プロローグ《人類の黄昏と少女たちの蜜月Ⅰ》
『――喜べ、人類を救う鍵がここにある!』
西暦二〇六〇年、人類は滅亡の危機に瀕していた。
毒々しき紫色の曇天の空、その下に広がるのは見渡す限りほとんど無人の街。荒れ果てた廃墟だけがあちこちに広がる。
《いきゅううあああああっ!》
そこに一匹の化物がいた。
道路を直進するそれは、湯呑を逆さにしたような形で、赤く、半透明で、そして何よりも巨大だった。
巨大――それは高さは二階建ての民家を遥かに見下ろすほどであり、横幅は四車線の道路のほとんどを埋めつくし、奥行きもまた同程度。
そう、それはまさしく山のような、怪獣のような化物だった。
「…………」
そんな化物を近くのビルの屋上から見下ろす少女がいる。
ビル風に揺れるのは、日常の延長線上のような背格好。
結われた黒髪のポニーテイル、半袖のカッターシャツにリボンネクタイ、紺色のベストとプリーツスカート。
しかしてその華奢な足にはごつごつした軍靴めいた黒ブーツ、首元には無骨な鉄製のチョーカーがはめられて、埋め込まれた青い宝石がまばゆく輝く。
そのハイライトのない翠の双眸が睨みつけるのは、紛れもなく巨大な化物。そこに込められた感情は間違いなく怒りであり、殺意だった。
「……化物が」
つぶやくとともに、少女の翠が一瞬、まばゆく閃く。
すると次の瞬間、少女はその場から瞬間移動したかのように消え去り、
「――そこまで成長するのに一体何人食らった?」
化物の目と鼻の先に立っていた。
瞳の色はもとに戻り、しかし殺意と怒りは未だに健在。
その手にはいつの間にか、長大な銃砲が握られている。
彼女の身長ほどの長さを誇る黒鉄を、しかし軽々と。
その銃口と瞳が睨みつけるのは、当然のごとく目前の一〇m級の怪物。
《きゅうあああいいいあああ》
しかして巨大な化け物は塵芥のように小さな少女など意に介すことなどなく、耳を聾するノイズめいた叫びを上げながら地面を揺らして、ただ真っ直ぐ進む。
「――逝ね」
それに対し少女は全くひるむことなく、黒鉄の砲身のトリガーを引いた。
銃口より遥かに巨大な、少女を包み込むほどの青の光弾が放たれる。
化物にとっては豆鉄砲でしかないはずのそれは赤い身体に向かって直撃し、
《――いきゅああああいあいあっ!!》
今ままでとは全く異質の絶叫が街を揺らした。
耳朶を犯す、何度も聞いた、しかし聞き慣れない、不愉快な声。
身を捩るようにうねうねとうごめき、まるで大地震のような地鳴りを起こす。しかしそれでも、少女は小揺るぎもしなかった。
見やればその腹には大きな穴が開いていて、その周囲はまるで石炭のように真っ黒に焦げている。
《いいいあああああっきぃいいつ!》
再び耳を聾するノイズのような解読不能の叫び声。怒りのニュアンス。
同時、炭化した部分がボロボロとこぼれ落ち、どの穴はあっという間に半透明の赤にふさがってしまう。
そのまま化物は津波のごとく、先ほどとは比べ物にならない速度で前進した。
それでも少女は表情ひとつ変えずに、ひたすらに黒鉄の砲身から光弾を放つ。
「………!」
十数発。だが、彼らが生み出した傷は先程より遥かに早く修復されていった。
まるで攻撃に対し最適化を行ったかのように。
《いきゅいああああいいあああああああ!》
そうして少女が無駄な射撃を行っている間にも、彼我の距離は絶望的に縮まっていき、死へのカウント ダウンは刻々とゼロに近づいていく。
このままでは少女はこの赤く半透明の巨体――通称”アルファ”に捻り潰され、その仲間のような惨状になるだろう。
「――人類の癌が、調子に乗るなよ」
しかしそれでも少女は一歩も動かず、再び両目を翠に閃かせた。
《人類の黄昏と少女たちの蜜月Ⅰ》・完 第一章へ続く