第七話 獄炎の魔導士 ⅩⅠ
そう、
あの問答の途中で炎の魔王は言ったのである。
「明日は大変だぞ」と。
がうがうと獰猛な声で吠えたてながら数頭の狼が走る。
狼といっても普通の狼の倍の大きさはあるだろうやつらだ。
森の住人であるこの狼たちが追いかけるのはもちろん、きらきらと目立つ金色の勇者だ。
「奇襲!強襲!学ぶには十分なイベントだった!では次に学ぶべきはもちろん!防衛だ勇者よ!!」
昨晩の様子が嘘のように、わはははと高笑いをしながらモルネを抱えて一番先頭を走るのは獄炎の魔導士。
囮にされているきらきらの勇者は狼に追いかけられながら魔導士を追いかける。
「その言い種はお前がこのイベント引き起こしたな!?」
「さあなんのことだか!!」
魔導士に抱えられたモルネが恐る恐るエーを追い掛ける狼たちを覗き見る。
走りながらのために見にくいが、狼たちの尻尾には焦げた跡が見受けられた。
モルネは眉をハの字にして、
「ねえ……おれたちの尻尾に火をつけたのはお前らだろうって言ってるよ……?」
狼の言葉を代弁した。
一瞬の静寂の中、魔導士が舌打ちをした辺りでエーが我に返る。
「モルネ狼の言ってることわかんの!?……っていうかやっぱりテメーの仕業じゃねえか!!舌打ちすんな!!心配した俺が馬鹿だった!待てこらあああ!!」
もはや誰が追いかけ、誰が追いかけられているのか。
そんな騒がしい森の朝は、清々しい快晴だった。
エーは木を支えにしてぜえぜえと息を吐いている。
対して、息切れすら起こしていない魔導士は抱えていたモルネを地面に下ろした。
森は最早鬱蒼としており、細々とあった街道も、
通る人があまりいないからであろうか、見る影もなくなっており、辛うじて「ここが道だったんだな」と察することができる程度である。
「ここから家までの道はわかるか?」
モルネはきょろきょと辺りを見渡す。
するとすぐに顔を明るくして嬉しそうに振り返る。
「ここ知ってる!道わかるよ!こっち!」
エーたちからしてみればただただ森の様相だが、モルネはそもそもここに住んでいた。であればある程度目星のつくものはあるのだろう。
獣道のような細い道をモルネはスキップするように駆けていく。
「……ほら、いつまでバテている。さっさと行かんと見失うぞ」
無慈悲な魔導士の無慈悲な声がエーにかけられる。
「……今バテてるのは100パーセントお前のせいだからな……!」
理不尽にぎりぎりと歯を噛み締めて、エーはようやくモルネの後を追った。
モルネは迷うことなく先へ進んでいく。
「あの木!あれはね、お友達のポロポロと一緒に木登りした木なの!あそこにポロポロが作ってくれた足をかけるようの傷があってね」
森に入ってからモルネはよくしゃべる。やはり知っている場所に戻ってきたからなのだろう。本来のモルネは木登りをするぐらい活発で明るい子なのだ。
「はあ、よく見分けられるなあ、木なんか全部一緒に見えるぞ」
エーもキョロキョロと見渡しながら歩くが、モルネに説明された木の半分は覚えられないだろう。
ちらりと振り返ってみれば、魔導士のほうも周囲を見渡しながらも黙々と歩いているようだった。
妙に大人しいのは昨日の晩のことを考えれば昼間よりも自然な気がする。
とりあえず付いてきているのは確認できた。それで良しとする。
「モルネ、なんであんなやつらに捕まってたんだ?この森のなかに住んでたんなら簡単には捕まらないだろ」
何とはなしにエーは尋ねる。
どこもかしこも鬱蒼としており、あの強盗たちがわざわざモルネを拐うためにこの森に入ったとも考えにくかった。
ましてこれだけ森に詳しいのだ、なにかしら逃げる手段はあっただろうに、と。
「……あのね、森の縁に人が来てるから近寄っちゃダメってママに言われたんだけど、わたし、見に行っちゃったの……面白そうだと思って……」
モルネはしゅん、と視線を落とす。
なるほど、好奇心が猫を殺したということか。
「ママ、怒ってるよね……?」
どんどんと視線が落ちていく少女。
エーは少し考えてから、ぽんと頭を撫でる。
「そのときは俺も一緒に謝ってやるから」
そうすると、モルネは少しだけ顔をあげて、こくりとうなずいて、再び歩きだす。
未だにやや視線は下がりぎみだ。エーはその様子にすこし困ったように頭を掻いてから、モルネの隣を歩いていった。
段々と森の獣道に、明確に道が見えはじめる。
整備されたものではなく、誰かが頻繁に通るのだろうと言った感じの、草が生えていないだけの地面だが、
モルネの足がピタリと止まった。
「……ここ」
確認するように辺りを見渡す。
二度三度それをしてから、先程までの落ち込んだ様子から一変し、まるで晴れ間がみえたかのように嬉しそうにエーを見上げた。
「そう、ここだよ!この先!ママ!ママー!!」
ほう叫ぶと同時に、モルネの手がエーの手から離れて、モルネは走り出した。
「お、おいモルネ!勝手に行くな!」
エーは急いでその小さな背を追いかけた。
そう遠くまでいかないうちに、開けた場所に出る。
いくつかの畑と、小さなかわいらしい木の家。ようやく現れた人の気配がする場所。
突如、バン、と木の家の木の扉が開かれて、中から若草色の長い髪を揺らして、女性が一人飛び出してきた。
「モルネ!!」
「ママ!!」
飛び込むようなの走るモルネを、女性はしっかりと抱き止める。
母親と子の感動の再会。エーは思わずほ、と息を吐く。
モルネのいままでの不安や、再開の安堵はエーには計り知れないものだ。
だが、モルネが母親の腕に抱かれてわんわんと泣く様子を見れば、どれだけの気持ちでここまで歩いてきたのか、それを考えて、すこしもらい泣きするぐらいは罪にはならないだろう。
だから、女性からエーに向けられた明確な敵意の目に、
エーは気づけなかった。
ゆっくりと女性が握っていた木の杖がエーのほうに向けられる。
何事かと疑問に思ったときには既に、エーの体は何者かに押さえつけられたかのように、金縛りで身動きがとれなくなっていた。
「……な、なんだこれ!?」
魔法かなにかか、驚くエーの声にモルネも気づいたのだろう、驚いて振り返るが、女性はモルネを強く抱き寄せて、今度は視線だけではなく分かりやすくエーに向かい合う。
「あんたはどっちの味方だい」
女性が杖を向けたままエーに問う。
「なん、の話だよ……!」
「やめてママ!勇者のおにいちゃんはわたしを助けてくれたの!乱暴しないで!」
動かない体でもがくエーに、モルネが悲鳴に近い抗議の声をあげる。
だがそれに対しても女性はモルネの頭を優しく撫でるだけで、緩める気配はない。
「もう一度問う、あんたは、どっちの味方だ」
ぎり、とエーは歯を食い縛る。
どっちの味方だ。その言葉の意味を探る。
モルネかモルネを拐ったやつらか?娘を拐われたのだ、そういう思考になっても仕方がない。だがそれなら"あいつらの仲間か"と聞くのが自然ではないだろうか。
人間か魔物か?括りが広すぎる、これではまるでエーが魔物の味方をしていたような言い種だ。今日まで魔物を庇うような行為は一切してこなかった。
……いや、ひとつだけ例外がある。
"獄炎の魔導士の正体は魔王である"という前提を、もしバレていたとしたら、括りの広い二択もしっくりくる。
「……俺は、魔王の味方をした覚えはねえぞ……!」
絞り出すようにそう言った。
拘束は、緩まない。
「あんな化け物と一緒にいてよくそんなことが言えるね」
やはりバレている。
どこでどうバレたかはわからないが、魔導士が人間ではないということは確実に。
緊張した空気の中で、エーは見落としていた真実に気づいてはっとした。
(……っていうか、魔王どこいった!?)
問題の獄炎の魔導士こと炎の魔王がいないのである。
いつからいなかったのか、探しに行かなければ、それよりまずこの状況を……いろいろな考えが同時に何度も出てきては暴れだし、エーは軽く混乱状態に陥る。
「ポロポロやめて!勇者のおにいちゃんを離して!!」
モルネが叫んだ声で、エーははっと我に帰る。
耳元で木の玉を転がすような音がして恐る恐る振り返った。
なにもない場所に、にじみ出るように現れるフクロウのような顔と、熊のような巨体。エーはその見えなかった化け物の手に、がっしりと捕まれている状態だったのだ。
『ポロロロロロ……』
フクロウのような熊のような生き物の喉が動き、ころころと音が発せられる。
なるほど、それでポロポロなのか、と納得するエーの頭。
「うわあぁぁぁぁぁ!!??」
『ポピュローーーーー!!??』
しかしエーの元よりある逃げ出したい心が、ついに耐えきれずに叫び声をあげた。
ポロポロもそれに驚いて悲鳴をあげて、
森に一人と一匹の声がこだました。
こと、と木のテーブルに置かれる木のカップ。
中にはふわりと湯気を立てる暖かいミルクが入っている。
「お前の無害さはよくわかった。それを飲んだら帰りな」
あまりの混乱ぷりに大きくため息をついた女性は、エーを家に招き入れた。
モルネは家の前で同じく混乱してしまったポロポロのほうを宥めている。
「えーと、モルネのおかあさんは、いやそれよりあの魔物は…」
聞きたいことが多すぎて纏まらないエーの様子に、女性はもう一度ため息をついた。
「……私はマーリ、この森の番をしている。あれも……ポロポロも、私と共に森の番をしているオウルベアだ、危害を加えなければ害をなすことはない」
説明を聞きながらエーはカップに入ったホットミルクを少し口に含む。
ミルクとはちみつのやわらかい甘さが口に広がって、不思議と混乱していた意識がゆっくりと紐解かれる気がする。
エーはゆっくり息を吐いてから口を開く。
「えっと、騒がせてしまって悪かった……俺たちはモルネを家に帰したかっただけなんだ」
それを聞いてマーリは怪訝そうな顔で返す。
「お前は一緒にいたあれの正体に気づいていないのか?」
確実に魔導士のことはバレているようだ、とエーは察する。
しかしだからといって、「魔王だと知ってて一緒にいました」など言えるわけがない。それはエーの"勇者像"が許さない。
返答に困っていると、マーリはため息をついて首を横に振った。
「……あれは今、別のオウルベアが対応してる。このまま追い返すつもりだ」
マーリはエーを睨み付けるように金色の瞳を向ける。
「いいか少年、魔王と仲良くする勇者は必ず不幸になる」
「……!?俺は魔王と仲良くなんかしてねえ!」
がたりと立ち上がってエーは抗議する。
そう、仲良くなんかした覚えはない。炎の魔王は金色の勇者の宿敵で、倒すべき相手だ。何度会おうと、その前提を忘れたことは一度だってない。
マーリはエーの青い瞳を金色の瞳に映して、もう一度ため息をついた。
「変わった子だね。なら、"尚更"だ。魔王の側につくな、勇者を全うしろ、それが、勇者として選ばれたものの最善だ」
静かに告げられたのはきっと正しい意見で、
とても、とても冷たい言葉だった。
己の行くべき道を、暖かい選択肢を用意してくれた友人を、
そのすべてを否定して、それでいてとても楽な道を示された。
エーは忘れかけていた悩みを思い出した。
行くべき道を悩んでいたことを、
それ自体を忘れかけていたということを思い出した。
説明のつかないもやもやとした気持ちが沸き上がり、
しかしそれを言葉として吐くことも出来ず、エーは唇を噛んだ。
「……勇者のおにいちゃん?どうしたの?」
モルネがドアから覗いていた。
エーは言葉につまってから、首を横に振る。
「……なんでもない、そろそろ帰るよモルネ。もう危ないことしちゃダメだぞ」
ぽん、とモルネの頭を撫でると、モルネは恥ずかしそうに笑った。
「ありがと、おにいちゃん。またね!ごくえんさんと一緒に遊びに来てね!」
なんともいえない表情で、エーは辛うじて笑って見せて、家から出る。
後ろでモルネが手を振るのを感じながら、
微妙な表情をしているマーリの顔を見ないようにして、
歩いて、
歩いて、
歩いて、
森から出て、
「……っ!くっそ……!!」
もやもやした気持ちを、どうにか吐き捨てるように、
地を思いっきり踏みつけた。