第八話 黒の魔王 Ⅲ
もう何部屋目になるだろうか。
エーは扉を開ける。
部屋のなかは小さな(エーの寝泊まりしている宿に比べると数十倍はある)客室だった。
道中の使用人に魔王が来たかどうかを訪ね、できるだけ魔王が探していない部屋を探して回ったが、
成果はなかった。
(ついさっきまでちょっと良い雰囲気で探す気になってた俺恥ずかしいなー)
はあ、とひとつため息を吐いてから客室の中に入る。
どこをどう切り取っても高級感のある客室で、適当なタンスを開けて中を確認する。
なにも入っていない。
ほかの棚や、机の引き出しを見るも、中身は空気だけだ。
エーからもうひとつため息と、言葉が溢れる。
「魔王の側につくな、勇者を全うしろ……」
繰り返される、自身を締め上げるような、まるで呪いにでもかかったかのような言葉。
誰かと会話していれば意識がそれていたそれも、一人である今は当然のように起き上がり、望んでもいないのに背後に立つ。
「そうするのが正しい、とでも言われましたかな」
そう、本当に背後から声がした。
「うぉわあ!!??」
エーは今日一番に驚いて飛び上がった。
ドタンバタンとタンスだの棚だのに足を引っ掻けながら振り返ると、
そこにあったのは黒い箱だった。
いいや、何時間かぶりにみる、黒の魔王デュエルだった。
「デュ……デュエルか、びっくりさせんなよ……っていうか」
エーはデュエルを見上げて眉を寄せる。
エーにとってはあまりに不可解で始めてみる光景だった。
「なんで、さかさま?」
デュエルは、"天井に立っている"のだ。
ぴしりと着こなした燕尾服に一寸の乱れもなく、当たり前のように天地が逆さまになっている。
見ているとこちらが間違っているのかと疑いたくなるぐらいだ。
「空が無い場合にはおおよそこのように」
「んな当然のように言われても……」
デュエルはきれいなお辞儀をしてみせる。
まったく落ちてくるような気配はなく、当たり前のことであるかのような反応にエーは困惑の表情で返した。
「まあ私のことは一先ず。なにかお悩みですかな金色様」
大袈裟な動作で手を広げ首をかしげる黒い箱頭。
先ほどの言葉といい、おそらくエーの独り言を聞いていたのだろう。
聞かれていたのはたしかだが、話していいものか。
エーはぐぬ、と唸るが、すぐに諦めたように息を吐いた。
聞かれていたのだから、話さなくたって同じだろう。
そう判断したのだ。
「まー、経緯は省くんだが、勇者らしくしてろって言われたもんで」
頭を掻きながら答えるエーに、デュエルは顎(に当たる箱の底の縁部分)に手を添えて考えるような素振りをする。
「それが納得いかない、と……どおりでお二人とも……」
ぽつりと黒い箱から呟かれた言葉を拾い、エーは怪訝な顔をする。
「二人?」
「ああ、いえ、そこはお気になさらず、大した問題点では御座いません」
デュエルは頭を横に振り、再度思考するような仕草のままエーに向かい合う。
「金色様、ひとつ説教を垂れてもよろしいですかな」
「はあ?……いや、まあ魔王から説教されるのは慣れたからいいけども……」
突然の意図の汲めない提案、エーの怪訝な顔は継続だが、それ事態は不服にも「最近良くあること」のひとつなので拒否する気はあまりなかった。
デュエルはこほんと咳払いをする仕草をして、こう切り出した。
「金色様、現実とは、認識した瞬間から発生するものです」
デュエルは両手の人差し指と親指を立て、交互に突き合わせて「四角」を作る。
「中身のわからない箱のなかのものに手で触れる……そこで中身が何なのかを聞かされ、納得してしまえば箱の中の感触だけでそれと認識してしまうように」
エーはなんとなく覚えがあった故にその説明に頷いた。
たしかに鞄のなかは手探りだけで目的のものは見つけられるし、案外違うものを手にとってしまって驚くこともある。
「私は天井は歩けるものだと認識しているので、天井は歩ける、ただそれだけのことなのです」
続く言葉もそのまま納得しようとした、
が、飲み込めずにエーは首をかしげた。
「いや、その理屈はおかしい」
「おや?そうですか?」
対するデュエルも納得されなかったのが不思議で首をかしげた。
しかし今話したい内容は「デュエルがなぜ天井を歩けるか」ではない。
「箱の中身はどうしたって詰めたときのものからは変わらないんじゃないか?」
エーはデュエルに問う。
黒い箱は頷きで返した。
「そうですね、箱に中身を詰めるなら、その中身はどうしたって変わらないでしょう……ですが」
デュエルは己の頭をこつこつと叩く。
「箱が中身を持った状態で生まれたものだとしたらどうでしょう」
それはまるで謎かけのようで、
論理や正しさなど無いのかもしれない。
デュエルはまた大袈裟な素振りで手を広げる。
「まさに中身は神のみぞ知る箱、それがあなたが悩んでいる"勇者"と名付けられた箱、今存在する"現実"ではないですかな?」
こつり、と天井を蹴り一歩前にでたデュエルの黒い箱がエーの顔の前に近づく。
「貴方は箱を渡された、そして箱の中身を探るうちに、第三者から箱の中身を知らされた……」
目の前にいるのは黒い箱だというのに、
デュエルがしっかりとエーの目を見ているのがわかった。
「ですが、貴方は……」
だからエーも、デュエルの目を見るために顔をあげた。
「知らされた中身に、納得していない」
エーの言葉にデュエルがまた大袈裟な動作で
両の手を大きく広げた。
「そう、貴方が感じた感触は、箱の中身をまだ未知のものだと信じている!」
すとんと広げた手を下に下ろし、デュエルは頷く。
「納得のいかない現実を納得する必要はありません」
優しい声色で黒い箱からから囁かれる声は、きっと悪魔の甘言とかそういう類いのものに違いない。
いや、エーに説教する魔王は大概そんなようなやつだった。
「貴方の現実はまだ発生していない……であれば、箱の中身がどうであろうと、貴方は天井だって歩くことができますよ」
「…………いや、天井は歩けないだろ」
しかしその甘言に理性というか、ツッコミの心が溶かされきれない己も大概だな、とエーは心のなかで苦笑した。
デュエルは暫くそんなエーを見つめてから、くるりと踵を返して背を向ける。
「説教はこんなところです……ではここからは、提案なのですが……」
すこし変わって真剣な声色でデュエルは言う。
「この宝探しゲーム、負けていただけませんか?」