吹き飛んだ。
「逝ね、化物ぉおおお!」
そしてそのまま、流れるようにアンヴァーの二挺拳銃が青の光弾の嵐を放つ。
直撃したアルファの細胞を電子レンジのように沸騰させ爆ぜさせる、必殺の魔弾。
このサイズのアルファならば一撃で屠れるはずの攻撃を数ダース。
地面にボールのようにたわみ叩きつけられた鈍色に避けられるはずもなく、
《いきゅういいいああああああっ!》
その光弾の怒涛が一つの撃ち漏らしもなく直撃した。
「――ッ!」
あまりの光に閃光弾を受けたかのように阻まれる視界の中、ヒスイは勝利を確信する。
(当然の報いだ。化物風情が人間に擬態するなんて、よりにもよってあんな方法でおびき寄せるなんてっ!)
間違いなくオーバーキルでありながら、しかしあの化物相手にはこれでもまだ足りないとさえ思えてしまう。
ヒスイは、アンヴァーの怒りを間違いなく共有していた。
守るべき人間の姿を取るなど、守るべき人間の姿でこちらを騙すなど、彼女たちシータ・ロイドを何よりも愚弄する蛮行だ。
ゆえにアンヴァーは化物を塵一つ残さずにこの世から消え失せさせるつもりなのだろう。
きっとヒスイでも同じことをしただろう、機械にあるまじき非効率。
それがもたらした焼けるような閃光が晴れ、
《いきゅうういいいああいあいあああああああ!》
アンヴァーに向かって触手の刃が襲いかかった。
「――アンヴァー!」
刃が目指す先は、アンヴァーのエンゲージリング。
まるで弱点を知っているかのように、その動きはあまりに正確にして高速。
一方、アンヴァーは致命的なまでに動くことは出来ず。
しかして光弾が通じない化物に致命の策はなく、それでもヒスイは動いた。
「――アクセル!」
翡翠の双眸を輝かせ、その手にチェーンソーを閃かせ、残像と青の粒子をたたえながら。
「……ここが最上階、か」
階段を登り、ヒスイが絞り出すようにつぶやいた。
ああ、ここに至るまで、一体何体の鈍色の化物を狩っただろうか。
アルファを遥かに超える戦闘能力の化物を。
時には眼前を埋め尽くすほどの化物を。
時には人間のまま頑なに姿を変えない化物を。
アンヴァーの両手には、敵を叩き割らんという強い意志を感じさせる、二つの戦斧。
ヒスイの右手には、敵を両断せんという強い意志を感じさせる、チェーンソー。
二人の全身に浴びせかけられているのは、真っ黒なヘドロのごとき体液。
連中は一切、爆裂弾の類を受付なかった。ゆえにその身体を回復不可能なほどに解体するために生み出した近接武装。本来ならば非効率の塊。
「………」
目の前には、一つの大きな扉。
ここに父がいるのだろう。しかしその扉を前にしても、身体が動かない。
「……ヒスイ、ごめん」
怯えの中に甘えを含んだ瞳で、アンヴァーがこちらを見る。
「……わかった」
本当はヒスイだって嫌だったが、しかしためらわずに扉に手をかけた。
不安と恐怖と期待を含めた、震える手で。
「……ッ」
扉は抵抗なく開き、そこには電子機器や実験器具のたぐいがあちこちに散らばった研究室が眼下に広がる。
「……久しぶりだね、ヒスイ、アンヴァー」
整理整頓を心がける彼らしくもない、足の踏み場もないほどに散らかった部屋、シータ・ロイドを格納するためのカプセルたちを背に、父はそんなことを告げた。
映像で見たときよりも隈も濃ければ頬もこけている、そんな痛々しい姿で、無理矢理に作ったような力のない笑顔で。
「――お父さまっ!」
「アンヴァーっ!」
そのまま突き進もうとするアンヴァーをヒスイは手で制して、ただ厳しく父を睨む。
「……何があったんですか、教えてください」
彼女がそう言うと、父は哀しげに目を一度伏せてから、しかしこちらを再び見据え、長い沈黙の末に、滔々と語り始めた。
「私は人類を救う鍵があると、確かに言ったな――」
『………』
そこから先、カプセルの中の少女――ヒスイは回想を拒否し、その意識は現実に回帰する。
役割を果たすことのできていた、かつての蜜月の日々の思い出。
「――頼みがあります、ガーベラ」
ガラス筒の中、ヒスイは第一世代シータ・ロイドたるガーベラと、つい先程まで回想の中でともにいたアンヴァーを見た。
(そうか、私は……)
そして、現状が回想と同じくらいに辛いということを思い出す。
このままでは、アンヴァーに囚われた今の私では、どうすることもできない。
「あのジャンク――ネフライトが記憶喪失になりました。記憶を取り戻される前に破壊してください」
『――ッ!』
琥珀の彼女の言葉に明かされる現状を知り、少女の頭には現状を打破するための天啓が確かに舞い降りた。
(……ああ、これなら、私は、ヒスイは、オメガを討滅できる)
《人類の黄昏と少女たちの蜜月Ⅳ》・完 第五章へ続く




