第八話 黒の魔王 Ⅵ [炎]
デュエルが天井も歩かず、しっかりと床を踏みしめてやってきたのは玉座の間。
一応の礼儀だ。なにより、玉座の間は天井が高すぎる。
そこにはすでに、最高潮に不機嫌そうな顔で玉座に体育座りしているこの城の主がいた。
「あー、炎様?金色様は」
「知っている」
やや食いぎみに不機嫌な声が返ってきた。
デュエルは懐から黒色の駒を取り出してレーヴェのほうへと投げ渡す。
「いえ、伝えてくれと言われたのでお伝え致しますとも、へそをまげたままの魔王とは戦えないから勝ち逃げする、とのことですよ」
レーヴェは飛んできた駒を片手で受け取り、睨み付ける。
駒はなにも悪くはないし、言付けを果たしたデュエルだってもちろん悪くない。
いや、レーヴェがどれだけあの勇者のことで不機嫌であるか察していてゲームの提案をしたデュエルは多少なれ悪いやつだ、とレーヴェは思い直して、深くため息をついた。
「"貴方は"いったい何を言われたのですかな?」
一方デュエルのほうは悪びれもせず切り込んできた。
前言撤回、デュエルは間違いなく悪いやつだ。レーヴェの赤い目がじとりと黒い箱を睨み付ける。
先程より割り増しで不機嫌そうな雰囲気になったが、最早デュエルは気にしない。不機嫌を度数10として、ここから1や2上がったところで大した差ではないと思ったのだ。
「………………」
長い長い沈黙のあと、
「……"真実を伝える"と、言われた」
不機嫌、というよりも、やや怯えたようにレーヴェは目を伏せる。
それは先日の聖界での話。
久々に旅ができてうかれていた。それはレーヴェ自身が認めるところではある。
少女の家があるというあの森で、
明らかな敵意をもって忍び寄ってくるなにかは、自分に用があるようだった。
気配を殺して勇者と少女から離れ、
現れたのはふくろうの顔をもった熊のような巨体。
「森を燃やすつもりはない、と先に伝えておくが、他の用件であれば私は忙しいから手短にしろ」
取り囲むように複数の巨体が、しかし森の中だというのに物音もなく現れる。
驚異ではない、だが無意味に争うのは目的に反している。
しかし巨体から発せられるのはふくろう特有の転がすような声だけ。
「言葉は発せられないのか、文字通り話にならんぞ」
レーヴェはややイラつき始めていた。やりたくもない推理ゲームに興味はない。
しかし、森の奥からもう一回り大きな個体が現れて、嘴を開いた。
「元ノ場所ニ帰レ、異ナル王ヨ」
コロコロと喉を鳴らしながら、耳障りの悪い声でソレは喋った。
帰れなどと命令口調なのも腹が立つし、
自分が王だとばれているのにも最高に腹が立つ。
レーヴェは不機嫌を隠すことなく顔にだし、周囲の気温がわずかに上がる。
それに怯むことなく、ふくろうは続けていった。
「主ハ彼ニ世界ノ真実ヲ伝エルダロウ」
その言葉に、レーヴェは赤い目を大きく見開いた。
驚愕、動揺、そういったものを隠すこともできずに。
「馬鹿な、馬鹿なことを言うな、貴様それがどういう意味か、理解していっているのか」
そんな明らかな変化も気にかけることもなく、
ふくろう頭は淡々と言葉を吐き続ける。
それはまるで、伝えられた言葉を復唱する鳥のごとく。
「後デ知ルノモ、今知ルノモ、同ジコト」
レーヴェにとってその言葉が、
なによりも恐ろしい刃であることも、
おそらくこのふくろうは知りもしないだろう。
「私が、この森を焼き払ってでも止めに行くと言ったら」
一気に周囲の温度が上がり、ぶわりとレーヴェのコートが翻る。
まわりのふくろうたちは怯えたように後ずさるが、大きなふくろうは相変わらず不気味な目でレーヴェを見つめている。
「無駄ダ、主カ娘ノ案内ガナケレバ奥ニハ行ケナイ」
レーヴェも本当に燃やす気はない。
ただの脅しのつもりだった、
が、その意味もなかったようだ。
この旅には明確なルールがある。
ひとつ、魔王であると知られてはならない
ひとつ、勇者が魔王と旅をしていると思われてはならない。
たとえばこのまま森を燃やしたとして、それは魔王の力に他ならない。
たとえばそれで勇者のもとにたどり着けたとして、あの勇者は勇者として魔王と対峙しようとするだろう。
きっと「お前を信じた俺がバカだった」何て言いながら。
勇者が魔王を信じるなど、あっていいことではない
とりわけ、この世界では
しかし、このふくろうの言う『世界の真実』が勇者に知られることこそ、レーヴェにとって最も恐れることだ。
しかし、それを阻む手段をとれば、別のルールを破ることになる。
いずれにせよ、レーヴェの望む展開はどの選択を取っても訪れない。
(詰み、か……)
ドクン、ドクンと有りもしない心臓がつよく脈打つ気がして、レーヴェは唇を噛む。
せめても、と真っ赤な目がふくろうを射抜くように睨み付ける。
「モウ一度言ウ、元ノ場所ニ帰レ、異ナル王ヨ」
コロコロと、喉をならしてふくろうは最後の言葉を告げた。
「オ前ニ出来ルコトハ、ナニモナイ」
デュエルに顔があったら、今どんな顔をしているだろうか。
同情で歪めるか、愉悦でにやつくか、それはレーヴェにもわからないし、たぶんデュエル本人にもわからない。
静寂が発生する中、だがそれでも、デュエルはなにも言わずに歩みより、細く高い身を折り曲げて屈んでから落ち着いた声で言う。
「大丈夫ですよ、彼は思っている以上にきちんと物事を考えていらっしゃる」
火の消えた赤い目が開かれ、黒い箱を映す。
デュエルは小さく小首をかしげて見せてから、
「それに、彼はなにも真実など聞いていないようですよ」
レーヴェに正しい事実を伝える。
「は」
思わぬ言葉に思わぬ声がでてしまうレーヴェ。
デュエルはこくりと頷いた。
「彼が言われたのは"勇者を全うしろ"、という話だそうで、まあたしかに真実かもしれませんが、貴方が怯えるものとは別のものだと思われます」
ぱちくり、と何度かまばたきをして、
「ゆうしゃを、まっとうしろ?」
聞き返す。
デュエルはもう一度こくりと頷いて見せた。
しばらくして、レーヴェは事態を飲み込んだのか、大きく大きく息を吐きだした。
「ええ、まだ大丈夫ですよ、彼はまだ勇者であり続けるでしょう」
デュエルは優しく柔らかい声で言った。
「まだ、ゲームを終えるには早すぎますから」