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サヨナラの形がサクラのハナビラなんて・・・

作者: 史奈

どこかの誰かが言っていた、「僕が生きていなくたって、世界は落ち込むこともなくいつものように刻一刻と時間が進むだけだ、何も変わらない」って。私にはその意味が分からなかった。

桜の花びらが私の頬にあたって風に乗ってまた舞った。踊っているかのようにゆらゆらと飛んでいく。私は淡い青色にグラデーションの白がかかっている綺麗な空を見つめて目を閉じる。一本奥の道はこの街では大きい交差点が広がり、駅に続く。家に帰りたい多くのサラリーマンや、飲み会するための打ち合わせを楽し気にする新入社員だろう若い集団、彼らの騒がしい足音と声、信号の音と車のエンジン音が入り混じって聞こえてくる。

私は、そんな賑やかな場所から少し離れた公園の桜の木の下にいる。ここは人がほとんどいない。私は目を閉じてその静けさに身をゆだねる。夕日が沈む…燃えるようなオレンジが瞼の裏にまで届く。風の音に耳をすませると桜の花びらたちの話し声が聞こえてきそうな、不思議な世界観に迷い込めそうだ、そうしたら君と会える、そんな錯覚に陥るのは君とここで出会い、ここを君がずっと見続けていたからだろうか…、あまりにもこの桜が君みたいに綺麗だからかな…そんなことを桜の花びらに問いかける、もちろん心の中で。その答えを桜は教えてくれない。勝手に私が桜を擬人化しただけで、桜は話すことは出来ないのだから当たり前だ。でも、その瞬間風が思いっきり吹いて、花びらが私の頬に当たる。どうか、どうかお願いです。もし、あなたが空より上の天国という世界に旅することがあったら、彼に伝えてください、「私の人生は変わりました。」と…私は当たった桜の花びらをとって見つめて、そう話しかけて空より上に行けと思いっきり腕を伸ばして手を離した。ハナビラは風に乗って夕日の光に消えた。


「行ってきます」

私の声に反応する人は誰もいない。一人暮らしなのだから当たり前で、声がした方が怖い。でも、その現実が小さなころから寂しい。近くのマンションの下で幼稚園のバスが停車し、お母さんたちが子供に手を振りながら笑顔で「いってらっしゃい」と甲高い声を出している。私はそんな声で見送られたことが数えるほどしかない。だからそんな光景を見ると胸のどこかでチクチクと細い針で刺さられるような痛みが走る。3月にしては暖かい気温が続いていたここ最近、晴れが多かった。薄手のコートで毎日快適に過ごせていた毎日だったのに4月に入って急に気温が下がった。こういう人恋しい日に限って曇り空で少し寒い。『なんか気分下がるなー』そんなことを私は思いながらカギをポケットにしまい、学校に向かう。家から学校までは20分、だいぶ近い。いつものようにお昼のおかずだけを近くのお弁当屋さんで買って学校に向かう。そんな登校中、一人の少年を見つけた。金髪でも白髪でもないがその間のような銀色やグレーの髪色が彼の存在感を強調している。桜の木を見つめている彼の姿がなぜか悲しげでどこかで見たような背中だった。だからほっておけなくなって彼のもとに近づく、でも彼に会ったことのない私は初対面の人に声をかけるほどのコミュニケーション能力も勇気もないから彼の後ろで伸ばしかけた手のやり場に困った。そんな私のことに気づいたのか、優しい声が彼から聞こえた。

「そこで何をしているの?」

桜の木を見ているから彼の顔は分からない。でもその声は綺麗な声だった。聞いていて心地のいいそんな透き通るような男の子の声だった。彼の白銀の髪が冷たいような温かいようなそんな風にあおられ揺れた。揺れると光の加減で髪の色に違いがあることが分かる。銀色のところも、グレーぽいところもまたは金髪に近い色もあった。でもどの髪も染めた色という感じはしない。染めたことがある人なら分かると思うが違和感というのがないのだ。だから彼の髪は地毛なのだと分かった。

「何をしているのかなって、私はあなたに思ったの」

私は私の声のずぶとさに驚き落胆しながら同じ質問を彼に投げかける。彼はその言葉にクスリと笑って桜の木から目線を移した。私と目と目が合う。彼の目もだいぶ色素が薄くて綺麗な目をしていた。澄んでいるそんな言葉がぴったりな瞳だった。

彼は整った顔をしていた。高すぎないが低すぎない筋の通った鼻に、白いハーフのような肌、堀の深い目、大きな黒目がきつい印象をなくし愛嬌のある瞳に仕上げていた。(まあ、彼の場合黒目というのか謎だが…)彼の周りは何故か落ち着く不思議な空間がある。騒がしく流れる朝の日常が遠くに感じる。近くの交差点は駅に繋がる。だからこの時間の交差点は騒がしい。忙しい毎日に多くの大人も学生も優しさとか、愛とか、情とかそういうのを忘れて、欲とお金と権力と近い未来しか見ない。だからぶつかったそれだけで舌打ちが出て、駅の改札にチャージし忘れて止まる誰かを睨んで、電車の中で大きな音で曲を聞いて現実に向き合うのを恐れたりする。そんな騒がしい朝が私は嫌いだ。でも彼の近くを流れる朝という時間は、そういった騒がしさを忘れさせる、彼だけの時間の空間があるように優しい、そんな感じがしてなんか、懐かしかった。風が吹き桜の木がざーと揺れ、花びらが舞うそれと同時に胸が鳴る。

「はい、ついたよ」

彼の白い掌から現れた桜の花びら、彼の手が触れた前髪に自分で触れる、その時に感じた胸の高鳴りはない、恋に落ちるそれでは片付かない胸の高鳴りが鳴ったのだ。どこか遠い思い出に涙を流すそんな、懐かしい感覚にじわーと心を熱くするそんな胸の高鳴りだった。

そう例えば、小さな子供時代に、この世界は私が中心で、この世界のお姫様なんだと信じていたあの頃に、朝を迎える感覚。何もかも優しくて調和のとれた素敵な世界に見えたこの世界で迎える朝はこんな感じだった。エンジン音とか誰かの舌打ちとかそんなものは聞こえていなかった。聞こえていたのは、鳥の声と花と葉っぱのお話、犬の大きな声に猫ののんきな声、そしてお兄ちゃんとお父さんとお母さんが呼ぶ私の名前…それだけだった。

私は彼の声を忘れないように彼の声を心に刻んでいく。それでも私は不安に駆られる。落ち着く場所を手放すなんてことは簡単にできない。安全安心そういう言葉をどうしても私は選んでしまう。スリル満載の人生とかスパイスの効いた人生とは遠いものでありたいと心から思う。そんな臆病な私は彼に聞いてしまう。

「また会えるかな?」

彼は数分間私をただ見つめた後、

「僕はこの桜が好きだから、ここにいるよ」

そう言った。

私は、その不思議なオーラに圧倒されて、彼の綺麗な瞳を見続けて目をそらしてみた。そんな私を彼は優しい笑みで見送ってくれているのが分かる。なんだか照れ臭い、そんなほのぼのした心持で学校に向かう。

それでも授業はいつもどおり憂鬱なものに変わりはなかった。自分の専門分野に特化したところを先生は永遠と語り続けるそんな授業だ。

憂鬱な授業中、彼のことで頭がいっぱいだった、だから正直先生の話は一切入ってこなかった、だからなのかいつもより早く授業が終わっていく。

全ての教科を終えて電車に乗り込む、電車はあいも変わらず満員電車で息苦しい。今日という日がここにいるサラリーマンやOLにとってどんな日だったかを私が知る由なんかないが彼らの顔が何となく明るく見えた。

彼は私が学校から帰ってきた17時20分にもその公園にいた。相変わらず、桜を眺めていた。

「まだここにいたの?もう寒くなるよ」

暖かいとはいえまだ4月だ夜になれば肌寒くて上着がなくてはやっていけない。それでも彼は午前中と変わらない格好でただ桜を見ていた。そんな欲のない彼の姿がミステリアスな彼をさらに謎にさせていく、彼の生きている世界観がまるで私とはずれているかのような、人間味のない雰囲気が私は好きだった。隣にいて落ち着く、彼はそんな存在だ。

私は彼に声をかける。彼の見ている桜の木の斜め後ろにあるブランコに私は腰かけた。彼は朝とは違って私の声を聞いたらすぐに見てくれた。

「おかえり」

その言葉が温かい。そう感じてしまうのはそう言ってもらえる機会がなかったからだろうか…。

この世界には愛を感じる沢山の言葉がある。“好き”、“愛してる”・・・沢山の言葉があって、そんな言葉を何度も聞いてきた、それでも満たされることのない私の心はいつの日か誰かの言葉を聞かなくなって、自分の言葉以外信じなくなって心を閉ざすようになってきた。

「なんかいいね、おかえりってさ」

彼からの言葉だったからなのかそれとも“おかえり”という言葉だったからなのか、それともその両方だからなのか分からないが、彼の「おかえり」は冷え切った心に温かいお湯を注いでくれているかのように優しい言葉だった、その言葉は冷えた心を溶かしてくれて、満たしていく。

ココアを大切な誰かとただ同じ時間、同じ空間それらを共有しているだけで心がぽっと温まるそんな温かさが彼の言葉にはあって、それと同じ温度の、やけどしないでもぬるくもない体温より少しだけ温かいそんな優しさが“おかえり”にはあった。

彼の言葉は魔法のようだななんて思ってしまうのは、人恋しい冬の夜のせいだということにしておこうと思う。

私は、おかえりの言葉の温かみを20年間生きてきて初めて知った。だから本当に嬉しかったのだ。小学生の日記みたいになってしまったが、本当に心が温まったのだ。

「いいよね、この言葉。僕も好きだなぁー」

彼はいつの間にか私の隣でブランコに乗って私を見ていた。大人になってこうやって公園に来たのは初めてだ。公園は子供にとってはものすごく広くて、大人に支配されない唯一の逃げ場な気がしていた。こうして大人になって公園を見てみると小さく見える。

「でも、僕は言われたことないかな」

彼が小さく笑った。その笑みが笑っていないことはすぐにわかる。だって彼の目は悲しんでいるようだったから。

「私も、言われたことがない」

きっと私も同じ顔をしていただろう、小さく笑う仕草。でも、本当は気づいて欲しいだけなのだ。慰めてほしわけでも、かわいそうと言われたいわけでもなくただ、ここに私という人間が生きているということを誰かに気づいてほしい、それだけなのだ。きっと彼も同じだ。そんなことを思っていたが彼は私の心以上に寂しさを持っているように見えた。その何かと言える核の部分の話を彼は言ったように見える。でも風に舞う桜吹雪の音が邪魔をする。さっきまでの彼の声とは違って、小さな彼の声は私の耳まで届かない。

「まあ、もう僕には…」

彼はなんて言おうとしたんだろう、でも彼が思いっきりブランコの上に立って立ち漕ぎをし始めた。

だから私も真似した。今は何となく、言葉の駆け引きとか忘れて子供でいたかった。無条件に愛情がもらえる子供でいたかった。夜の公園くらいいいではないか、私たち以外ここにはいないんだから・・・。

彼がブランコの上で深呼吸をし始めた。私はその様子を横目で眺めていたら、彼は思いっきり息を吸い込んだ。桜の花びらがその呼吸に吸い込まれるんじゃないかと思うくらいの勢いで、そのまま声量に変わって叫んだ。

「生きてやる」

彼の言葉はものすごく重いものだった。彼が何を思い、何を体験してきて思ったことなのかは私には分からないことだ。でもその言葉の重みは私が軽々しく聞けるものではない気がした。でも、彼の言葉が空中に浮かんだままな気がして、それは何となく悲しい、そんな気がしたから私は自分のことを叫んでみた。

「家族なんて、大嫌い」

今まで誰にも言えなかった言葉…きっとこのことを叫びたくて叫んだのだ。さっき私が思ったことは嘘だ。私は決して彼の言葉が可哀そうだから叫んだのではない、ずっと、理不尽なこの世界が嫌いでだから誰かに伝えたかった。それだけだ。だからさっきの“彼の言葉が空中に浮かんだままな気がして、それは何となく悲しい、そんな気がしたから私は自分のことを叫んでみた。”という言葉を取り消すことにする。

彼は私の顔を見ながらブランコを揺らしている。そしてふっと笑った。優しい彼の髪が街灯の白いライトに当たって薄いベージュに見える、それがさらに彼の笑みを優しく見せた。

「似ているなぁー、僕たち」

私は彼の考えていることが分からなかった。彼の言った、生きてやると、私のはなった大嫌いは真逆とまではいわないがプラスな考えとマイナスな考え方で反発しあう意見な気がするのに彼は似ているという。彼はやっぱり不思議な人だな~なんて他人事のように思ってみる。でもそんなのはどうでもよかった。彼は私に「おかえり」という言葉をくれた、それだけでこの公園が特別な場所に変わった。今まで何の思い出もゆかりもなかったこの場所が特別な色を放っていた。

『なんとなくこの場所が好き』それだけでいいではないか。感じていく。まるで時間と自分とこの公園、そして彼が調和をとって溶け合うようにそんな優しいメロディーがここに流れていた。

初対面な彼にここまで心を許してしまうのはなんでなんだろうか…

そんなことを優しい音色に占領される頭の中で、まだ意識がはっきりとしている部分で考えてみる。でもだんだんそれは不鮮明になっていくのが分かる。

そんな時間を私たちはただ何かを言うわけでも、緊張するわけでもなくただ流れる時間を感じていた。どのくらいの時間がたったのだろう。名残惜しいそんな気持ちが美しい音色をクライマックスまで持ち込んでいく。

「そろそろ本格的に夜になるね…」

彼はぽつりとでも私に届ける言葉としてはっきりと言った。

「そうだね…」

私は彼と同じくらいの声量とトーンで答える。

「でも、恋しくなるだろうな~家でさ」

そんなことを彼はつづけて言う、少しの間を開けて私は答える。

「桜?」

「この桜と君が…」

私は彼の顔を見て、すぐにそらす。彼は緊張するそぶりもなくただ素直な言葉を言ってみただけだよと言わんばかりに、ただぼーっと夜を見ながらそんなことを言うからさらに私だけが緊張してくる。そんな私は何も言えずにいる、本当に情けない、恋愛音痴がこんなところであだとなるとは思わなかった。

「だからもう少しだけここにいたいなんて思ってしまう…」

彼はあいも変わらず夜を眺めながら言った。

「わがままかな?」

そう言葉にしたとき、ブランコの鎖が音をたてた。彼が私を見ていることが暗闇の中でも分かる。私は体が思いっきり熱くなる。無意識に暗闇の中で彼の本心を探したくなってやめた。怖いからとか、期待が外れたらどうしようとかそんな思いからではなく、彼の目があまりにも綺麗だったからだ。曇りのない彼の澄んだ瞳はこのサクラのハナビラなんかちっとも比にならないくらい綺麗だった、その瞳に吸い付けられた瞬間に思ったことは“恋に落ちた”とか“好きだと思った”とかではなくて、“彼には、彼だけは幸せになってほしい”そんな願い事だった。

「もう少しだけなら…いいよ、別に…」

可愛げのない私はそんな可愛くない言葉を心とは裏腹に吐き出してしまう。それでも彼は

「ありがとう」

とさらりと言ってのけるから心が一気にキュッと締め付けられて、ドクンと鼓動を鳴らしてしまう。

七夕もクリスマスもましてや誕生日でも何かお願いしたり頼んだりしたことはなかった私は神様なんて信じたことはなかったし、サンタさんもきっとこの世の中には存在しないんだろうな、と小さなころから思っていた。そんな私は今と変わらず可愛げのない女の子だった。それでも今私は人生初の願い事が出来た

『どうか彼が幸せでありますように・・・』

自分で自分を幸せな人生だと言えない私はきっと彼を幸せにすることなど出来ない、でも彼には幸せになってほしい、私に魔法の言葉をくれた人だから・・・

そんなことを思いながら私はあと少しだけの時間を彼と過ごした。


大人になって見る公園はものすごく小さくて同時に古びて見えた。でも、そこにはおかえりから始まる愛がありました。

そう、私は今日のことを日記に記して明かりを消した。



次の日、昨日と同じ時間に出ると彼はやっぱりそこにいた。昨日の夜ブランコを漕ぐことに疲れた私たちは少しの間無言で過ごした後、彼は「帰りたくない家でも帰る場所はここじゃないからね、帰ろう」といって公園の門を出て別れた。今日も昨日と変わらず桜は咲いている。彼は昨日と同じくずっと桜の木を見つめていた。だから彼の家はどこかにあるのだろうが9時30分には公園にいるということが続くと本当は帰っていないのではないかと疑う。だが、今日は昨日みたいに風もなく思いっきり晴れた快晴のせいで昨日とは打って変わって暑い。彼の服装が昨日より軽装になっていて変わっていたことが証拠で家に帰ったことが分かった。

今日の授業は遅れるとめんどうな先生だったが何となく彼と話していたかった。

先生と呼ぶのはなにも学校にいる教師だけではないと私は思う。物事を教えてくれる人物を先生と呼ぶのであれば学校にいる人だけが先生ではないだろう。彼は私にとって先生のように何かを教えてくれる存在だった。いやもしかしたら学校にいる先生よりも先生と呼ぶのに正しい人なのかもしれない。

同い年くらいの彼だが、彼は生きるということを、怒鳴り散らすことだけが得意な教師よりも知っている、そんな気がした。だから私は生きる意味を彼から教わりたかった。

「学校はいいの?」

彼は私を見てそう言った。

「うん、いいよ。どうせ授業受けたってなにも学べないもん。家を出たい、それだけの理由で受験した大学じゃあ、何にも得られない。」

「家を出たい?」

彼は私の言葉を繰り返した。

「えっ?」

彼は私の言葉を純粋な目で繰り返した。

「ええ」

私はなぜかその純粋な瞳に惹きつけられた。彼は私に笑いも憐みの目も向けていない。

「本当はいつか家に居場所が出来ると期待していたんじゃない?」

彼は私にそう言った。もう私の顔なんて見ていない、彼は桜の木を見ながらそう話し始めた。「本当は家にいたかったんじゃない?」

彼は桜の木を見つめながらどんな表情でこの言葉を口にしているのだろう。

「ここにいることに後悔しているんじゃない?そうやって強がっても何も生まれないよそこから生まれる何かがあるとしたらそれは惨めな思いだけだ。」

何で彼は私の思っていることをそのまま読み取ってしまうんだろう…。私はそんなことを思った。聞き流せばいい、今まで私はそうやって生きてきた、それが不正解だなんてことを20年間思ったことはなかった、それなのに彼の言葉はどんな時も無視できない。

彼の言葉は的確だったそれだけが原動力で無視できないでいるのかどうかは分からない、でも確かに彼の言葉は的確で無視できないといのが現状だった。

私は惨めになって、怒りがこみあげてくる。身勝手なのが身に染みるほど私は怒っていた。自嘲していたことにすら気づかれていた、見透かされていたことが恥ずかしくて熱くて、怒りに変わった。私は逃げたのだ。緊張しながら生きる毎日に飽きて、怖くて、だから逃げた。

「そうだよ、分かっているよ、逃げてきたことくらい知っているよ?それの何が悪いの」

私は思いっきり叫んだ。でも彼は、ただ、黙っている。それが余計頭にくる。その彼の表情が優しくて綺麗だから、私はさらに惨めになる。

「父親は私が生まれてすぐにお兄ちゃんを連れていなくなった。母親も私がいることが重荷になるなら産まなきゃよかったのに産んじゃって、おばあちゃんに親の責任くらい果たせって言われたからっていう理由で再婚できないって嘆いては子供を作って、まるで反省しないし、早く20歳になれって言うけど、時間は一定のリズムでしか進まないもん、仕方ないじゃない。

私はこれ以上どうしたらいいの?居場所だけがなくなっていく。

だけどそれでもどこかで期待していたの、20歳までは私はあんな母親でも私の母親でいてくれると、私は子供でいられると、おかえりもいってらっしゃいもない家だけどいつかは普通の家みたいにそんな言葉が飛び交う家になるんだって、今は忙しいからお母さんに私の存在が見えてないだけだって信じていたいんだよ、だめかな?そうやって何かに縋ることも逃げ道なの?」

想いが叫び声になって次々と溢れ出る。それらの叫びも泣き声も全てがうるさくて自分で自分が嫌になる。言葉になっていない言葉たちが並んで正直自分でも何が言いたいのか分からない。でも、こうなってしまったらプライドが邪魔して引き下がれない。だから彼の言葉が来る前に私は何か話していようとした。でも何を話しているのか自分でも分からないから続きも思い浮かばなくて、結局次を話したのは彼だった。

「君にとって辛い出来事だった、だから逃げていいと思う。逃げるという言い方は後ろめたさがあると思うけどその方法は最も頭のいい道じゃないかな?わがままに生きていい時間って人間にはあると思う、それが君にとっては今なのかもね…」

彼の言葉は説教染みてなくて、だからって、憐れんで言った言葉でもなかった。

だから、プライドから生まれた怒りはもうなかった。こういう人というのはいるものなのだ。人の悩みの核の部分を不思議なオーラを纏って入り込み、心の中でふわっと核を包み込んで怒りを抑えられる人というのが。

私はただ泣くことしかできなくなった、そんな私を彼はゆっくりと抱きしめた。

「大丈夫、君は1人じゃない」

彼はそう一言だけ言ってそのあとは何も言わずにただ抱きしめ続けた。

彼の鼓動と彼の小さな呼吸音が聞こえる。安心する、私は愛されている、私は今、優しさをかみしめている、そう実感できることは想像していた以上に幸せなことだと知った。

彼が私をはなそうとした、公園に誰かが来る音がする。話し声が聞こえる、だから彼は私を離そうとしているのだということが分かっているそれでもあと少しだけ…。

「人が来るよ?」

彼は変わらない声で私に話しかける。

「分かってる、でもあと少しだけ…」

そう言うと彼は優しくでもさっきより思いっきり私を抱きしめて

「大丈夫」

そう私に言った、桜が舞うなんてなんて幻想的なんだろうか…、たった1言で、たった6文字で私の世界は綺麗に彩る世界へと変わるのが分かる。

そう私に言った後私を彼はゆっくりとはなしていく、本当に少しずつ。愛しいという想いが言葉にしなくても伝わるように丁寧で優しいそんな“愛している”を彼は私に届けるようにゆっくりと私をはなして私を優しい瞳で見つめた。

「学校に行けそう?」

「うん、でもあと少し、ここにいたい」

「うん」

彼は桜を見つめた。

「ねぇ?」

「うん?」

「自己犠牲の愛って信じる?」

「難しい質問だ」

彼は苦笑いを浮かべながら私をみて言った。私は少しの時間彼を真剣に見つめる。

「そうだな…」

彼はなんていうのだろうか…

「もし大切な誰かに自分がされたら信じないと思う、綺麗な言葉で包んで自分の傷口をしっかりと絆創膏貼っているように思うかな…ずるいなって思う」

「君の幸せを心から願っているよって言われたらどう思う?」

私は彼の顔を見れなかった、私の心にある大きな傷、思い出したくなくて閉じ込めている心の大きな傷、だから嫌なくらいに緊張する、その音が嫌なくらいに耳に聞こえてくる。どうして心の傷というのは治らないのだろう、癒されないのだろう、解決したと自分の中で自己処理できないのだろう。

彼の大きな呼吸が聞こえた、息をのむそんな呼吸音が聞こえる。

「でも、自分に何かあってその大切な誰かを幸せにできないという事実を直視しなきゃならなくなった時僕は言う気がする、『この世界で1番幸せになってほしい』と…

この世界で1番残酷な言葉になるとしても言ってしまう、その誰かが自分のことを忘れないでほしいと思うから、その誰かに覚えていてほしいと思ってしまう。繋ぎとめていたいと思ってしまう。思い出にならないように、繋がっていようと足掻きたくなってしまう」

彼は泣いていた。彼の心が読めない、なぜそんなにも泣くのだろう…。

「なんで泣くの?」

「したことがあるからだよ、この世界で1番愛していた人に…もう会うことのない女の子にしたからだ、君が今思っているようにきっとその子も泣いているかもと思ったらやりきれなくなる」

私は何も言えずにただ彼の隣にいた。

そして彼にかける言葉を見つかるまでただ桜を眺めることにした。

桜はただ風と共にただひたすらと風と共にどこかへ旅しようと風に乗っている。

綺麗だ…。

ただ呼吸をしているだけ、勉強しているわけでもない、誰かと熱く何かを話しているわけでも、燃える恋をしているわけでもない、それでも時間は平等に流れている。ゆっくりとでも桜は1枚1枚空へ飛んで行っている、それを眺めていると、時間が流れていることを和やかな心で感じる、見ることのできない時間の流れというものを・・・。

「桜…綺麗だね」

私は彼にかける言葉を20分くらい考えたうえで自然と出た言葉を選んだ。いきなりの的外れな私の言葉に彼は泣くことをやめてきょとんとしている。

「えっ…」

「桜だよ、桜…私、今までそんなこと思ったことなかった。君の隣で見る桜はとっても綺麗」

私は彼にそう言った。

「君から見るこの桜は何色をしている?輝いてる?」

私は彼にそう疑問形を投げかける。

彼は私に向けた泣き顔をゆっくりと桜に向ける。

「涙で反射する桜は悲しく見えるものだと思ってた…でも思っていたよりも綺麗な桜色だ、涙で反射しているこの光は希望の光のように輝いて見える、この景色を君とみているからかな…桜は1人で見るより誰かとみていたい、こんなにも立派に咲き誇っているのだから…」

彼はそう桜を見ながら恥ずかしがる様子もなく言いのけた後私にあの憎めない笑顔を向けた。

私はその言葉、笑顔何もかもに心を奪われて目を背けた。彼といると調子が狂うのにその狂い方が心地よかったりするから、調子が狂う・・・

「この桜を、あの子は見ているかな…」

彼はそうそっと言った、私はどこか寂しい思いをのっけてその言葉を聞いた…

彼が私を思ってこの桜を見ていないことを分かっていてもそれでも期待していたい彼の言うあの子より私がほんの少しでも彼の中で大切な女の子であることを・・・

私はサクラのハナビラが私のスカートの上にのってきたのでそのサクラのハナビラを少し軽く握ってこう唱えてみた

『彼の、大切な女の子が私でありますように・・・』と流れ星に願うように3回唱えてみた。




彼は土曜日もそこにいた。

金曜日は小テストがあった私は、彼におはよう、だけを伝えて学校に向かった。そのまま学校の帰り友達と飲み会をした私は家に着いたのが12時を過ぎていたから公園に彼はいなかった。なんとなくその日の夜母親に電話をした。彼の逃げ道は逃げ道じゃないという言葉が頭から離れなかったからかお酒の力でかけたのかそれは正直分からないが私は携帯を握り、かけていた。12時が過ぎたというのに母親は電話に出た。

「あんたが、電話かけてくるなんて珍しい、どうした?」

母親は私にいつものように言う。でも何となくその声は鼻声に感じた。でも私はほとんど母親と顔を合わせていないし、合わせても何を話したらいいか分からなくて、会話がないから母親の声がどんなだったか確信がなくて鼻声に聞こえることは黙っておいた。

「お金は足りている?」

母親の声が続く、「ちゃんと食べてる?学校はどう?好きな子できた?」そんな調子のいい母親の声が一気に低くなって「病気とかにはなってない?」という声が連なっている。

曖昧にうんとか、いいやとかで全ての疑問を流せたのにこの「病気になっていない?」の質問を曖昧に流そうとしたとき、

「それじゃあ分からないでしょ」

と母親は軽く怒った。私はびっくりして勢い余って母親と同じような声で心でとっさに思ったことを言ってしまう。その言った言葉をどこまで私は頭で理解しているかは分からない、同時にどこまで本気でそれを思っているかも分からない。とっさに出た言葉には無責任という言葉が最も似合うのに、いつだってその言葉に責任を持たされるのが現代社会だ。

行動的な私からしたら生きにくい社会だ。

「若いんだから、病気なんてかかってないよ、どちらかと言ったらお母さんの方でしょ病気の心配は」

と私も負けじと言うと

「私はまだそこら辺のおばさんより若いのよ、仕事だって若い子に負けてないんだから」

と負けずに返ってくる。こういう負けず嫌いなところが似ているからぶつかり合うんだと分かっていても負けず嫌いなものは何故かすっと引き下がれないのだ。でもなぜか負けず嫌いの母親が「そう、元気にしているのがその声で分かったわ、よかった」と落ち着いた優しい声になった。それに驚いたが、喧嘩にならずに済んで良かった。喧嘩というのをどこからいうかわからないが私達にはこの程度の言い合いは日常茶飯事なので喧嘩ではないと思っている。

久しぶりの電話くらい喧嘩なく終わりたいのはお互い様だ。

「あんたもう12時過ぎているのよ、夜更かししないで早く寝なさい」

そう言って電話は切れた、一方的に切られた電話に私は「なによ、あんただって起きているじゃない」と誰もいないこの部屋で1人叫んで携帯をベッドに投げた。やっぱり喧嘩にはなるらしい。母親とは気が合わない、そう思いながらシャワーを浴びる。

だんだん酔いも冷めてきて冷静な私がこう問いかける、なんで夜更かしはお肌に大敵と言って、家事もせずに仕事から帰ってきてお風呂はいってすぐに寝る母親が12時過ぎても起きていたのかが引っ掛かった。そして彼女の鼻声と4月3日が気になって関連ずけている何かの糸口が見えそうなのに、その日は徹夜のテスト勉強に疲れていたから眠ってしまった。だから私は彼に聞いてみることにした。私の先生に…

4月4日(土)

「君は、ずっとここにいるね」

そう言うと彼は、君はお酒の匂いがするよ。と嫌味をしれっとあの可愛らしい整った顔で言ってのけるから、怒ることを忘れてしまって何も言い返せなかった。

「好きなんだ、桜が。でも葉桜になり始めちゃった。」

彼はゆっくりと続ける、「この桜が散ってしまうことは悲しい、そう思う僕がいるけれど、もし僕がここからいなくなっても悲しむ人はきっと誰もいない世界は落ち込むこともなくいつものように刻一刻と時間が進むだけだ、何も変わらないよ。僕はこの桜以下だ。」

彼の言葉の中で核に触れるフレーズを初めて聞いたかもしれない。

「何があったの?」

私はそう聞いた。

「うん?そのままさ、僕は死ぬんだよ、この桜が散るころには…きっとね」

彼の言葉はあまりにもさっぱりしていて、ためることもないから事の大きさが伝わらない。でも彼はしれっと怖いことを言った、死ぬと…

「死ぬってどういうこと?」

彼は桜の花をまた見つめた。でもさっきまでの彼の桜を見つめる視線とはまるで違って見える。綺麗だから見ているのではなく自分の命としてみているとしたのであればきっと祈るように見ているのだろうと思うとその表情は悲しげに見える。

「小さなころから、心臓が弱くてね…僕もお父さんがいなかったからさ、いい治療も受けられないしね…」

彼は桜を見ている、だからしっかりと彼の表情は見えない。小さな子供たちが11時近いこの時間、お母さんと手をつないでやってきた。近くには父親だろう男の人もちらほら見える。賑やかな中に、まぎれる私たちの声は何もない、普通のありきたりな日常会話がなされているように見える。そのくらいこの場所に、ふさわしくない話だ。だから何となく彼の手を引いてこの賑やかな場所から消えたかった。

あたりは桜の木もないただの住宅街だ。でも、彼の名前も、住んでいる場所も何もかも知らない関係の人を私はどこに誘うべきなのだろうか、急に子供たちの賑やかな声が恋しくなる。彼は私の止まった足を見てか、こっちと逆の方向に足を進め始めた。私の手を握って…

「ここ、僕の好きな場所なんだ」

そう言って、見た景色は普通の住宅街の石段で猫がにゃーおと声を発するその光景はたしかにほのぼのしいが別にきれいとかそんな感情が言える場所ではなかった。でもそこはさっきの公園の近くで、ほどよく子供たちの声が聞こえ、BGMとなる。落ち着ける場所だった。

「今日17時くらいまでいられる?」

彼は平然と言う、だが時間は11時、お昼ご飯は?とか疑問が浮かぶが私はうんと答えた。彼の隣にいたかったから、理由はそれだけだ。人と人の繋がりは何事もタイミングだ。顔とか仕事とか年齢はオプションで記号に過ぎない。友達になれたのも、誰かと恋に落ちるのもそれは何かの形で話したり、すれ違ったりするから生まれることで、なんのタイミングもなく人と人とのつながりが生まれることはないと私は思っている。だからこんな、自分の気持ちとか勘を大切にするべきだ。頭で考えたところで運命というタイミングはやってきてはくれない。

「生きるための方法は何かないの?」

「手術を受ける…」

「受けないの?お金の問題で?」

「それもあるかな、でも受けたくないんだ、君と一緒、逃げ道だ。」

私は何も言えない、彼の逃げ道は私の理由と一緒にできるようなものではない気がして、急に恥ずかしくなって何も言えなかった。

「でもね、これでいいんだよ、僕は美しいものを美しいと思って死ねるんだから…」

「桜…?」

「いいや、桜は美しいけど、寂しいものに近いかな、僕からしたらね…美しいものは内緒にしたい、僕だけの、秘密にさせて」

彼は笑った。そのふわっとした笑いが死ぬなんて言葉とは無縁で、綺麗だった。私は彼の笑顔が一番美しいと思った。

私は話をそらしたくて、昨日の話をした。

「私、昨日の夜お母さんに電話したの、そしたらいつも夜はすぐ寝ちゃうお母さんが起きてたの、4月3日この日だけはお母さん絶対眠らないの…」

そう小さな時からお母さんは4月3日だけは遅くまで起きていて、明かりもテレビもつけずにただ静かにお酒を飲んでいた。

「4月3日か…」

彼は渋い顔をしたから、私はふと戸惑った。何かがつながった気がした。でも、その何かが分からなかった。

「いいね、君は素敵な恋も、傷つく恋も、汗水流して働くことも、褒められることも学ぶこともこれからたくさんできるのだから…生きるってさ、きっとものすごく辛いと思うんだ。恋だっていいことばかりじゃなくてさ、儚い恋もあって泣くこともあるしさ、仕事は謝って怒られて、怒る毎日に悩むときもあるだろうし、でも家族のために嫌でも働かないとならないとかさ…いろいろあると思うんだ、でも死ぬ日が近いものからするとさ、羨ましい1日なんだ。生きることに抗う毎日で、恋とか仕事とかに抗えない…恋とか仕事に抗うための大前提が生きることだとしたら、君たちは生きることに抗うことはないだろ?僕は不完全だ」

彼の声はいつもどうりで、変わらない優しくて聞き心地がいい声だった。だから余計に寂しく見えた。彼は私が話を避けたことに気づいて、話を戻したのにはきっと伝えたかったのだろう、生きるということがどれだけ奇跡に近いのか…。彼の言うとおり、私たちは恋に仕事に学びに抗うために当たり前のように息をし、心臓を鼓動させている。鶯が美しい声で鳴くことが当たり前のように、私たち若者は生きることを当たり前として生きる、でもそれは当たり前ではきっとない。でも私たちは忙しくて騒がしい毎日に健康に生きることは当たり前だと錯覚させている、それ以上の欲を出して願う、もっと仕事が上手くいけとか、結ばれたい、結婚したいと…それがわがままなことだということにすらいつの間にか気づかなくなる、自分だけが恵まれていないように見えるから、誰かの幸せだけが見えて、誰かの悲しんでいる姿も、努力している姿も見ないで呼吸をする、その生き方がどれだけ恵まれ、贅沢かも知らないで…

私は彼にかける言葉がなくてどうしたらいいか分からなかった。そんなとき、目の前に駄菓子屋があることに気づいた。

「食事制限とかある?」

「まあ、でも手術受けるわけじゃないし、とくにはないかな」

彼はそう言った。私はにこっと笑って手を差し出した。

「一緒にあそこに行きたい」

私は近くの駄菓子屋を指さした。

「でも、僕お金持ってないよ」

彼はポケットを裏返しにして訴えた。でも駄菓子屋だ、大したお金じゃない。

「いいよ、少しくらいおごるよ」

私は言うと、彼はいいの?と言いながら遠慮しているのが伝わる表情をしている。

「いいよ、行こう?私のお願い」

私は彼にもう一度手を差し伸べる、その手を彼は握ってくれた。その手の温かみが温かかった。彼はたしかに生きている、そんな彼がいなくなるなんてことは想像がつかない、なんて儚い世界なんだと胸が苦しくなる。

駄菓子屋でそれぞれお菓子を買ってそれをお昼ご飯にした。きなこ粉棒に、モロッコヨーグルト、酢だこさん太郎、フルーツ餅…たくさん買った。駄菓子屋さんという老舗な感じの駄菓子屋で、デパートの中に入っているような雰囲気だけの駄菓子屋ではなく、おばあちゃんとおじいちゃんがやっていて、気軽に話しかけてくれる感じのほのぼのしたそんな駄菓子屋さんだった。

「初めてのお客さんだね」

おばあちゃんは、ここに来る子供たちの顔を覚えているのだろうか、だとしたらだいぶすごい。私はここに来たことはないが、小さな子供がここにきてあれが欲しかったのに違うのが出たよと男の子たちがはしゃいでいたり、何にしようかなと悩んでいる女の子や、あたりだとはしゃぐ低学年の女の子とよかったねと笑うお母さんそんな姿をよく見かける。今はお昼前というのもあって子供たちは少ないが、3時近くになると沢山の子供たちがおばあちゃんと話している姿を見かける。そんな人気のお店で、覚えているならこれはおばあちゃんにとって天職だと思う。彼も同じことを思ったのか、こんなことを言った。

「みんなの顔を覚えているんですか?」

「まあね、もうこんな年だからね、物忘れがすごくて、名前は出てこないけどね、ここに来てくれた子たちは、自分の子みたいなもんさ…あんたたちも、そんな存在さ、でもあんたらはわしらの愛なんかもらわなくても、愛があるからいいか、居場所があるっていうのはいいもんだよ」

おばあちゃんは何か勘違いしている。でもおばあちゃんの言いたいことはよくわかる。居場所があるというのは幸せなことだ。そう最近思えるようになった、今までは居場所を作ることが怖かった。正直なことを言うと今もなお怖いというのが本音だ。

今日考えていたことも次の日になったらころっと変わってしまうこともたくさんある。だから明日には怖くなくなっているかもしれないし、明後日には怖さが増しているかもしれない。だからそんな人間たち同士で作り上げる居場所というのは何かをきっかけにあっけなくなくなってしまうかもしれないのに友達ごっこ、恋愛ごっこそうやって『ごっこ』という形だけでも居場所を作ろうとするのが人間なのかもしれない。でもそれは形だけだからだんだん窮屈になってくる。自然な自分じゃなくて、作り上げられた自分というのだけが前を歩きすぎた結果、本当の自分が目立たなくて、誰も本当の自分を受け入れてくれないのではないかという錯覚に陥る、それを目の当たりにし続けた人生から私はこう学んだ、『誰のことも信じるな』そうしたら自分から居場所を作らないように予防線を張る。傷つくことはなくなる、でも同時に悲しくて、寂しくて傷を負った、孤独という傷を…。

そんなとき彼が現れた。「おかえり」と魔法のような言葉で孤独の私を救い上げてくれた。それは本当にふとした瞬間で、気づいたら居場所だった、それがきっと居場所というものだ。そもそも無理して作ることがまちがっているのだ。ごっこという形で無理やりでも居場所を作って、演技をしている自分をさらけ出して居場所を固定した気分になっても結局はそこが居場所じゃないことに気づく。そして人間は醜い生き物で、弱い人間をみて私はまだ上に立っていると見栄を張ってごっこを続け、傷つくことのエンドレスゲーム。孤独を恐れて人はこのゲームに参加する、でもそこから生まれるものもまた孤独…。人はどうしてそんなことにも気づかないほどに孤独を恐れるのだろうか…

彼はそんな私の考えを見据えたかのように、「孤独は怖いよ、どんな大人でも、無邪気な子供でもね。」といった。もしかしたら無意識に言葉になっていたのかもしれない。恥ずかしことは恥ずかしがそれならそれでいいかと思えてくる。それが自然な私で、彼と一緒に流れる時間は私にとって温かい居場所だから。

「居場所がないと消えたくなる…意味わかる?」

私はぼーっと日常の景色を見ていた。綺麗な晴れだそんなことを思いながら言った。いや呟いたの方が正しいかもしれない。

「私が大学を受験した理由覚えてる?」

「家を出たいからだっけ?」彼は優しい声で私と同じ景色を見ながらそういう。

「不純な動機だって笑うよね」

彼はあの時と同じ笑ってもなく、憐みの目でもないそんな瞳だから、心の中の辛いという想いが駄々洩れしていく。この思いは私の自嘲だ。自分が惨めで、この世界をなめて見ているそれが分かっているからこそ私は強がった。そうでも、しないと自らのあざ笑いを直視しなくてはならなくて、そんなのに耐えられないなのに彼はそんな私に純粋な瞳を向ける。だから、惨めで泣きたくなるのに彼の瞳は本当に穢れがなくてだから信じたくなる。彼なら私の心を優しく包み込んで変えてくれると、きっと私から離れていかないでいてくれると…

「別に僕はそうやって生きる意味を見つけて、成し遂げられるということはすごいことだと思うし、誇るべきことだと思うから不純な動機なんて思わないけど君は自ら不純と言った、それがきっと答えだよ。でも君なら大丈夫、変われるよ。」

やっぱりだ、私は泣きそうになるから彼から視線を移す。それでも彼は絶対に隣にいてくれる。

優しさを感じたり愛を感じるときといのは抱きしめあい、キスをすることではない。ただ相手を思って、その人のために自分が何をできるのか考えることだ。そこに必要なのは誰かが考えた完璧なデートプランという形でもお金でも、高貴なアクセサリーでもない、ただ「大丈夫」や「おかえり」、「ありがとう」当たり前で大切な言葉に思いを込めることだ。それだけで世界は変わって見える。

駄菓子屋から帰ってきてさっきの石段に私たちは腰を掛ける。12時の鐘が鳴る。私達はそれぞれの駄菓子の袋を開け、「いただきまーす」とのんきな声で私たちは手を合わせた。そして彼がさっきの続きであろう言葉を発した。

鐘の音は鳴りやみ、のんきな猫は大きな口を開けてあくびをしている、小さなトラックが商店街の道を走り、八百屋の前で止まる。そこでおじさん二人が大きな声で何かを話し、笑いあっていた。

そんな何気ないいつもどおりの日常なのになんでかな?彼の笑みが悲しげにみえるのは・・・。

彼の横顔が悲しいくらいに優しいほほえみだからこの日常が日常じゃなくなるのだと、彼はもう悟っているようで、彼のさっきの「死ぬんだ」の言葉が頭によぎる。

「孤独って怖いし、出来れば体験したくない感情だけどさ…その感情はその時にしか感じない感情なんだよ。強がって、寂しくないって言い張るのも、悲しくなって自虐するのも、泣くのも、怒るのもそれは一生懸命この世界で生きている証拠なんじゃないかな…いつか孤独が孤独じゃなくなって本当の居場所を見つけたときあの時感じた孤独が懐かしくて、優しく微笑みを浮かべてさ、ありがとうって言えるんじゃないかな…」

彼はそうどこか遠くを見ていった。まるでそんな未来が僕には来ないとでも訴えているかのような表情だ、それが私には悲しくて見ていられなかった。

「きっとそうだね、私はいつかの自分が少し前の私にありがとうっていう自分が何となくだけど想像つく。だって君と会えて居場所の“居”を見つけられたから、もう見失わない気がするんだ…居場所を。君とみる未来の先には居場所がある気がするから…私も君も過去の自分に“ありがとう”が言える日がきっとくるよ」

私は、君にもう生きれないとあきらめてほしくなかった。きっと彼が感じている不安は私の思っている100倍もの不安だろう、でもその不安のほんの少しでも希望があるから彼は私に死という言葉を言ったのではないかと思う。生きたいと思っていたから…だからそのほんの少しの希望を私は私の言葉で大きくしたかった。彼に魔法をかけたかった、彼が私にしてくれたように。

彼は、私の顔をまじまじと見つめて、やがて目を大きくしたのが分かった。

「それは、告白?」

彼は笑いながら、言った。でもその笑いは嫌な笑いじゃない。だから私は「そうだよ、だから…生きて…」私はまじめにそういった。彼は笑うことをやめて、私の顔を見つめた。整った顔だな…初めて会ったときに感じた感情がよみがえってくる、ものすごく凍っていた私の心が何か温かいもので溶かされていくあの、じわーとくる何かがよみがえり、今、溶けた。

「ありがとう」

彼は、そう言って、「その返事は、手術が終わったら答えるでいいかな?」彼は手術と言った。私はえっ?という声がでかかった、その様子を見てか、「怖くて受けたくなくて、その前に死ぬつもりだったんだ…病院の屋上から飛び降りようって思ってた。僕がここに今いるのは、死ぬ前の自由な時間だ。手術をしても助かる可能性がほとんどない僕に与えられた意地悪なくらいに残酷な時間、学校とかも行ったことがほとんどない僕に行く場所なんかなくて、もう生きる意味も分からなかった。だから、死のうって思っていたんだ。ただその前にあの公園の桜を見たかった。入院していた時に見た綺麗な桜を間近で見たかった、というより桜が、見に来てって言っているように感じたんだ。どこかで、生きたいと思っていた僕の最後の抵抗で、抗いだったと思う。」彼は目を閉じた、そこに桜の花びらが彼の透き通る髪の毛にくっついた。

「そんな桜の木の下で君と会えた、少しずつ抗いたくなったんだ、死と生のはざまで…でもやっぱり怖かった、死にたくないという想いが増えれば増えるほど手術が怖くなったのがよくわかって、ものすごくこの人生を悔やんだ、でも君と出会えたのも僕の人生だからで君の隣に少なくとも今いれたことはこの先どんな道であろうと変わることなく君の未来に繋がっている、だから孤独じゃない、僕も、君も。」

届いた、君に…私の言葉が…私はそれだけで嬉しいよ、そういう代わりに笑った、涙を流しながら…私はただ笑った。

それからどれくらいの時間が流れたのだろう、沢山の人がこの道を歩いて今は人がぽつぽつとしかいない、時刻は16時45分、彼は来たと立ち上がったから私も立ち上がった。そこには太陽が沈むその瞬間がまるでものすごく美しい絵画や写真の切り抜きのように目の前にあった。でも絵画でも、写真でも伝わらないのはこの街を太陽の一色に染めているここから見えるすべての景色の迫力だ。太陽から離れた空は青と白とグレーのグラデーションで夜を迎える準備をし始める。でもそれに戦うかのように、抗うかのように、太陽は沈みながら、少しでも長く私たちに光を与えようと燃えていた、私はその景色に自然と涙が出た。今まで見たどんな太陽よりも美しくて、命があったから。

「この景色さ、遠い昔に行き別れた妹と死んだお父さんと3人で見た景色なんだ、その時僕は知っていた、妹と別れなくてはならないことをだからこの景色がものすごく悲しいものに見えたんだ、でも今は違う、希望を訴える景色に見える。」

彼の言う過去を私は知らない、でも何となくわかった、それは私も似たような立場だからという理由だけなのだろうか…

「明日から僕はここや公園にはいない、でも1年後戻ってくるから、変わらずにいて…桜の木でまた会おう、そのときは名前を呼びあおうよ、僕はあおい、篠原あおい。」

「ゆらの、辻倉ゆらの」

私は名前を素直に言った。その瞬間彼はにこっと笑って、「君が、ゆらか…」そう言って笑いながら泣いていた。その呼び名は私の母親が私を呼ぶときに使う名前、なぜ彼がその呼び方を知っているのか分からなくて私はただ戸惑った。桜の花がものすごく風に舞って少し離れたここまで公園の桜が舞ってくる。彼が自分の命と一緒に思っている桜はもう葉桜になりつつある…彼はその桜の花びらをどんな思いで見ているのだろうか、あまりにも綺麗な彼の横顔で彼の考えが分からなかった。私は空を見た。もう太陽は沈んでいた、深い青が顔を出していて、夜を知らせるように星が輝いていた、この景色を私はどこか遠い記憶で知っているそんな気がした。いや、彼と私をつなぐ何かがあってほしいと願ったのかもしれない。それでも消えないこの感覚に私は目をつぶった。いつかそれを思い出して、この日を笑える日が来るだろうか、来て彼と手をつなげる日が来るだろうか…私は瞳の奥底で暖かい涙が流れるのを感じた。それでも私は拭うことも忘れて今というこの一瞬を感じていたかった。彼が触れてくれた、髪も、掌も、彼の視線を一心に受けた瞳も何もかも温かくて、優しくて、かけがえのないものになり始めたこの日を忘れないように、かみしめるように…





「もしもし」

私はお母さんに電話した。

「ゆらが同じ月に2回も電話かけてくるなんて、明日は雪ね」

お母さんはそんなことを言いながら、ごはんの支度でもしているのだろろうか水を流す音や、何かを炒めている音が聞こえる。4月に入り桜も咲いているというのに雪はないだろうとツッコみをいつもなら入れていたが今日はそんな余裕はない。それより先に私は知りたいことがあった、篠原あおい、きっと彼をお母さんは知っている。

「篠原あおい、お母さん知っているよね?」

お母さんの手際のいい料理の手元が止まるのが分かった。私は確信する、これから聞くことはきっと悲しい現実だ、でも知らなくてはならない。

「ゆら…なんで知っているの?あおいのことを…」

何かを落とす音、新しい彼氏の声が聞こえる、「お前どうしたんだ」きっとお母さんは泣いている、その情景が見える。私の義理の弟のなく声もかすかに聞こえる。新しい彼氏が私の電話に気づいて「ゆらのちゃんかい?お母さんに何を言ったんだ?」いつもの私とお母さんの喧嘩しか見ていない彼は半分喧嘩だと思って私に怒り口調で電話に出た。私は引き下がれない。負けず嫌いで良かったと初めて思う。「今、あなたは部外者です、篠原家の話ですから、お母さんと変わってください。」

私はそう言い切った。彼はどこまでお母さんから過去の話を聞いているのだろうか、でも彼は私の威圧に負けてか、子供を連れて2階に行ったのが分かった、静かになった電話にお母さんが「もうゆらも20歳だもんね…、今から家の近くの喫茶店来られる?」そう私に問いかける。近くの喫茶店それはお母さんの家のいわゆる私の実家の近くの喫茶店のことだ。一人暮らしの家から1時間30分かかる実家だが今の時刻は18時21分、20時には着くだろう。普通ならわざわざ嫌いな実家に戻るなんてことはしたくないが今は何もかもを知りたかった。私は「分かった」と言って電話を切った。お財布と携帯、鍵だけをもって家を飛び出す。あたりはもう暗かった。星が見え始めるにはまだ早い。空がまるでまだ人間たちに働けというように、空を紺と藍の中間色に保っていた。私は駅まで全速力で走る。春なのに走ると夜の風も冷たくは感じられなくて長そで出来たことを後悔する。

改札、ICカードの甲高い音だけが私の耳に入ってくる。その甲高い音の数以上の日常の音がこの駅には溢れているはずだ、ヒールの音、お店のドアが開く音、飲み屋の勧誘、誰かの笑い声・・・なのに私の耳に届くのは甲高いその音だけだった。私の頭は、走ることとあおいのことしか考えていないみたいだ。

電車に乗り込むと、サラリーマンたちで電車を埋め尽くしている。電車に乗ってしまうと自分で早さを調節することは出来なくてやることのないこの状況下に変に頭だけが働いてしまう。「早く、早く、早く」私はじっとすることが出来なくて足にその想いが出てしまう、そんなこともお構いなしに私は心の中で唱え続ける、「早く、早く」と・・・。

着いたときは20時30分だった。お母さんは静かにでも慌てていることも緊張していることも分かる顔でコーヒーを飲んでいた。私に気づくなり軽く手を振った。私の慌てぶりを見てか、久しぶりねとか季節のあいさつや再会の言葉はなく本題に入る。

「あおいは、あなたの実のお兄ちゃんで私の子よ」

お母さんは静かに言った。その時店員がやってきたから私はお母さんから目をそらさずにコーヒーをと言った。店員は「かしこまわりました」と告げ消え去った。

「あおいは生まれたときから、心臓が弱かった。生まれたときの体重もなくて、本当に小さくて10代生きれないと言われたの、私は泣いて、泣いて、泣いてもうどうしようもうないくらい荒れたわ。そして何度も自殺しようとした。私が時計とブレスレットを右にしているのは知っているわよね?」

そう、お母さんは右利きなのになぜか必ず左に時計をせずに右にするのだ。なんで?と問いかけてもお母さんは答えてくれなかったことを思い出す。店員がコーヒーを持ってきた。私は軽く会釈する。

「それはね」

お母さんは店員がいなくなるのを見て言葉をつづけながら時計をとった。ブレスレットも…そこには深い傷が3本あった。赤く、血でにじんだ腫れた傷は痛々しかった。

「これを隠すため、でもこれはあなたや仕事場の人に見られないようにするためじゃないわ、私自身が見えないようにするためよ」

お母さんの見る傷と私が見る傷は同じでもきっとそこには一生分かり合えない深い溝がある。一度でも死んでやるとナイフを突きつけたことのある人間とそうではない人間には分からない何かがきっとある。その傷において私が分かるよと言える日は自分が自分でナイフを突きつけてみないと絶対に言えない。死を恐れない人間にならないと言えない言葉だろう。人間は死を恐れるでも、死にたい人間にとって死は恐れではなく希望そのものなのだから。簡単に死にたいなんて言っている私にはそのナイフの重さすらわからない。

「あなたのお父さんはそんな私を見て、私を助けるためにあおいを一人で育てることを決意して葵を連れていなくなったの。覚えてる?あなたとお父さんとあおいで今あなたが一人暮らししている家の近くの石段でお父さんが言った言葉…」

このときすべての記憶がよみがえるのが分かった。星が瞬いたあの日を…

「お前は、何も知らなくていい、だから素敵な恋をして、人生を謳歌しろ、それがゆらのが生まれた意味で、あおいとお父さんの願いだ…」

お母さんと私の声がハモってこのお店に流れるジャズの音楽にかき消された。お母さんは驚ろいた顔をした後、葵と同じふっと目をそらしながら優しい微笑みを浮かべた。確信する、お母さんの子だと。

「私はね、その時入退院を繰り返してて、そのことはいなくなったお父さんが家に残した手紙で知ったわ。私は立ち直れなかった、母親として女としてダメな自分に耐えられなかったの。」

お母さんは涙を流す、メイクが落ちることもここが喫茶店なのも忘れて、感情の赴くままに…。

「あなたには、辛い思いを沢山させたわね…」

お母さんは私を見つめてそう言った、そして続けた。

「あなたは、私のせいで沢山の自由な時間を失ったわね、ごめんね…」

お母さんの言葉はもう言葉になっていなかった、それくらい言葉が涙にかき消されていた。

「でも、あなたが私をお母さんだとそれでも呼んでくれるなら、素敵な恋をしてあなたの幸せを応援させて…母親としてあなたの純白な綺麗なドレスを傍で見たい…それは私の願いで、生きる希望よ、あなたがいたから私は今ここでこうして生きてられるの、だからどうか、素敵な恋をして、私のようにはならないで…」

「お母さん、私はやっとお母さんの子供になれたね、私はやっと篠原家の長女になれた。私を生んでくれてありがとう」

私は、孤独な私に微笑んだ、「お兄ちゃん、私は居場所を見つけたよ…」

お母さんは、私の言葉に今度こそ泣き崩れた、最後には歩けなくなるほどの泣き崩れようで、店員の力を借りてやっとの思いで外まで出たくらいに泣いていた。いつもの完璧なキャリアウーマン感も女感もなくそこにいたお母さんは母親の顔をしていた。しわくちゃで、メイクも涙でよれよれだが一番きれいなお母さんに見えた。そして外に出たお母さんはこんなことを言った。

「4月3日はね、お父さんとあおいが出ていった日よ、あの日だけは何年経っても眠れないの…困っちゃうわね」

そう苦笑いを浮かべてお母さんは暗い夜の道を隣で歩いている。その心はきっと泣いている。昔の自分を恨んでいる。

「お母さん、多分あおいも忘れていないと思う。」

あの日、あおいに4月3日のことを話したあの日の彼の渋った顔を思い出す。

「えっ?」

お母さんは私の顔をずっと見て自然と涙を流したのが分かった。暗くて、しっかりは見えないお母さんの顔だけど涙の雫が街灯の光で光った。その雫はものすごく綺麗で、空に浮かぶ星のようだった。


1年後

あおいは帰らぬ人となった。あの公園の桜の木の下で私は一人の男の子と手をつないで家に帰りたい多くのサラリーマンや、飲み会するための打ち合わせを楽し気にする新入社員だろう若い集団、彼らの騒がしい足音と声、信号の音と車のエンジン音が入り混じって聞こえてくるそんな騒がしいほどの声と音を聞く、ただじっと桜を眺めて…。私は思う、私はお兄ちゃんに会って何もかもが変わったと、この世界がこんなにも美しく暖かな世界だって初めて思えたあの日を私は瞼の裏側に浮かばせていると泣いていることに気づく。

隣にいる彼はどんな顔で私を見ているだろうか、こんな感じで繋がりあった家族の絆を彼はどう見るだろう…。

彼は私の話を半年前に聞いた。その時彼はこんなことを言った。

「お兄さんは亡くなってしまったけど、心は生きている。だってゆらのは自分で自分を探しているしお母さんと親子に戻った、これはお兄さんとお父さんが望んだ謳歌な気がする。」そう言った、そして「ゆらののお父さんを俺は尊敬するよ、最後の最後までお兄ちゃんのことも、ゆらののことも、お母さんのことも、最後に愛した女性のことも静かにただ信頼して信じていた、それってさ、ものすごく強くないとできないことだと思うんだ。だから俺はゆらのを愛したんだと思う、家族の愛を一心に受けたからゆらのは強くて優しくて、そんなゆらのに俺は惚れたんだ」

と…彼は言った。

愛の形といのは直視することが出来ない分難しいものがある。でも“ただ信じるだけ”その“だけ”というのは案外辛くて難しいことを20年も生きてくると身に染みて思う。時間というものは残酷で、時が流れれば流れるほど、楽しかったことが思い出になればなるほど、待つことが怖くもなる、私の父はそれを成し遂げた、それ以上の愛を私は知らない、愛の究極を父親は父親なりに貫いたのだ、私に同じことが出来るかどうかは分からない、でも私は今隣にいてくれる彼を大切に思いたい。ゆっくりでいい私は私なりの究極の愛の形をみつけだしたい。そしていつかその愛の形を自分だけでなく彼と共有する愛の形になれたらいいなと思う、私達は私たちなりの方法で。

彼の言葉で私は1年後、お兄ちゃんとの約束の場所に行くことを決意した。来ることはないお兄ちゃんに会いに来たのだ。

目を開けるとそこには私と同じ顔をした、泣いている女性がいた、桜を眺めていた。そして私に「ゆらのさん?」と声をかけた。私ははいというと、封筒が渡された。

「あの子はあなたに、希望をもらったと話していました。あの子は、最後の最後まで笑っていました、それはあなたのおかげだったのね」

彼女がお兄ちゃんの育ての親で、お父さんが愛した人、優しい笑みを浮かべて光った涙がお兄ちゃんと同じで彼女から香る洗剤の香りもお兄ちゃんと同じ、彼女は血以上の時間という繋がりで私の知らないお兄ちゃんとの時間を歩いていた、それが羨ましくて、ただ羨ましかった。そのことがまた涙に変わって、本日2回目の涙を流す。彼女は私の彼氏を見てまた私の顔を見た、「あの子分まで、幸せになってくださいね」彼女のこの言葉で何もかもが繋がった。そんな気がした。

お母さんとお父さん、お母さんとお兄ちゃん、お父さんと彼女、彼女とお兄ちゃん、彼女と私、私と彼氏そしてゆらのとあおい…

「お兄ちゃん、この世界はお兄ちゃんがいなくなって涙色に染まりました。あなたが生きていた証拠にみんなの心のどこかで命がこう言います“生き抜け”と…だから、私は幸せを自分でつかみます、見守っていてね。」

私の真上にある星が思いっきり光って桜が舞った。



届け、私の想い…届け、天の上まで…





               ゆらへ

この手紙は、お父さんと僕が愛する妹にあてて書いた手紙です。

まず“ごめんね”ゆらが公園で叫んだ言葉、家族なんて大嫌いそう思わせてしまったのは僕らのせいだね…ごめんね

でも、どうかそんな僕とお父さんを許してくれるなら

お前は、何も知らなくていい、だから素敵な恋をして、人生を謳歌しろ、それがゆらのが生まれた意味で、あおいとお父さんの願いだ…この言葉を忘れずに生きてください。

そしてもう一つこれはお父さんではなく僕の言葉です、僕の美しいものを美しいと思って死ねたのはゆらののおかげだよ…この世の中で一番美しいのは君の笑顔だ、だから幸せになって…




「お前は、何も知らなくていい、だから素敵な恋をして、人生を謳歌しろ、それがゆらのが生まれた意味で、あおいとお父さんの願いだ…」


お父さんとお兄ちゃんより


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