第八話 黒の魔王 Ⅰ
勇者エーは目を覚ました。
苛まれていた悪夢は見る回数もずいぶん減り、
ようやく清々しい朝を迎えられる……とはいかなかった。
魔王の側につくな
勇者を全うしろ
それが、勇者として選ばれたものの最善だ
悪夢こそ見なくはなったが、魔女の住む森で魔女から言われたこの言葉が、ずっと頭の端で蠢いているような不快感がして、
寝ても覚めても清々しく、とはいかないのだ。
(なんだよ、最善って)
出かける準備をしながらエーはイラついたように眉を寄せる。
まるで『模範解答以外は認めない』といったような言葉、
ただでさえ、その言葉はエーが道を模索している中で、そのすべてを否定するように言われた言葉だ。
(なんだよ、勇者を全うしろって!)
そもそもが、あの言葉の何にイラついているのかわからないことが最もストレスの原因になっていた。
勇者の有り様を指摘されたこと?いいや、そんなもの今までいくらでもあった。
まるで今日までの過程を否定されたような気がしたこと?いいや、そんなこと今までいくらでも諦めてきた。
「……だああああ!!なんなんだよもー!!」
意識が散漫だからか、鎧の留め具がうまく掛けられずにいたところで、エーのイライラはついに爆発した。
叫んでもなんにもならないことはわかっている。
しかし叫ばずにはいられないこともあるのだ。
「おい!!朝からうるせーぞ!!!」
ドンドンドン!と壁が叩かれ、煮え切らない思いだけが残ったエーは顔をしかめながら、乱暴に部屋を出た。
ここまで来たら、同じ場にいた当事者に、
聞いてみるしかない。
「魔王!俺と勝負……じゃねえや、ちょっと話がって、あれ?」
炎の世界の魔王城、玉座の間への階段をズカズカと上がるエーはいつもと違う光景に目を丸くしてぱちくりと瞬きした。
玉座の間へと続く大きな扉が少し開いていたのだ。
「不用心だなあ、ちゃんと閉めとけよ」
そう呟きながらエーは扉を潜る。
いつもならきっちりと閉めてある扉が開いていたのだ、人としては不用心だなという感想は至極当然……なのだが、勇者としては如何なものなのか、という疑問はエーの中には生まれず終わった。
と、いうのも、
「……!?」
玉座の前に見慣れぬものを見つけたからだ。
「……おや、お客様ですかね」
"それ"はエーの方に顔を向ける。
いや、向けられたのかはよくわからない。
玉座の前に置かれた背の高めのテーブルとと椅子、そこに座っている者の頭は、真っ黒な四角い箱だったからだ。
体だけをみるなら黒と白に別れたスーツを着ているごく普通の人間のように見えるし、声も当たり前のように箱から発せられている。
だからこその頭部の異様さに、エーは思わず一歩下がる。
(……待てよ、このシチュエーション前にもあったぞ)
それはまだこの世界に慣れ始めた頃だ。
こうして主のいない玉座の前に、氷の魔王トゥグルがいて、危うく殺されかけたことがあった。
目の前の黒い箱頭も、十中八九人間ではない。
魔王であるか否かに関わらず、人間であるエーを捻り潰すぐらいの力はもってしかるべきで、警戒を緩めるのはあまりに愚策であると過去の経験を活かしてエーは考え、もう一歩後ろに下がった。
「……あんたは?炎の魔王の知り合いか?」
あくまで警戒、剣は抜かない。魔族でも話は可能である、というのはよくわかっている。
黒い箱頭のほうは、そんなエーの様子を見てからゆっくりと立ち上がった。
エーが剣に置いた手に力を込める。
しかし、そんな警戒とは裏腹に、黒い箱頭は手を胸に添えて綺麗なお辞儀をして見せた。
「お初にお目にかかります、私はデュエル。黒の魔王でございます」
あまりに丁寧な名乗りに、エーは警戒するのも少し忘れて目を丸くした。
いくら話ができるといっても、いままで会った魔王は炎の魔王を筆頭に大小はあれど荒事に繋がっていたためだ。
驚くエーに、デュエルと名乗った黒の魔王は尚も丁寧で誠実そうな仕草と声色で言う。
「その金色の防具、金の麦畑のようなお髪、そして夏の空のような青い瞳、噂に聞く勇者殿とお見受けします。私は自分の世界以外では無力ですので、警戒されずとも心配はございませんよ」
「は……え、と、丁寧に、どうも」
いままでされたこともない形容をされて気恥ずかしくなったエーは、ついお辞儀をしかえした。
しかしだからといって向こうが攻撃してくるということもなく、本当に、本っ当に穏やかに会話を継続してきたのだ。
「炎様にご用ですか?只今自室の方へ行かれておりまして、もうすぐ戻ってくるとは思うのですが」
「ああ、いや、お気遣いなく……」
エーは両手を振って返す。
デュエルからは魔王らしい、というよりもまるで執事かなにかのような印象を受けた。
農民上がりのエーにとっては最も縁がなく、なんとも苦手な慣れない相手だ。
そんなエーの心情など微塵も知らないような顔(といっても顔はないのだが)で頷いた。
「左様ですか。まあ立ち話もなんでございますし、どうぞお座りください。私は代わりの椅子を頂いてきます」
そうして先程まで自分が使っていた細く背の高い椅子にエーを促すデュエル。
魔王からもてなしを受けるのも初めてのことだ。そんな境遇は二度とないだろうとエーは思う。というよりこの一度があまりに奇跡的なのではないだろうか?
しかしここは平々凡々な一人間の性だろうか、つい
「いやいや、ほんとにお気遣いなく」
などと遠慮してしまう。
「いえいえ、ここまで来るのも大変でしたでしょう、どうぞ座ってください」
「いやいやいや」
「いえいえいえ」
ついに始まるのは譲合い。なんと不毛な争いだろうか。
それも金色の鎧を着た少年と頭に黒い箱を被った男が譲り合っているのだから奇妙きわまりない光景だった。
そんな不毛で奇妙な光景も、なにも知らずにやって来た声で中止される。
「あったぞデュエル、別のボードゲームの駒に代用してたらし、い……」
玉座の背後、壁にかけられた大きなカーテンの裏、隠されるようにあった扉から、炎の魔王レーヴェが顔を出したのだ。
黒いチェスの駒を手にしたまま、エーの顔を見てゆっくりと不機嫌そうな顔になっていく。
「何故来た」
眉間にシワを寄せ、ただ一つだけ言ってから、テーブルに手に持っていた駒を叩きつけるように置いた。
駒はキング。黒色の大理石でできた重厚な駒は、それでもどこかしら欠けがあり、長年使ってきた印象を受ける。
この魔王がイラついているのはいつものことだ。だからエーも、いつも通りに返してしまう。
「なぜって、勇者なんだから魔王を倒しに来るのは当たり前だろ」
だが、対する炎の魔王はいつもとは違っていた。
いつもなら悪態で返してくるところを、今回は黙り混んだのだ。
黙られてはエーも返す言葉がなく、妙な違和感と共に静寂が訪れる。
「……」
なんとも言えないそんな一瞬を断ち切るように、デュエルがパンと手を叩いて鳴らした。
「せっかく三人になりましたし、三人でできる遊びをしましょうか」
エーとレーヴェは目を丸くしてデュエルのほうへ顔を向ける。
一拍遅れて、レーヴェがデュエルに抗議しようとしたのだろう、口を開くのだが、それをデュエルは掌を向けることで止めるようジェスチャーをする。
「『だれが勇者などと遊ぶか』というのは無しですよ。私の前で"遊ばない"という選択肢はありません。それ以外のお話でしたらお聞きしますが?」
今度は制していた掌を、言葉を促すように返す。
しかしレーヴェは言おうとしていた言葉を制されてしまって、唸るような声しか出せなかった。
デュエルはレーヴェが次の言い訳を思い付く前に話を進める。
「では合意ということで。そうですね、宝探しなどいかがです?」
そういってデュエルはテーブルの上の駒のひとつ、
先ほど置かれた古びたキングの駒を手に取った。
「これをこの城のどこかに隠します。中庭を含め外には決して出しません。探し方は問いません、お二人で協力しても構いません……如何ですか?」
表情のさっぱりわからないデュエルの様子。
しかしレーヴェは頭を抱えながら重く言葉を吐き出した。
「あぁ、もうわかった、好きにしろ」
「ええ!では、隠して参りますので暫しお待ちを」
箱頭であるために表情はさっぱり読めないが、
心なしか嬉しそうな様子でデュエルは礼をして、カツリカツリと踵を鳴らせて玉座の間をでていく。
そして、見えなくなったところでレーヴェがまたひとつため息をついた。
「えーと、まあ勝手に数に入れられてるのはいつものこととして……いろいろ説明がほしいんだが?」
エーが炎の魔王へと顔を向けると、
実に二度目のため息を深く深く吐いてレーヴェは答える。
「あいつは私以上の、いうなれば遊びの化身だ。あいつが三人で遊ぶといったならテコでも動かない」
この気まぐれの化身である魔王にここまで言わしめるのだ、黒の魔王デュエルはそれほどの存在なのだろう。
炎の魔王はどかりと玉座に座って頬杖をつく。
「……」
再び訪れた静寂。
場を繋いでくれたデュエルがいないのもあり、
しばらくの間気まずい空気を飲み込むしかなかった。